[1-20] 少年の竜
「リュウ様! 前方に騎兵が見えます。じきにグンシャン族と衝突するかと」
「むぅ」
リュウは愛竜であるコクライが連れてきたロンシャン族の飛竜傭兵たちと合流した後、ヘイティを追うグンシャン族たちの様子を眺めていた。
すでに彼らは騎乗の人で、飛竜たちをかなりの高さまで飛翔させ、様子を見下ろしている。この高さまで飛竜を飛ばせるのは、
東方山脈に住む飛竜民族たちは、それぞれが住まう山ごとに部族を形成している。
リュウが族長として直接統括する竜山は最も高く険しい山であり、それだけにそこに住まう民は屈強であることを知られていた。
一方の
それにしても、とリュウはため息をついた。
「あのように、列を長く、まばらに飛ぶとはな」
「まったくです」
隣に飛竜を寄せてきた若衆の一人が、軽蔑するように同意した。
「グンシャンの飛竜は野菜を食うと聞きますが、あれではあまりに」
飛竜は肉食であり野菜など食うはずがない。が、グンシャン族は飛竜による狩猟という伝統的な生業をおろそかにし、農耕をもっぱらとするようになったことから、このような侮蔑は民族全体にゆるやかに共有されている。
「飛竜は悪くないが、乗り手があれでは」
「ええ、たしかに」
「巫女を奪い返さんと躍起になるのは分かるが、飛竜の列を整え、獲物を追い込む術を知らなさすぎる。それに比べて、」
リュウの目線はさらに向こうを見据えた。一流の飛竜乗りである彼の遠目は鋭い。そこには、まるで二匹の蛇のように隊列を展開する騎兵隊がある。
「流石は、その名を世界に知られた聖王国の北方軍か。すでに迎え撃つ陣を整えよった」
「ええ、本来、馬乗りなぞ飛竜の敵ではありませんが……」
騎兵にとって飛竜傭兵は天敵だった。
機動戦を主にする点で、騎兵も飛竜傭兵も同じだが、その速度も高さも飛竜が圧倒的に上だ。加えて、飛竜乗りの主な戦術は接近してからの投げ槍だ。それに対して、騎兵は手も足も出ずに串刺しにされるのが常だ。
むしろ、飛竜にとっては歩兵のほうが厄介だろう。投げ槍は密集した盾で防がれ、後方の弓兵や魔術士の反撃を受けることになる。
「騎兵相手とはいえ、あれほどに連携された集団相手では不覚をとるやもしれません」
「だろうな。しかも、あれは魔道をあやつる騎士だな。魔術を使うぞ。一方的に槍を投げつける、というわけにはいくまい」
飛竜傭兵側も反撃の魔術を覚悟しなければならない。しかも、聖王国の騎兵たちの連携は見事だ。すでに二列に展開し、グンシャンたちを包囲しはじめていた。
「助けますか?」
「……」
リュウは腕を組んだ。
まだ勝機はある。グンシャンの飛竜はあの包囲の中に次々と飛び込み、魔術で撃ち落とされていくだろう。しかし、その隙にロンシャンの飛竜乗りを回り込ませ、騎兵たちの背後をつけば、形勢を覆すことも可能だ。
しかし、それでは飛竜が苦手とする平野で戦うことになる。ロンシャン側の被害も覚悟せねばならないだろう。
飛竜は貴重だ。もともと高山にしか住まない希少な動物であるし、肉食ゆえに飼育するのも大変だ。一般的には飛竜1匹につき100人の民が必要と言われている。冬場に飛竜乗りが傭兵となり村から家畜を奪うのは、そういった事情もある。
その貴重な飛竜を失うことは、部族の滅亡を意味するのだ。ゆえに「山から出るな」と厳命したはずなのだが……。
「あれほどの飛竜を一度に失えば、グンシャン族は立ち直れなくなるな」
「ええ」
グンシャンの部族は最も人数が多い。しかし、それでもこれほどの飛竜を失うのは大きい。飛竜は狩りだけでなく部族の守り手でもある。それを失ったと知られれば、他の部族がグンシャンを攻撃する危険性もあった。
自分が大族長となり部族を一つにまとめてまだ日が浅い。これによる部族間の均衡の崩壊は、この統一に悪影響を与えるだろう。
「わかった。一槍だけだ。横合いからすれ違いざまに投げ、グンシャンの生き残りをつれて離脱する。それ以上は、我がロンシャンにも被害が出よう」
「はっ!」
「お前は別働隊を率いて、太陽を背にする方向から攻めろ。俺は逆側から……いや、待て!」
リュウは若衆に手の平を向けて制し、黒竜から身を乗り出して目を細めた。
グンシャンの飛竜を取り囲もうとしている騎兵隊のさらに向こう側だ。そこには巨大な炎の塊が浮かんでいる。まるで、小さな太陽のように周囲を照らしていた。
「……馬鹿な」
「リュウ様。何ですかあれは!」
本当の太陽は、いつものように背後にあり、その雄大な光を大地に降り注いでいた。だが、それと対峙するかのように小さな太陽が空に浮かんでいた。
リュウに思い当たる節はたった一つしかなかった。
彼はすぐに目を細め、その小さな太陽の下に向ける。そして、予測した通りのものがそこにいた。
白い馬にまたがったあの少年が、鏡の少女を胸に抱いている。
「……やめだ。グンシャンの民には悪いが、もはや諦めるしかあるまい」
「何ですかあれは、あれは魔道なのですか? しかし、あのような巨大なもの見たことがありませぬ」
「あれか、あれは……そうだな」
リュウは顎に手をあてて、息をもらした。
「あれは、少年の竜よ」
◇
「ねぇ、ソーヤ? 私ね、怒っているの」
「へぇ」
宗谷はスノーの背の上で首をかしげた。前に乗せたレヴィアが落ちないようにその細い腰を腕で支えながら、ふと疑問に思うことがあった。
レヴィが怒ってない時って、逆に珍しくない?
「何に?」
「いっぱいあるのに、ソーヤは全っ然、本っ当に気がつかない」
レヴィは器用だ。
指を宙に滑らせて術式をなぞっている最中なのだが、平気でしゃべり続けている。普通は馬上で術式を構築するのは無理だ。聖騎士たちが魔道具を使うのは、この術式の構築と馬上の戦闘を同時に行うのが不可能だからだ。
「なんか、今回はやけに大きい魔術だね」
上を見上げて、息をのむ。
すぐ上に煌々と光り輝く巨大な炎の球がある。見上げるだけで目が焼かれてしまい、表面が乾いてしまうほどだ。
「ねぇ、あれは何?」
「自分で考えたらいいわ。ソーヤは私のソーヤなんだから、そうすべきなのよ」
やれやれ、面倒くさいなぁ。
どこかでヘソを曲げられたらしい。こんな感じになってしまったレヴィは、何を言っても無駄だ。だから大人しく、隣で馬を並べているカーラ様に聞いてみた。
「カーラ様、レヴィは何をしているのですか?」
「あ、えっ、ああ」
いつも落ち着いているカーラ様も、呆然と空を見上げていたが、ようやく気がついてこちらに向き直った。
「レヴィア様が構築している式は、そうですね。原理としては火球と同じだとは思いますが……、しかし」
「しかし?」
「式を重ねて、増幅しているのは辛うじて分かりますが……。しかし、そんなことが出来たなんて」
どうやら、凄いことらしい。
でも、何で炎なのだろうか? 飛竜の群れを蹴散らすなら嵐とか稲妻とかのほうがいい気がする。レヴィはどちらかと言えば、雷とかのほうが得意だったはずだ。
「まだ、分からないようね。ソーヤ」
レヴィの小さな口が、いつもの生意気な調子で、やれやれといった感じの深いため息をつく。
「ここ数日間、私、とーってもイライラしてたの。どーでもいい戦争なんかにかり出されて、本当にやらないといけない事があるのに。ねぇ、知ってるでしょ」
「BLだろ。でも、これも北方領の当主として大切なことだ」
「はぁ〜、やだやだ。これだから男はダメね。頭の中は戦争ばっかなんだから」
どうやら、嫌がる彼女を無理矢理つれてきた事にご立腹のようだ。無理矢理つれてきた時に、ぎゃーぎゃーと騒がれたことを思い出した。
どうやら、最近、母さんからなんとかタブレットを買ってもらったらしい。それを使えば凄いマンガが書ける、とか。ずっとそれが欲しかったのだ、とか。もっと練習してライバルに追いつくんだ、とか。
レヴィが飛び跳ねてはしゃいでいたのをよく覚えている。
読みたかったBL本もたくさん手に入れたようで、トレースして練習台にしたい作家さんもいたらしい。その人はデジタル派で有名で、解説ブログとか動画もあるらしく、なんやかんや。そんな感じでしきりに主張していた。
つまり、僕にはよく分からないけれど、レヴィはすっかりと母さんに影響されて、BLにどっぷりとハマってしまったようだ。
「私の怒りの一つは、男の理屈で私から至福のBL時間を奪ったこと」
BL側の理屈で、卑猥な妄想のネタにされる男たちにも言いたいことがあるとは思うけど……。
「そして、もう一つは、」
レヴィの指が止まった。どうやら、術式が完成したらしい。彼女が片手を天に掲げると、巨大な火球はゆっくりと上昇していった。
「私のソーヤを痛めつけたこと」
「それってリュウさんのこと?」
「こともあろうか、ソーヤから私を奪うなどとほざいていたわね。あのガチムチ野郎」
レヴィの声色が落ちて、まるで口から吐きこぼれそうになる怒りを噛みつぶすように聞こえた。
「私、言ったわよね。私のソーヤに手を出すなら、あいつらのチンケな山なんぞ火の海に沈めてやるって」
ああ、たしかに言ってたね。
ついでに、飛竜にお尻の穴をどーかされてお腹を破裂しろ、とか公爵令嬢が絶対に言ってはいけないことも言ってた。
「あのガチムチに、それが冗談などでは断じてないこと見せつけてやるのよ」
天に掲げたレヴィの手がぐっと拳をつくると、天上の炎が凝縮されて光の塊になった。
そこで、ようやく気がついた。多分、これ、本当にヤバいやつだ。すぐにスマホの鏡を耳にあて、「全軍、レヴィの魔法がきます。伏せてください!」と叫んだ。
「燃えて消えろ。腐れトカゲども!」
レヴィの腕が振り下ろされて、頭上の光の塊は前に放たれた。
それは、ヘイティの乗る青い飛竜を通り過ぎて、その後ろを追いかける飛竜の群れの真ん中に到達する。
そして、爆ぜた。
轟音が大地を叩く。
熱波が木々を燃やし、直下の雪が蒸発した。
巻き起こった爆風が、飛竜にのった男たちを吹き飛ばし。まるで炎にあおられた羽虫みたいに、飛竜たちはちりぢりと舞い落ちていく。
轟音が鳴り止むころには、当たりの風景を一変していた。そして、そこに残ったのはただの清々しい空だけ。向こう側から登ってくる太陽がこちらを眩しくこちらを照らしていた。
ん〜、と膝の上に座る少女がのびをした。
彼女は、くるりとこちらを振り向く。その小さな胸を反らして、ふふん、とご機嫌な鼻息をならした。
「ようやくスッキリしたわ。ほら、さっさと帰りましょう。BLの続きよ」
そういえば、そうだった。
僕が守ると誓った女の子は、災厄とまで称された公爵令嬢だった。
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