[2-05] 茶会の茶番
「お姉さま、とうとう完成しました」
「ええ」と、目の前にしつらえたテーブルを見る。「みんな、本当に頑張ったわね」
手を取り合って感動を分かち合う。足の裏から背筋を駆け上がるほどの達成感。この数週間、スズリさんの五指となった全員で作り上げたのだ。
黒薔薇会のメンバーたちは連日連夜、フェンの屋敷にいるカーラさんから鏡ごしの指導を受けた。まるで動画講座みたいだったけれど、喫茶三家の一つに教わる機会なんてなかなかない。
ああ、目を閉じれば、これまでの苦労が浮かび上がってくる。みんな、大好きなBLを絶ってまでお茶の練習に励んだ日々。テーブルの趣向や茶事もメンバーたちで話し合って決めたのだ
思わず目頭に熱いものがこみ上げてきた。
カーラ先生、私たちようやくここまで来ました。帰ったら胴上げさせてください。
◇
宗谷の仲介でカーラさんにご指導をお願いした時、鏡の向こうの彼女は少し困ったような表情を浮かべていた。
「……なるほど、それでフェンの喫茶家伝を学びたい、と」
「やっぱり、ダメでしょうか」
家伝というくらいだから、簡単に人に教えるようなものではないだろう。しかも、私だけではなく黒薔薇会のメンバーにも教えて欲しいとお願いしているのだ。彼女たちもスズリさんの窮地を助けようと率先して五指を結んだ。
「いえ、家伝を教えるのは構いませんよ。ソーヤのお母様には恩がございますし、そもそも喫茶は社交の道。秘して隠すようなものではありません。それに、学院の茶会に参加されるのであれば、フェン流を採用していただいてむしろ有難い限りです。聖都の宮廷人にとって、あなたはレヴィアですからね」
「そう言ってくださると助かります」
「それに、あの娘は茶会なんて出来ないでしょうし」
「あはは」
「ただ、懸念があるとすれば、」
カーラさんの切れ長の目が、さらに細くなる。
「他家の娘と綾取りを結ばれるのであれば、一度相談を頂きたかったですね。学生同士の糸とは言え、フェン家の次期当主との綾取りは家同士の問題でもありますから」
「うっ」
ヒヤリ、と冷たいものが背中に流れる。
この世界の貴族は綾取りをとても重視している。公爵家の令嬢が指輪を交わすとなれば、家同士の合意とか家格の釣り合いとか色々とややこしいはずだ。学生同士の糸は試験期間だから、みたいな風潮もあるらしい。とは言え、レヴィアちゃんは公爵家のしかも次期当主なのだ。
それに、スズリさんの家は新興の成り上がりだと聞いている。
「スズリ伯の令嬢と、ですか」とカーラさんが目を閉じる。
「え、ええ」
「どの指を?」
「小指です」
「そうですか。まぁ、小指であれば大きな問題にはならないでしょう。相指ですか?」
「い、いえ。別指です。最初は相指と思っていたのですが、スズリさんが遠慮して、あちらは親指でこちらは小指ということに」
「あら。つまり、スズリ家はフェンの庇護に入ったのですね」
ん? フェンの庇護?
「でしたら、フェン門下の貴族名簿にスズリ家を加えておかなければなりません。近い内に、スズリ伯をフェンの
「えっ!」
当主って、つまりスズリさんのお父さんに言うの? そんな大ごとになるの。単なる子ども同士の指輪交換に、親御さんが出張ってくるものなの?
などと絶句していると、カーラさんは口元をほころばせた。
「驚かせてしまったようですね。申し訳ありません。少し意地悪が過ぎました」
「え、ああ、冗談だったのですね」
「いえ」と肩をすくめられた。「決して冗談ではありませんよ。レヴィアはフェン家の次期当主です。しかも現当主は空席のまま。つまり、今は彼女がフェン家の代表なのです。それと親子指を交わしたとあれば、スズリ家がフェン家に娘を申し出たことになります」
にっこり、と鏡の向こうで三十路美人が笑う。
「つまり、あのスズリ聖騎士伯をフェンの人脈にお加えなさったのですね。相手は聖都の聖騎士団を束ねる家です。それをフェンの
「えっ、えっ、えっ」
「綾取りとはそういうものです。これを機会に、覚えていただけると助かります」
「……本当にごめんなさい」
そういう事までは一切考えていなかった。スズリさんを助けてあげたい一心でそんなことまで頭が回らなかったのだ。
慌てて下げた頭の上から、息を殺して笑うカーラさんの声が降りかかる。
「いいのですよ。これはレヴィアも承知してのことでしょう?」
「え、ええ」
「だったら良いのです。誰が何と言おうと、例え本人が否定しようとも、フェンの当主はあの子です。当主が指を見極めて人脈を紡ぐ。それが当主の役割。今回のスズリ家との繋がりもその作法で編まれたもの」
「は、はぁ」
「散々に脅してしまいましたが、学生同士は
「仮指?」
「簡単に言うと、後で指をなおしても問題のない綾取りです。成人した後の指ではなかなかこうはいきませんが」
……そんな感じで、ちょっとカーラさんに釘を刺されたりしたけれど。
庇護下に入れたからには絶対にスズリ家に恥をかかせません、とむしろ逆にカーラさんにハッパをかけられ、私たちは連日連夜にわたってしごかれた。フェンの喫茶術や作法だけでなく、茶道具や調度品も屋敷から送ってもらうことができたのだ。
そして当日を迎えて、今にいたる。
私たちが仕上げたテーブルは想定以上に
よく考えれば当たり前。テーブルや椅子、茶器にいたるまで全てがフェン家の屋敷から取り寄せた超一級品ばかりだ。多分、既製品を買い集めたのものではなく、デザインから製造まで一貫させた特注品だろう。
このテーブルも樹齢数百年のマホガニーとかで、一流の職人が数ヶ月かけて仕上げたみたいな感じに違いない。テリとかツヤとか違いますよ〜。よく分からないけど。
数々の調度品の中で特に印象的なのは、テーブルの真ん中に飾られた白い枯れ木だ。全体的に黒を基調としたテーブルの上で、唯一の白が映える。その繊細な枝が頭上に広がってテーブルを包み込むようで、とてもおごそかな雰囲気だ。
何の木なのだろう、と触ってみるととても硬い。どうやら木とは違う材質だ。
「まさか、
隣で同じく達成感に浸っていた、有能書記のガリュ男爵令嬢がため息を吐く。
「えっ?」
知っているのか? と書記さんのほうを向く。
って言うか、今、珊瑚って言ったよね。あの枯れ木は海の宝石とも呼ばれる珊瑚だったのか。ひぇ〜。絶対に触らないでおこう。折ったら大変だ。
「これほどの見事な枯木はなかなかありません。おそらくフェンの家宝でございましょう。このテーブルセットも
「えっ、え〜と」
知りませんよ。だって、カーラさんが「茶器や調度品の類は、こちらで適当に見繕って送ります」って勝手に手配してくれたものだし。わ、私は全然、知らなかったし。
「他の品も特注品ばかり。せめてテーブルが見劣りしないように、とお姉さまのお力添えをお願いしたつもりですが、これでは逆に他を圧倒していますね」
「……ふっ」
と、息を吐く。
「スズリさんはフェン家の庇護に入ったのです。彼女を不当に貶めようとする相手には、これくらいがちょうど良いのではなくて?」
などと、カーラさんなら言いそうだな〜、としたり顔で調子に乗ってみた。
「流石はお姉さまです」
おっ、おう。なんか気持ちいいけど大丈夫かな、これ。
いやさ、道具が超一流なのは分かったよ。
だけど、問題はここからだ。
実際にお客さんに来てもらって、用意したお茶を楽しんでもらえるか。みんなで特訓したお点前を披露しないといけない。こればかりは道具には頼れませんからね。
「お姉さま。このたびは本当に、このようなご尽力を」と後ろから声がかかる。
「あら、スズリさん」
私の小指が恐縮した様子で近づいてきた。その親指にはレヴィアちゃんが編んでもらったフェン家の指輪がはめられている。
「気にしないで。伯母が勝手に手配しただけなんだから」いや本当にね。
「そんな。こんな立派なテーブルを」
「はは、逆にちょっと緊張しちゃうわね。でも、ほらほら、そんな恐縮しないでよ。主催者はスズリさんなんだから、教えられた通り、美味しいお茶をみんなと楽しみましょう」
「は、はい。でも私なんかが主催だなんて、今からでもお姉さまが」
「ダメよ」
スズリさんが強引に参加させられた一因が、私の欠席にあったことなんて口が裂けても言えない。
「スズリさんでなければ、私だってこんなに頑張れなかったわ。それに黒薔薇会のみんなで楽しむには、フェン家主催じゃあ、ちょっと肩ぐるしいと思わない?」
「でも」
「それに」とスズリさんの両手をとる。「あなたを私の妹として迎えられた」
「お姉さま」
彼女はパッと笑った。ここのところ、ずっとうつむきがちだった彼女が久しぶりに見せる笑顔だ。
う〜ん、可愛い。
お姉さまはそれだけで満足ですよ。最高のシチュなんだけど、ちょっと残念なのはレヴィアちゃんが小さいことね。お姉さま、と近くに寄られてもこちらが見上げることになってしまう。無駄にデカかった元の体が妙に恋しい。
「それにしても、」と横で見ていた書記さんが息を吐く。「これほどのテーブルであれば、あらかじめ客を招待する必要はありませんでしたね」
私たちはいわゆるサクラを仕込んでいた。あまり褒められたやり方ではないが、この客寄せ手法が有効なのは同人誌即売会でも証明されている。
一番に恐れていたのはスズリさんのところに誰も来ないことだ。そもそも家格が低いスズリ家にわざわざ挨拶する必要はない。これが例えば公爵家令嬢のテーブルであれば、宮廷の人たちが社交辞令でやってくる。いわゆる固定客みたいなものを見込むことができるのだ。
スズリ家にはそれがない。
だったら、呼べばいいじゃない? 私たちには根腐れした同志が百人以上もいる。BL配信の時に、その同志たちに呼びかけてみたのだ。すると、まるで祖国の危機に立ち上がった義勇兵のごとく、全員がそれに応じてくれた。
「別にいいじゃない。宮廷の偉い人たちにも来て頂きたいですが、私は同じ趣味を語り合えるみんなとのお茶も楽しみです」
「とはいえ、五指の茶会では訪れた客によっても評価されます。ここまで頑張ったのですから、少し席次を競ってみたくなりました」
「まぁまぁ、私たちなりに楽しみましょうよ」
「そうですね」
とりあえず、必要以上に立派なテーブルを用意することができた。招待した客はBL仲間だと思えば、これまでの危機感はすでに脱し、五指のメンバーも楽しむ余裕が出てきたのか、今か今かと開始を待ちわびる様子だ。
さて、もう少しで、お客さんの入場の時間だ。
くぅ〜。やっぱり、良い。イベント開始直前のこのドキドキ。やっぱり、みんなと一緒に頑張った後のこの瞬間はたまりません。
「レヴィ!」と宗谷が姿を見せる。従者として彼もテーブルに控えていた。「そろそろ始まるよ」
「よし、みなさん。集まって円陣を作りましょう」
「えっ、円陣?」「ほらほら、あのマンガで読んだ」「ああ、バレーボールという競技の? やりましょう、やりましょう」
メンバーのみんなが集まって、輪を作り、中央に手を集める。
そこには黒い指輪をはめた右手が集まっていた。おお、同志たちよ。なかなか分かっているじゃない。じゃあ、いっちょやりますか。私はその上に、自分の手をおいた。
「とうとうここまで来ました。大好きなBLも封印しました。お茶の稽古中にお茶を沸かしながら、火照ってやがる、とみなさんと妄想しあった日々は忘れられません。ポットの先からカップの中に熱いミルクを注ぎあった毎日でした」
くすくす、とみんなが笑う。
「さぁ、最後までやりきりましょう。楽しいお茶会を」
「「はい!」」
その大声に、周りのテーブルの生徒たちがびっくりしてこちらを見ていた。
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