[2-02] 学院にはびこる黒薔薇の根
黒薔薇会は、学院の生徒たちで構成するBL同好会だ。
彼女たちは淑女の卵。それも王立学院となれば超エリートのヨード卵・光。なのに腐ってしまった業の深さゆえに誰も寄りつかない地下室に隠れ、オタク系部活よろしく活動にいそしんでいるのだった。
「お姉さま、今週の選書は決まりましたでしょうか?」
中央の古びた円卓に腰をおろすなり、メンバーがそう問いかけてくる。
私とレヴィアちゃんはここでは「お姉さま」と呼ばれていた。
一般生徒から嫌われている彼女ではあるが、この地下室ではそれなりに人気者だった。メンバーに黒糸の指輪を与え、鏡をとおしてBL漫画を配信し、しかも自ら作品発表もこなしていることで、一目置かれる存在となったのだ。
とはいえ、執筆に夢中な彼女は日本にいりびたり、ここに出席するのは私ばかりだ。でも、たまに自分の作品を発表するときは彼女が出席する。
人格が変わってしまうので不思議に思われるが、感想を聞く時のレヴィアちゃんは素直でひたむきだ。普段の攻撃的な言動はなりを潜め、作品に対してストイックな姿勢で改善点を求めてくる。
そういう時の
「ええ、今週の配信はこれにしようと思うの」
そう答えながら用意していたメモを取り出す。そこには、日本では名作と名高いBL漫画のタイトルがズラリと書き留めてあった。
黒薔薇会では鏡を通して日本のBL漫画を定期配信していた。
もともとは、レヴィアちゃんが自作の読者を増やすために結成したのだったが、毎週新作を発表できるわけではない。最近はメンバーからの創作も増えてきたが、それでも定期的な発表活動には数が足りなかった。そこで、私が選んだオススメBLを配信することになったわけだ。
これがウケにウケた。
そして日本と同じように、木陰で根をはびこらせるシダ植物のごとく黒い糸は拡大してしまった。
最初こそ、この趣味に理解がある少人数だけと黒い糸を結んだが、メンバーが友達にも紹介したいと言い始め、どこぞのSNSよろしく紹介制で黒糸の指輪を配布してみたところ。あっという間に広がってしまった。
この円卓を囲んでいるのは初期のメンバーだけだが、今では百名近くが定期配信を心待ちにしているのだ。円卓のメンバーは他の会員から「姉妹」と呼ばれ、毎週の配信内容の編集委員になっている。
「先週のリクエストを受けて歴史モノを選んだわ。中世ヨーロッパという宗教戒律に支配された世界での同性愛を描いた作品です。二人が葛藤する心理描写が素晴らしいの」
「楽しみですわ。お姉さまの選書に間違いはありませんもの」
「ありがとう。でも、心配なのは楽しむためには前提知識が必要なの。配信の前にちょっと解説を入れようかしら」
選んだ作品はキリスト教世界で同性愛をつらぬく二人の物語だ。なので、この世界の人たちが作品を楽しむためにはキリスト教が同性愛を禁じていたこと、中世ヨーロッパという抑圧的な雰囲気を理解している必要がある。
「それは先週のスリと刑事みたいなものですか。そういった設定を知らないと理解できないという」
「ええ」
前に選んだ漫画は凄腕のスリと若い刑事が協力して、凶悪な殺人事件を解決する相棒モノと呼ばれるジャンルだった。日本では大ヒットした名作で、新米の刑事が本当なら逮捕すべきスリの男に助けられて、難事件を解決していく。そのギャップが見所だった。
しかし、スリはまだしも刑事というものを知らなかったせいで、あまり楽しめなかったという声もあった。後で、こっちの世界だと衛士と法務官を合わせたような職業だ、と説明したところで「ああ、そんなドキドキがあったのね」と納得してもらえた過去がある。
「ですから、配信の前に世界観の補足をした方が良いと思うの。円卓の皆さんにはその原稿作りを手伝ってもらいたいのです」
「お姉さま」と黒髪のメンバーが眼鏡を整える。「事前にご説明をされるのであれば、同時に皆に伝えて頂きたいことがあります」
「ガリュさん、何かしら」
「希望者は増える一方ですが、黒糸の指輪が不足しています。そのせいか、まだ黒糸を結んでいない友人と一緒に鏡を見るケースが多くなり、中には学院内で騒ぎながら見ているメンバーがいたようです。それを不審に思った一般の生徒がいたらしく」
「あら」
「先日、教師の方々から質問されました。最近、女生徒達が鏡を見せ合って騒いでいるようだが、あれは何をしているのか、と」
「なるほど」
「同士の輪が広がるにつれ、規律がとれなくなっています」
この眼鏡の彼女はガリュ男爵のご令嬢で、書記をつとめてもらっている。
真面目なテキパキとした娘で、色んなことによく目が届くのだ。規則やルールに厳格なのが玉にキズな娘なのだけど、推しジャンルは意外にも甘々な愛され純愛モノ。
「オタバレは不味いわね。この趣味を他の方に理解いただくのは難しいでしょうから。そうでなくとも、騒がしいのを迷惑に思う人もいます」
「おっしゃる通りかと。それゆえのご提案です。今週の配信前に、改めて注意喚起を行っていただきたいのです。指輪が不足している中、まだ会員ではない友人と一緒に見たいのは理解できますが、せめて周りに人がいないかをよく確かめてほしい、と」
「そうね。それが良さそうね。ご提案ありがとう。そうさせて頂くわ」
「いえ、差し出がましいことを申しました」
彼女は頭をさげると、ペンをとり書記の仕事に戻った。
組織が大きくなり活動の輪が広がるにつれ、様々な問題が立ち上がってくる。ましてや、あまり品の良い趣味と自分たちだって思ってはいない。大っぴらにはしゃぎ過ぎては叩かれてしまうこともあるだろう。とはいえ、同じ趣味の仲間と語らいながら見るのは止められないのだ。
あらためて円卓のメンバーを見渡していると、次の配信について楽しそうにおしゃべりをしていた。次はライバルモノが見たい。年の差モノにしよう。など、それなりにジャンルも覚えてきたようだ。
そろそろ嗜好の違いもではじめるころだろう。変なジャンル対立が起きる前に、配信ジャンルを分けることも考えるべきかもしれない……。
「……そういえば、そろそろ五指の茶会ね」
「テーブルリストの公開は本日でしたっけ?」
「お姉さまは公爵家ですから、生徒会から推薦が届いたのでは? テーブルを出されるのですか」
腐っても上流階級のご令嬢たち。BLの話題もひと段落したのか、今度は淑女の祭典へと話題を移す。腐趣味と乙女の憧れは別腹だと言わんばかりに目を輝かせていた。
「ええ。でも、辞退させていただきました」
「えっ! 茶会にテーブルを出す機会なんてなかなか恵まれませんのに」
驚かれてしまったのを、曖昧な笑みを浮かべて適当にごまかす。
聖王国の貴族子女ならば、五指の茶会の推薦を得ながらも辞退することなどあってはならない。出たくても推薦を得られない生徒たちはたくさんいるのだから。例えるなら、コミケの出店スペース権を得ながらも準備が間に合わず、ドタキャンで穴をあけるくらいの蛮行だ。万死に値すると言ってもよい。
いや、私は参加したかったんだよ。
「ほら、私には五指が足りませんから」
「それでも……」
「ちょっと、お姉さまを困らせないの」と他のメンバーが口を挟む。「作品の執筆もあってお忙しいのですよ。しかも、ご領地に蛮族が現れたらご討伐もされているのですから」
いや。それ全部、私じゃないからね。作品はレヴィアちゃんで討伐は宗谷だから。
「そ、そうですね。申し訳ありません」
「いいえ。茶会の件は私も残念だと思っていますよ。色んな方にご迷惑をかけてしまいました」
「そんな」
どうにか誤魔化せたぜ、と胸をなで降ろしているとふと気になる様子が目にとまった。
メンバーの一人が表情を曇らせて押し黙っていたのだ。たしか、スズリ伯爵家の娘さんだ。さっきまではBLトークを楽しそうに話していたのに、茶会の話題になったとたんにうつむいてしまっていた。
「スズリさん、どうかされました」と声をかけてみる。
「あ、いえ……。何でもありません」
「もしかして、私が茶会を断ったこと?」
可能性は十分にある。
スズリさんは伯爵家の令嬢だがそれでも五指の茶会には推薦されてはいないだろう。推薦を得るためには、家格だけでなく、自身の成績や結んだ五指の人物なども査定される。あと、正直なところ生徒会メンバーとのコネが必要だ。ぶっちゃけ家柄フィルターはある。よくあるシステムだ。
そんなわけで、家柄だけで推薦を得た私が茶会をないがしろにしたのを見て、嫌な気持ちになってしったのかも。
「申し訳ありません。多くの方が楽しみにしている茶会ですのに」
「違います。違うのです。お姉さまは悪くありません」
スズリさんは頭を振って顔を伏せた。その肩が小刻みに震えていた。
「ごめんなさい。やっぱり配慮が足りなかったわ」
「いいえ。そんなことはありません。本当に違うのです」
口ではそう否定するけど彼女は両手で顔を覆い、ついに、わっと泣き崩れてしまった。
「私、私……」
「あらあら、どうしましょう」
「お姉さまが茶会に出られないのを、今、知って……。それで、いよいよ、誰も頼りにできないと分かって。もしかしたら、お姉さまが助けてくれるかも、って勝手に期待していたから。だから、もう、どうしようもなくて」
「どういうことなの?」
スズリさんに駆け寄って肩を抱きしめ、周りのメンバーに視線で問いかける。しかし、誰も事情は知らないらしく怪訝な表情を浮かべていた。
「教えてちょうだい、私が頼りに思ってくれていたのでしょう?」
「お姉さま、私」と彼女の声が落ち、「五指の茶会にテーブルを出さなければならなくなったのです」
「まぁ」
と驚いてしまった。
それはおめでとう、と言いかけて首を傾げる。それなのに泣くとはどういう事かしら?
「それは素晴らしいことではないの?」
「違います。勝手に決められてしまったのです」
「勝手に?」
「スズリのような成り上がりの家がテーブルなんて用意できません。五指を結んで頂ける方もいないのです。お父様が伯爵に取り立てられたのは数年前。元は地方の田舎貴族の次男でした。それが聖騎士に叙勲されて伯爵位に取り立てられたばかりの小さな家なのです。そんな私に五指の茶会なんて、絶対に無理なのに」
彼女はしゃくりあげて、とうとう泣き崩れてしまった。
勝手に五指の茶会のテーブルを決められた?
茶会のテーブルはたとえ推薦されても、五指がそろわない場合は辞退もできるはずだ。そもそも、五指すらそろえられない伯爵家の令嬢が推薦されるわけがない。
これはどういうこと?
「ガリュさん」と頼れるメガネ女子、書記さんのほうを向く。「何か事情をご存じですか?」
「いえ……。しかし、ある程度は推定できます。おそらくはイジヴァル公爵ご令嬢の判断かと。かの御方も生徒会のメンバーですから」
その名が出た瞬間、びくり、とスズリさんの身が震えた。どうやら、書記さんの予測は当たっていたらしい。
「どうして彼女がスズリさんを?」
「あくまで推定になりますが」
「かまいません」
「……かの公爵家が新興貴族を疎ましく思っている、との噂がございます。イジヴァル公爵といえば古くから聖王国の西方を治める名家。聖王家と同じく建国の英雄を祖にしています」
「ええ」
聖王国で公爵家は四つだけで、他の貴族とは別格の扱いを受けている。
四公爵は聖王家と同じく建国の英雄をその始祖としている。強力な魔術士でもあった英雄たちはそれぞれの地に散らばって街を作った。それが今日に続く聖王領と公爵領であり、その連合が聖王国なのだ。
「近年、地方貴族の庶子を聖騎士として召し抱えることが多くなりました。聖騎士とはいえ待遇は貴族です。ところが、一部の名家はこの新興貴族に反発している、と聞いています」
「そんなことが」
「いわゆる保守派と呼ばれる派閥ですが、その代表がイジヴァル公爵家です」
「……イジヴァルさんのご実家は、スズリ伯爵家を快く思っていない、と」
「スズリ家はその聖騎士団の団長に取り立てられて伯爵位まで授かりました。保守派の方々はスズリ伯爵とは呼ばずにわざわざ聖騎士伯と呼んで区別されているとか。元は北方男爵家の第二後継者だったと記憶しています。お姉さまのフェン家の門下貴族の出ですよ」
「あら、」知らなかった。「それで、どうして五指の茶会に?」
「おおかた、格式も伝統もない新参には茶会のテーブルは用意できまい、という意趣でしょう」
「ひどい」
「娘が五指の茶会にテーブルを出す、となれば一族をあげて家伝の喫茶作法をみっちりと仕込むものです。他にも茶器や調度品なども実家が手配します。しかし、スズリさんのご実家は、地方の男爵家の次男でしたから……」
「とても、スズリなんかに」とスズリさんが涙をぬぐう。「五指の茶会に並べるようなテーブルなんて」
五指の茶会は、子女たちを矢面に立てた家同士の社交戦争だ。
そんな絢爛豪華なテーブルが並ぶ中で質素なテーブルがあれば異様に目立つ。それを見た客たちは陰で口をそろえるだろう。なんだあの貧相なテーブルは。成り上がりの聖騎士伯の令嬢が用意したテーブルらしい。そもそも五指すら揃っていないじゃない。よくあれで推薦を辞退しなかったわ。お里が知れるわねぇ。
ヒソヒソと噂される中、スズリさんは一人で対応しないといけない。
そのイメージが頭をよぎった瞬間、私の胸には怒りの炎がわき上がった。
「ひどいわ。信じられない。それってイジメじゃないの」
「ええ」
「私、イジヴァルさんに直訴してきます」
「あっ、お姉さま。お待ちを」
「止めないで、ガリュさん」
引き留められた腕を振り払おうとするが、ちっこいレヴィアちゃんの体ではなかなか上手くいかない。
「お気持ちは分かりますが、しかし」
「何よ。これでも私は生徒会のメンバーなのよ」
そう言ったところで、レヴィアちゃんが生徒会をサボりまくっていたことに気がつく。今更、文句を言ってもあちらは耳を傾けるだろうか。
「もう茶会まで時間がありません。生徒会としても、今からの調整は難しいでしょう」
「だからといって。このままじゃ、スズリさんが」
「手はございます」
そのハッキリとした声に、振りほどこうとしていた腕をピタリととめる。
「手?」
「ええ、スズリさんを助け、茶会の運営にも支障をきたすことのない案です。ただし、お姉さまのご協力が頂けるのであれば、ですが」
「え、するする。もちろん、なんでもさせて頂くわ」
「……フェン公爵家の次期当主ともあろう御方が、そのような安請け合いをするべきではございませんが」と書記さんは佇まいを正す。「少々、ぶしつけなお願いになります」
「な、なにかしら」
何でもする、とは言ったけど。流石に何でもはできないわよ。
「お姉さまに、スズリさんの指姉妹になって頂きたいのです」
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