終章:僕のやりたいこと

[2-01] 学院のお茶会という上流感

 飛竜たちをフェン公爵領から追い払って一年くらいがたった。

 吹き抜ける風が冷たくなってきた。元の世界では秋分と呼ぶこの時期を、こっちの世界では「木衣きごろも」と呼ぶらしい。

 春から始めて、風鳴かざなり花吹はなふき日永にちなが草燃くさもゆる虫鳴むしなり木衣きごろも月永つきなが雪眠ゆきねむり

 四季ならぬこの八季は聖王国の昔の暦で、ところどころにその名残を残している。例えば、収穫期でもある秋には祭りが催され、ご馳走として香草で包んだ肉がよく食べられる。この香草焼きのことを「木衣肉」と呼ぶ。

 日本でもこの時期はちょうど秋祭りで、学校なんかでも学園祭や文化祭を催すことが多い。

 そう、聖王国の学院にも祭りの時期が迫っているのだ。


「そろそろ、五指の茶会ね」


 例によって、レヴィアちゃんになっていた私はぴくりと耳を動かした。

 授業で終えたばかりの魔術書を読みふけりながらも、頭の中は「五指の茶会」でいっぱいになってしまう。


「今年はどんな茶会になるのかしら」

「もう参加されるテーブルは決まったのではなくって?」

「今日中に、テーブルリストが発表されるそうよ」

「名家のテーブルがずらりと並ぶのよ。壮観よね〜」

「あら、去年よりもずいぶんと遅いのね。選出に時間をかけたのかしら」


 いいなぁ、五指の茶会に参加できる人は……。

 私はため息をつき、窓の外へと視線を移す。木衣と呼ばれるだけあって、学院内の並木も赤や黄色を色鮮やかにまとっていた。

 学院最大の秋の祭典、五指の茶会。

 それは名家の生徒がその五指をひきつれて茶会のテーブルを主催し、それぞれの人脈と喫茶社交を披露する祭典だ。生徒会が推薦した生徒にだけテーブルを出す権利が与えられるのだが、成績優秀でかつ家格も十分であることが絶対条件だという。

 単なる子どものお茶会でしょ、などと思っていると痛い目をみる。

 この世界の成人年齢は日本より一回りはやい。しかも、学院の生徒たちは貴族の跡取り。卒業後はすぐに宮廷や軍の幹部候補生に任用される。この茶会は彼らによる宮廷社交のお披露目会でもあるのだ。

 一説には、五指の茶会に出席することができれば、宮廷での人脈が広り、将来の立身出世は保証されたのも同然、などと言われたりもする。特に喫茶作法が重視される淑女の卵には、男子たちの騎馬試合や魔術戦以上に熱が入るというもの。

 そんな一大イベントが間近に迫っているとなれば、放課後に魔術書なんて読みふけっていられるわけがない。ましてや聖王国を代表するフェン公爵家の令嬢がテーブルを出せないなど一族郎党の恥さらし。それこそ、保護者たちのお茶会にスキャンダルを提供してしまうことになる。

 ちょっと奥様、フェン家の将来が心配なのよ。あら、もしかして学院の茶会のことかしら? テーブルを出さないって本当なの。ええ、あの家も墜ちたものねぇ。


「ねぇ、聞きました? テーブルリストの発表が遅れた理由」

「もしかして、あの人のこと? 去年もテーブルに穴を空けたという問題児」


 と、隣の女生徒がこちらに聞こえる程度に声を潜ませる。


「えっ、信じられませんわ」

「それも喫茶三家にも数えられるあのフェン公爵家の方よ」

「ああ、あの災厄ね」

「実はね。問題児でもフェン家でしょう? しかも将来の聖王の婚約者がテーブルを出さないのも大問題。宮廷の方々もそのお披露目を楽しみにしているのですから。そういうご配慮があって、生徒会は今年も推薦を出したそうなの」

「まぁ。でもそれって、ちょっとズルいわ」

「だから、ご配慮なのよ。でも、今度も辞退したらしいわよ。五指がそろわなかったみたい」

「あらあら、どう思いまして? イジヴァル様」

「残念でならないわ。この件は生徒会でも問題になったのよ。その方自身も生徒会のメンバーなのに」

「そうだったんですか? でもまぁ、当然ね。公爵家の方ですもの」

「しかも次期当主のね。で、そのご本人が推薦を辞退された後も、生徒会に出席されないものですから調整することもできず、最後の最後までテーブルに穴が空いたままだったのです」


 ちらりと声がするほうに目をむける。

 そこには、イジヴァル公爵家の令嬢を中心としたグループがいた。嫌われ者のレヴィアちゃんではあるが、流石にフェン公爵家の令嬢をこうも公然と非難する生徒は少ない。しかし、同格である公爵家であれば、陰口の音量に遠慮はいらないようだ。


「あら、フェン様」とこっちに気がついたイジヴァルさんがわざとらしい会釈をした。「ちょうどお噂をしていましたの」

「ごきげんよう。イジヴァル様」


 立ち上がって会釈を返す。

 良かったわね。もし、これがレヴィアちゃんだったら、会釈じゃなくて雷撃を叩き込まれていたわよ。


「今年の茶会もご辞退されたみたいですね。フェン家の名卓をご披露いただけなくて、とても残念ですわ」

「申し訳ありませんね。今年も指がそろわず」

「あら、それは残念ですわ。フェン家の五指ともなれば選りすぐりでしょうから。お眼鏡にかなう生徒などなかなかいないでしょう」

「いえ、私がいたらぬゆえです。生徒会にもご迷惑をおかけしたみたいで、本当に申し訳ありません」

「大丈夫ですよ。私が別の者を推薦しておきましたから」


 私だって本当は出たかった。

 でも、五指の茶会にテーブルを出すには指輪を結んだ仲間が必要だ。みんなで客をもてなすことで、五指の社交と人脈を披露するものだ。

 この茶会には宮廷の高官たちも視察にやってくる。親御さんたちの参観などという生ぬるいものではない、将来の宮廷派閥を占う前哨戦でもあるのだ。


「私に比べて、イジヴァル様のテーブルは今年も賑やかでしょうね」


 顔を上げて、彼女の背後にひかえている女生徒たちを見渡した。

 彼女たちはイジヴァルさんの単なる取り巻きではなく、彼女の五指たちだ。全員が女で、家格は伯爵家以上ばかり。レヴィアちゃんの代理を務めてずいぶんと経つので、貴族の基本知識が大分ついてきた。

 彼女の五指をざっと査定すると、女だけの五指は淑女としては典型的な高得点。メンバーたちの家格も他の追随を許すまい。

 だが、よく見るとイジヴァル公爵の門下貴族の女生徒ばかりだ。五指の人脈が地元勢力内で閉じてしまっている。五指の理想としては、新しい人脈の広がりがない。

 総合得点80点。典型的な公爵令嬢です。どうもありがとうございました。 


「でも、残念だわ」


 とイジヴァルさんは、ほほ、と左手で口を抑え、そこにズラリと並ぶ銀糸の指輪を見せつけてくる。


「フェン様は生徒会にも顔を出されないでしょう。一度、ご一緒にお茶をしたいのに」

「生徒会の仕事を果たせずに申し訳ありません」


 私は生徒会にも興味があるのだけど、レヴィアちゃんが色々やらかしすぎて顔を出せないでいた。


「茶会の運営も大変だったでしょう」

「いえいえ。フェン様に運営など。お噂は聞いていますわ。北の雪山で馬を走らせ飛竜を追い回していたのでしょう。あの平民英雄をはべらせて大活躍だったとか」

「……」


 マウントを取った上で、ネチネチと刺してくるわね。

 どうも、このイジヴァルさんはレヴィアちゃんに対抗心を燃やしているようだ。同格の公爵家で年齢も同じなのだからしょうがないとは思うのだけど、それにしてもしつこい。レヴィアちゃんに魔術で負けるせいか、社交での優位性をやたらと強調してくるのだ。

 まぁ、彼女の気持ちは分からないでもない。

 レヴィアちゃんが名門貴族なのに生徒会をサボりまくっている一方で、彼女は熱心にこなしているようだ。これは何かと理由をつけてPTAをサボるOL妻に、何か言ってやりたくなる専業主婦の心境みたいなものだろう。

 とはいえ、黙って小言を刺されるのも限界だ。そろそろ切り上げようかしら、と廊下に目をやると、そこに宗谷が待ち構えているのが見えた。


「迎えが来たようです。そろそろ失礼いたします」

「あら、噂をすれば英雄さまがお待ちですか。正式に騎士科に入学されたそうね。お気に入りの従者が同級生だなんてお羨ましいこと」

「ええ。イジヴァルさんのテーブルのご成功をお祈りしています」


 そそくさ、と早足でその場から退散する。宗谷に目配せだけして、廊下を曲がってぐんぐんと進むと、息子は後ろからついて来た。思わず「助かったわ」と本音が出てしまった。


「何?」

「イジヴァルさんって、ちょっとねちっこいのよね」

「ああ、レヴィのこと?」

「五指の茶会とか、生徒会とかね。彼女、まだ若いし、やる気もあるんでしょ。気持ちは分かるんだけどさ……」


 まだ十代の娘さんで、大貴族のご令嬢で、生徒会メンバーだ。これだけ条件が揃えば数え役満。レヴィアちゃんのようなルール無視は許せないだろう。自分は頑張っているのに、ってところかな。


「五指の茶会か……。もうそんな時期だったな」

「彼女、生徒会でしょ。だから余計にレヴィアちゃんが許せないのよ。上流の貴族はみんな生徒会で頑張ってるのよ。サボっているのはレヴィアちゃんだけ。あの娘、出席すらしたことないって」

「だったね」


 だから、イジヴァルさんがチクチクと刺したくなるのは分かる。分かるのだけど、やっぱり、もうちょっと、ねぇ。


「レヴィアちゃんは、去年も茶会の推薦をもらっておきながらドタキャンしたらしいじゃない?」

「ああ〜、そう言えば去年もそんな事あったな。そうか、茶会か……。今年は参加しないの?」


 ふと息子のほうを振り返る。


「五指が足りないのよ。レヴィアちゃんお友達少ないでしょ」

「そうか、そうだったな。う〜ん、それは残念だな」

「ん? 宗谷は参加してほしいの?」

「母さんは?」


 私? 私はできるなら参加したい。だって、学院最大のイベントよ。それも女生徒たちの憧れの祭典。

 だけど……。


「って、私が参加したら問題じゃない。宗谷だって、そういうのはやめてって言ってるじゃない」

「実は」と宗谷が声を潜める。「母さんが茶会に参加するのならアリかもなって」

「どういうことよ。レヴィアちゃんじゃなくて?」

「ちょっと考えがあってね」

「考えねぇ……」


 こっちの世界で陰謀やら政治に揉まれすぎたせいか、ウチの息子はいつも難しいことを考えるようになった。若いうちからそんなスレた考えばかりだと、母として心配なんだけど。


「五指の茶会には親も参観するでしょ」

「参観ってもんじゃないわ。むしろ、子どもを代理にした親同士の戦いよ」


 と、噂で聞いています。


「まぁ、そういう側面もある。それだけ名誉なことでもあるし、主催に選ばれたら実家が茶器や調度品まで全部用意するくらいだ」


 茶会で見事なテーブルを出せれば、淑女であると認められ良家との婚約も夢ではない。だから、家をあげて娘を支援するし母親は絶対に視察にくる。

 例えば、こんな実話がある。

 ある田舎貴族の娘が、公爵家のお姉さん学生に気に入られて小指を結んだ。そして、五指の茶会に参加して立派に客をもてなす。その後日、客として来ていた伯爵家からサロンに招待されそのまま社交界デビュー。今ではその伯爵家に嫁いで玉の輿に乗ったとか……。

 嘘みたいな話だけどこれには裏がある。

 田舎貴族の娘とはいえ公爵家令嬢の小指だ。それを妻として迎えれば公爵家との人脈ができる。くわえて、社交と人当たりも良い娘なら伯爵家としても十分にアリなのだ。

 家同士の思惑が絡み合って火花を散らす。それが五指の茶会。あ〜想像するだけでワクワクしてきた。


「ソーヤ、分かってるの? 五指の茶会は女の戦いよ」

「なんかやる気だね」

「家をあげての総力戦。そんな甘い考えじゃ、」

「だからこそ、だよ」

「ん」

「娘がその五指の茶会に参加すると聞けば、レヴィのお母さんが姿を見せるかもしれない」

「レヴィアちゃんのお母様!?」


 そういえば、彼女のお母さんについては聞いた事がなかった。

 お父さんである先代のフェン公爵が暗殺されたことは知っている。そして、フェンの執事クヴァルさんに頼まれて、宗谷がその犯人捜しをしていることも。


「レヴィのお父さんが暗殺された後、お母さんはこの聖都に移り住んでいるんだ。あの人は聖王陛下の妹だからね」

「えっ、そうだったの!」

「あれ知らなかった? まぁ、よくある事だよ。魔力は遺伝するから上流貴族は上流同士で婚姻することが多いし」

「へぇ〜」


 やっぱり、現実では身分違いの恋なんて存在しないのね。


「でも普通に会いに行けばいいじゃない。親子なんでしょ」

「何度もフェン家から面会は申し出ているのだけど、なぜか全部断られている。それに、」と宗谷が口をへの字にまげる。「レヴィが嫌がるんだよ。お父さんが殺されてすぐに聖都に戻った女なんて顔も見たくもないって」

「あ〜」


 レヴィアちゃん、一度でもヘソを曲げると腸捻転になっても直さないから。


「それに、フェン家からの使いが門前払いにされるのもおかしい。クヴァル様やカーラ様がいうにはレヴィのご両親はとても仲が良かったしフェン家でのいざこざもなかった。だから、ご本人に連絡がいってないのかもしれない。どうもきな臭い感じがする」

「それで、茶会だったら直接会えるかもしれない、と」

「そう。五指の茶会は宮廷で催されるからね。近くに住んでいるはずの母親が、レヴィを一目みようと姿を見せるかもしれない」

「それって、レヴィアちゃんのお母様が暗殺事件の手がかりを?」

「うん。少なくとも、姿をくらます事情があるはずなんだ」


 なるほどねぇ。うちの息子も色々と考えているわけだ。


「だけど」と左手の手袋を外して見せる。「指が足りないわ」

「……そうなんだよね」


 レヴィアちゃんが結んだ銀糸の指輪は薬指だけで、しかも相手は日本にいる普通の腐ったおばさん(私)だ。人差し指にも黒糸の指輪がはめられているが、これは前の飛竜事件で孤児となってしまったファーヴェちゃんと結んだ腐女子の糸。とても茶会で貴族的な社交をする仲間ではない。


「それにもう推薦は辞退しちゃったわ」

「そうか」と宗谷は腕を組んでうなる。「まぁ、しょうがないな。この作戦はあきらめるしかないか」

「もうちょっと早く言ってくれれば、何とかできたかも知れないのに」

「糸に当てがあったの?」

「ふふん、こっちに来て何年になると思うの。お友達も出来たわ」

「……それって、あの黒薔薇会ってやつでしょ。まぁ、いいや。茶会に出られたとしても、レヴィのお母さんに会える保証もなかったしね」

「あっ」


 ちょうど、廊下を突き当たって右手に階段が見えた。


「じゃ」と手刀を額にあてて敬礼。「私はこれから黒薔薇会に出席しなきゃいけないから」


 手を振って階段を降りようとするのを、微妙な表情をした宗谷に呼び止められた。


「ねぇ、母さん」

「なに?」

「その黒薔薇会って、BLでしょ。こっちの世界に広げるの、どうかと思うよ」

「えへへ」

「同好会まで作っちゃってさぁ。しかもメンバーは貴族のお嬢様なんでしょ」

「まぁまぁ、これはレヴィアちゃんがはじめたことですから」

「そのレヴィからして、母さんの影響じゃないか」


 むむ、これは形勢が悪そうだ。


「それじゃ、また後で〜」

「あっ」


 階段を飛ぶように降りて逃げる。

 レヴィアちゃんの体にいる時はどうにも宗谷の小言がキツい。昔はあんなに素直で可愛かったのに、反抗期になってからは他人の趣味にまで口を出すようになってしまった。

 口うるさい息子をふりきって、地下の廊下を歩く。普段は誰も使っていないせいか壁かけの火炉はなく薄暗い。だが、向こうの部屋から明かりが漏れていた。その扉を四回ノックをすると向こうからくぐもった声が問いかけてくる。


「ネコの反対は?」

「タチよ」


 これが合い言葉だ。

 猫に反対語なんて存在しない。あえて言えば犬を思い浮かべて悩む人もいるだろう。だが、腐女子であれば即答できて当然。BLで受け役はネコ、攻め役はタチだ。小学生でも知っているぜ。


「お入りくださいませ」


 湿っぽい地下のさびついた扉はギギッと軋んだ音を立てた。その部屋の中では、大きな円卓を囲った女生徒たちが立ち上がってこちらに頭を下げている。


「お待ちしておりました」

「遅れてしまって、ごめんなさいね」

「とんでもございません。お姉さま」


 そこに並んだ女生徒たちの右手には、黒い糸の指輪がはめられている。

 貴族たちは綾取りの指輪を左手にはめる。これは左が神聖な手とされているからだ。一方、右は利き手であることが多く俗世の手とされている。その右手には綾取りをしないのが一般的だ。

 しかし、彼女たちは右手に黒い指輪をはめている。それは人の道をちょっとだけ逸脱してしまった証拠。黒薔薇会のメンバーである証。

 レヴィアちゃんが発起人となり私が集めた、おそらくこの世界ではじめてのBL同好会。

 神聖なる学院のこの地下室で、私たちは秘密結社のように暗躍をしていたのだった。

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