[2-04] 茶を飲む王子兄弟
「つむじ風 舞い散る
ウリエル王子はテラスから宮廷の中庭を見下していた。
眼下に見えるのは雪のように舞う落葉だけではない。普段では宮廷で見ないはずの学院の制服が、小走りで中庭をかけ回っている。五指の茶会が始まるまで数時間もない。参加者たちはテーブルの仕上げに大忙しだろう。
「生徒会長なのに随分と余裕があるじゃないか。ウリエル」
その声に驚いて、ウリエルは慌てて振り返った。
そこに立っていたのは、まるで獅子のたてがみのような豪奢な金髪をした男だった。その黒い軍服の襟を縁取る金糸の刺繍は、日輪を象った紋章を編んでいる。太陽は聖王家の紋章であり、その軍服を纏うことが許されるのは一軍を任された将官だけだ。
「兄さん。どうして、こんなところに」
ウリエルは兄の方へと駆け寄った。
王位継承権の第一位にある兄ミハエルは多忙を極めているはずだ。騎士団長を中指としていることから兄は軍制の改革を一任されていた。茶会は大きな祭典ではあるが宮廷行事に過ぎない。軍官の要職にある兄が顔を出すとは。
「弟の晴れ舞台じゃないか。五指の茶会には親族はそろって応援にかけつけるものだろう。それとも、迷惑だったかな」
「そんなことは」
「順調か?」
「僕のテーブルはすでに整いました。今は、ちょうど出す茶の吟味をしていたところです」
「ほう。流石だな。手際が良い。俺にも一杯もらえるか」
「ええ」
ウリエルはテーブルに整えてあった茶器を手に取った。ティーカップに水を注ぎ、その上に乾燥させた薔薇を浮かべる。そして、術式を唱えるとカップに浮かんだ花がパッと燃え上がり、それは水の中へと沈みながらもなおも燃え続け、水を沸かして赤く染めていった。
「茶事は火茶か」とミハエルはカップを受け取り、口に近づける。「良い香りだ。
「聖王家の家伝なんだ。子どもの頃から仕込まれていたから、このくらいは」
「そうか。俺の時は難儀したなぁ。家伝なんて教わってなかったから」
「……兄さんも、昔は生徒会長だった」
「ああ」
自分は何かにつけて兄と比較され続けてきた。
母は兄の業績を聞くたびに顔をしかめて「あれは馬腹の子どもなのです。馬に負けぬよう頑張りなさい」と自分に言い聞かせてきた。
名門であるイジヴァル公爵家の出で、聖王の正室となった母は兄のことを嫌っていた。身分や格式を高く保とうとする母には、奴隷の子どもと噂される兄のことが疎ましかったに違いない。その馬の子が平民出身の騎士団長と相指を結んだことも気に入らなかったらしい。ことさらに「宮廷の品格」という言葉を振りかざした非難は、もう飽きるほどに聞かされ続けてきた。
「兄さんにも困ったことがあったんだ。学生時代も優秀だったと聞いていたけど」
「魔術や勉学、あるいは剣術などなら努力で何とかなったが、喫茶作法には頭を抱えたものだ。家伝やら秘伝やらは魔術書に書いてはなかったからな」
しかし、馬から産まれたはずの兄は優秀だった。
聖王家の生徒は生徒会長を任されることが多い。将来の王としての資質を見極めるよい機会でもあるからだ。兄も学院時代は生徒会長に任命され、全ての教科で第一席に叙されながらも学院行事をつつがなく運営し、四期連続で生徒会長に任命されたのだ。
これが今の最長記録で、生徒会では伝説となっている。
「で、どうやったの?」
「ん?」
「兄さんのテーブルだよ。家伝を知らないでどうやったの?」
生徒会長が茶会のテーブルを辞退することは許されない。この兄は茶会のテーブルでも第一席を譲らなかったはずだ。
「女だな」
「女?」
「茶事は母から教授されるものだ、と聞いてな。それなら経験が豊富なご婦人に聞けば詳しかろうと考えた」
「なるほど、良家の女生徒を五指にくわえたのか」
「いや、少し違うな。どの腹から産まれたか分からぬ身だが、一応は俺も聖王家の男だ。学院で女と糸を結んだとあっては後で面倒なことになる。やはり馬腹の子か、などと陰口に話題を提供するのも面白くない」
「ああ、そうだね」
そう言えばそうだったな、と自分の左手に視線を降ろす。
自分が結んだ綾取りも男友達と結んだものだ。聖王家のしかも生徒会長を務める男子となれば、気軽に綾取りはできない。特に女性と糸を結ぶのは慎重であるべきだ。学生時代の糸は卒業後に直しても大きな問題にはならないが、異性との指は少し微妙な判断になる。自分の薬指も、数年前までは空だったが、今では兄ミハエルの小指とつながっている。
この薬指に巻かれた銀の糸は、非対称の隷属をあらわす
こんな糸など結ばずとも、生まれたときから自分は兄に囚われ続けていたのだが。
「で、女って?」と、そんな自嘲はおいて興味が沸いた。「五指の誰かに頼ったのではないの?」
「学院の専科に花魔術があるだろう」
「ああ、女生徒ばかりしか受講しないやつね」
「そうだ。今も昔も変わらんようだな。で、当時の講師がザトキエル伯爵夫人だった。知っているか?」
「もしかして、喫茶日記の?」
「ああ。かの愛らしい御婦人だ」
「もうお婆さんだよ」
「だが可愛らしいお方だ」
喫茶日記は聖王国の淑女たちが必ず目を通している本だ。作者はザトキエル伯爵夫人。喫茶の名伯楽で社交家としも有名な貴婦人だ。彼女は各家のサロンに出入りし、気に入った喫茶を日記にしているのだ。
その日記に一度載れば、数年はその家のサロンに客が絶えないとまで言われている。
「講義が終わった後に個人指導を頼んだ。本当は婦人の授業に出たいが邪魔になってしまうから、と冗談を理由にしてな」
「どういうこと?」
「つまり、茶ではなく女生徒が沸いて授業にならない、とね」
「……なるほどね」
冗談は半分にせよ、伝説の生徒会長さまが女生徒の憧れの的であったのは事実だ。兄は何かと女性と噂になることが多く、そのたびに母は眉間に皺をきざんで唾を飛ばしていた。
兄は目を閉じて、点てた薔薇の火茶を口に含む。
「うまいな」と息をつき「俺よりも断然にうまい」と声を濁らした。
「僕なんか、全然だよ」
「お前は真面目すぎだ。そのせいで損をしているぞ」
「兄さんに比べたら、」
「前にお前に聖騎士の一隊を任せてみただろう。学院の宮廷見習いの時だ。見事にやりきったじゃないか」
学院では授業の一環として短期間の宮廷見習いをさせる。卒業後には宮廷に任官することが多いことから、その事前試験として実施されるものだが、自分は兄が設立した聖騎士団に配属された。
普通の生徒なら下っ端の従士として配属されるらしいが、自分は聖騎士長として一隊を率いた。
「あんなの実力じゃないよ。全部、用意された決まりごとじゃないか」
「決められたルールすらこなせない者もいる。例えば、俺とかな」
「兄さんは違うよ。なんでもできるじゃないか」
兄のカップに揺らぐ赤い茶に視線を落とす。茶の中には薔薇の火片が舞っていた。
兄が褒めてくれたこの火茶も家伝を教え込まれただけだ。テーブルだって母がしつらえたもの。自分が手配したところなど何ひとつなかった。
見習いで率いた聖騎士隊も兄が用意したもので、訓練や市中巡回に野外設営に狩猟といった誰でもこなせる任務ばかりだった。
兄は自分に気を使って、手柄を立てさせようとしている。
僕が手を染めてしまった暗殺未遂。母からの呪縛から逃れるために、僕はそんな大罪を犯した。それなのにまだチャンスを用意してくれている。この世にこれ以上に甘いものはあるのだろうか。
「納得していないようだ」
「……いえ」
「まぁいい。せっかくの茶会に来たのだ。気になるテーブルもある。私も楽しませてもらう」
「気になるテーブル? あの兄さんが」
今や社交界では兄の名が噂にならぬ日はない。学生の祭典ごときでその兄が興味を持つようなテーブルなどあるのだろうか。
「ああ、私の婚約者が参加している」
「フェン家の?」レヴィア嬢は暗殺事件の首謀者だった。「でも、辞退したと聞いていたけど」
「いや、スズリ伯令嬢のテーブルだ。五指の一員として参加していると聞いた」
「スズリ? ひょっとして、あの聖騎士伯の」
「ああ、お前の上司だった男だ」
スズリ伯爵は聖騎士団の団長を務めている。
元が地方貴族の庶子であったが、兄の強い推薦で伯爵家に昇格した。聖騎士が上流貴族になったことで保守派からの強い反発があったと聞いている。母も宮廷の絨毯が馬糞で汚れる、などと悪態をついていたな。
「実のところ、」と兄はカップをおく。「スズリ伯から、娘を助けてやってくれ、と頼まれたのだよ」
「……ああ」
新興のスズリ伯がテーブルを用意できるはずがない。上流貴族たちが家をあげて支援するテーブルに囲まれて、ママゴトのような惨めさを味わうことになるだろう。
「戦場なら勇敢な男だがな。テーブルでは娘すらも助けられない、と泣きつかれてしまった」
「それでわざわざ正装で来たのか」
ちらり、と兄の服に視線を落とす。
その見事な金糸の軍服は、本来は式典用で学院の茶会には少しやり過ぎといえる。
だからこそ、この姿の兄が客として訪れたなら、たとえママゴトのようなテーブルだとしても一流の社交場に様変わりするだろう。
テーブルの格は主催者の用意だけで決まるわけではない。そこにどのような客が訪れるかも重要なのだ。王位後継者でかつ上級軍官でもある兄を招くことができるテーブルなど他にはないだろう。
「兄さんを客として迎えれば、どんなテーブルでも薔薇を取れる」
茶会の中でも特に優れたテーブルには、聖王家から薔薇が贈られるのが伝統になっている。薔薇は聖王家の象徴華だ。
「ふふ、スズリ伯が娘自慢ばかりするのでな。どういった経緯でスズリ伯がテーブルに選ばれたのかは推して測るべし、だが俺が推挙した家に恥をかかせるわけにはいかん。せいぜい盛り上げてやろうと、いざ名簿を確認してみると、」兄は口元をゆるめた。「そこに、我が許嫁の名を見つけたというわけだ」
「なるほどね」
それにしても、と頭をひねる。どうして、スズリさんがテーブルに選ばれたのだろう。家格では上位であるはずの災厄がその五指のメンバーに甘んじているのも不自然だ。
……後でイジヴァルさんに聞いてみよう。生徒会の事務一切を彼女にお願いしていた。
「正直に言うと、俺が客として訪れるのはいささか大げさ過ぎるかと悩んでいた。それでレヴィア嬢の名を見つけて、安堵していたのだよ。婚約者がいるテーブルであれば、茶を飲みに挨拶をしても不自然ではなかろうて」
「兄さんは……その」
「なんだ?」
「フェン家の令嬢とは、その……うまくいっているの?」
ふふ、とこぼした笑いを兄は茶を口に含んで濁す。
「災厄とまで称される天才魔術師が相手だ。なかなか認めてもらえず苦労しているよ」
「そういう事じゃなくて、その、兄さんに相応しい女性は他にいるんじゃ……」
「……」
兄は味を吟味するように、茶をすすっている。
「兄さんには、兄さんなりの考えがあるのだろうけども。でも、将来は聖王になるんだ。それを支える薬指はよく選んだ方がいいと思う」
「……」
「彼女が王妃になることに反対する人も多い。今までは彼女を婚約者にしているメリットとかもあったのかもしれない。でも、今ではもう兄さんで絶対なんだから」
「……」
「兄さんは知らないかもしれないけど……。兄さんの暗殺事件だって、やったのは僕だけど。本当は彼女が、」
「ウリエル」
ずっと黙っていた兄から、鋭い制止が飛んだ。
「このような場で滅多なことを言わない方がいい」
「で、でも」
「私は彼女のことをよく知っているつもりだ。その罪をお前だけにかぶせてしまって悪いことをしたと思っている」
「そんな。そういう事じゃなくて、僕はただ……兄さんが、このままで良いのかなって」
ずっと、兄と比較され続けてきた。
落とし子に負けてはならぬと言われ続けてきた。それが原因だったのかもしれない。災厄にそそのかされて暗殺計画に荷担してしまったのだ。
結局、兄に敗れ
もしかしたら、自分はずっと前から兄を尊敬していたのかもしれない。
美しくて、何でもできて、優しい兄だった。それを不当に貶めようとする母のことをずっと
「スズリ令嬢のテーブルには、ソーヤも来ているだろうか」
その兄の口から、唐突にその名が発せられる。
「ソーヤ?」
「ああ、あの鏡渡りの竜殺しだ。そういえば、学院の騎士科に入ったらしいじゃないか。どうだ、あいつのことだ、学院でも噂になっただろう?」
「……いいえ」
嘘だ。
あの災厄の従者が入学した時、学院が大騒ぎになったのをよく覚えている。平民の騎士科でありながら、カーラ・フェン小公と家宰クヴァル・スヴェロ伯爵と相指を交わしていたからだ。いずれも北部を束ねる大貴族の当主である。
学生でありながらフェン家の支配者と相指を交わしている。しかも二指もだ。その左手は学院で間違いなく最上位の糸だった。
「そうか? それは残念だ」
あの兄が落胆したようにため息をついていた。
聞いたことがある。宮廷見習いの時にウィス聖騎士長から教えてもらったのだ。兄はソーヤに人差し指の相指を申し出たことがあると。そして、あいつはそれを断った、と。
思わず、兄との指輪をつかんだ。
「まぁいい。ソーヤとテーブルを囲むというのも面白そうだ。ヴァンも連れて来れば良かったな。あいつは茶会など嫌がるだろうが」
「……ねぇ、兄さん」
「ん」
「僕も一緒に行くよ」
「どこに?」
「僕も、スズリ伯のテーブルについて行くよ」
声がうわずっていた。
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