[1-13] コミケじゃないよ、コミッケだよ

 とうとう、この日がやってきた。

 大勢が列をなし、大地を揺らす。おのおの戦利品をもとめ、一斉果敢に流れ込む決戦の時。

 全国のよく訓練されたオタクたちが今、ここに集う。


 ——冬コミッケ。通称、冬コミ!


 ……などと意気込んで見たものの、オタクのベテランである私に気負うことなどない。

 冬コミだろうが夏コミだろうが、日本最大の、それも歴史のあるイベントなのだから、体制や運営も安定している。なので、むしろ安心していられるくらいだ。

 準備に抜かりはなかった。

 大手サークルの腐月堂さんと印刷と搬入の手続きもまとめて貰っている。現地入りの車も腐月堂さんが出してくれたから、相乗りさせてもらって会場入りすることにした。

 今は、会場裏の搬入口から会場に入ったところだ。キャリーバックを転がして、そのまま設営場所を探す。


 うわぁ〜。本当にお誕生日席だ。


 あてがわれたスペースは長机を並べてつくった島の短辺だ。

 普通なら、そこそこの行列が出来てしまう中堅以上のサークルが配置される場所だ。このスペースは角になっていて空きが広く、行列をつくりやすい。


 懐かしいな〜。

 昔、まだ漫画を描いていた頃、このスペースに憧れてたんだよね〜。そう思うと、妙に感慨深い。冬コミ誕生席スペースよ。私は帰ってきた。レヴィアちゃんの描いたBL本をひっさげて!


 ……なにも問題が起きなきゃいいけど。とほほ。


 まぁ、いいや。ここまでくれば、なるようにしかならない。

 私には、これまで、数々のサークルのお手伝いをしてきた経験があった。売り場の設営にはそれなりの自負がある。

 まずは、2000円くらいで買った大きな布を長机に敷く。それを前に垂らして売り場を目立たせつつ、アクリルのブックスタンド(500円)を机の上に置き、見本の表紙と裏表紙をそこに飾る。さらに、値段と内容を書いた客引き用のポップも作ってきた。

 そして忘れてはならないのが釣り銭の用意だ。コインケースの中には、500円玉を切れてるチーズのごとく整然と並べて、その底には1000円札の札束が唸るほど敷き詰めている。

 さぁ、少なくとも設営のクオリティはまさに誕生日席にふさわしかろう。


(お義母さま、お義母さま。いよいよですね)


 レヴィアちゃんからの念話だ。

 お早う、レヴィアちゃん。

 どうだい? ちゃんと処女は捧げられた? 上手くいかなかったとしても落ち込まないでね。宗谷も初めてなんだから。


「ねぇ、レヴィアちゃん。昨晩は……どうだった?」


 気になっていたので、さりげなく(?)聞いてみた。


(ええっと。それが……。ちょっとソーヤと上手くいかなくって)


 レヴィアちゃんの声が小さくなる。

 ああ、そうか。まぁ、どんまい、どんまい。

 よくあることだ。二人とも初めて(初めてよね?)のことだし、だったら知識だけの手探りだもんね。そんなに落ち込まないで。また何度もチャレンジすればいいんだから。


「お腐くろさ〜ん」と、後ろから声がかかる。


 振り返ると、そこには赤ぶちの眼鏡をかけた女性が、ダンボールを台車で押してやってくるところだった。


「ツッキーさん! ごめんなさい、腐月堂の代表さんに運搬なんかさせちゃって」

「いいんです。いいんですよ。これくらい。いつも、お世話になりっぱなしなんですから」


 ツッキーさんは、そのトレードマークの赤ぶち眼鏡を指でおさえながら、ぶんぶんと頭を左右に振った。

 彼女はジーンズの上から黒のロングセータに緑のワンピースを被せた服装だ。いわゆるオシャレは最低限の機能性を最優先したオタクファッション。


(お義母さま! この人があの腐月堂さんの代表、ツッキーさんなの!)


 オクターブは跳ね上がった声が脳内に響き渡った。

 ええ、そうよ。この人があの搬入口付近の壁サークル常連、超大手サークル腐月堂の代表であるツッキーさんです! 


 ……しかし、随分と大きくなったもんだねぇ。腐月堂さんも。


 腐月堂さんは今では珍しい団体サークルだ。最近のサークルはだいたい個人によるものだが、腐月堂さんは未だにチームで作品発表を行っている。

 元々は大学の同好会からの発祥で、メンバーにかなり上手い作家がいて人気に火がついた。ちょうど、同人ブームになった時期でもあり、即売会で十分な売上をあげるようになる。

 そういう時って、揉めごとが起こるものなのだ。

 人気になった要因は、メンバーの作家さん個人の実力が大きい。それは間違いない。しかし、大量の印刷や搬送、告知などはチームの力によるものだ。

 本来、趣味の世界であるはずの同人。そこに大量のお金と人が絡まりはじめる。

 特に、腐月堂さんは年間で数千万円の売上があったし、そうなると多額の納税義務が発生する。だったら、いっそ法人化したほうが税金的には有利になる。作家もメンバーを従業員にして、その報酬を人件費として計上するのだ。すると、その取り分が問題になる。


 ああ〜。あの時は大変だったな。


「お腐くろさん、段ボールここに置いておきますね」


 遠い目で昔を懐かしんでいると、ツッキーさんが長机の下に段ボールを押し込んでいく。


「あ、ありがとう。いや〜。500部もすると流石に多いわ。あと2つくらい?」

「はい、全部で4箱でした。残りとって来ます」

「大丈夫よ。自分で取りに行くから。腐月堂のスペースのほうが大変なんだから、今回も1万部はさばくでしょう?」

「いいんです。私にはメンバーのみんながいるし、お腐くろさんが紹介してくれた熟練の売り子さんもいますから。代表としてお腐くろさんのお手伝いをするのが、私の一番の仕事なんですから」


 そう、有無を言わせない様子で台車に手をかけると、ツッキーさんは肩を精一杯いからせて、ずんずんと搬入口のほうへ消えていった。


(あれが、腐月堂の代表。ツッキーさん)


 そうよ、二代目代表のツッキーさん。

 まだまだ小さかった腐月堂をここまでの大手にした前任者は、もう商業デビューしてプロになってしまった。今や、彼女は超売れっ子BL漫画の大先生だ。

 偉大な前任者の後を引き継ぐのは大変だっただろう。大先生が商業デビューすると言ったときはメンバーもファンも大混乱で、一部の人からは「腐月堂はもうオワコン」などと言われたこともある。それなのに、新刊のクオリティーを落とすことなく、見限ったファンをも取り戻したツッキーさんは本当に頑張り屋さんなのだ。


(なんか、思っていた以上にしょぼい人ねぇ)


 まぁ、見た目はね。それに、ツッキーさんは腰の低い人だから。

 かの大先生の人柄は、よく言えば大人物、ありていに言えば大雑把な人だった。ツッキーさんは長い間、その前任者のアシスタントをつとめあげた人だ。

 あの人のアシスタントは、腕は高くて腰が低くないと務まらない。そゆこと。


「さて、並べるわよ」


 一つ目の段ボールを開いて本を取り出す。

 机の上に積み上げていく。50ページの本を段ボール2つ分も積むと、ちょっとした城壁みたいになる。

 さぁ、崩せるものなら崩してみなさい。

 この城壁は、歴史に残してはならない黒き妄想。ゆえに、現実によって簡単に打ち砕かれてしまうでしょう。具体的にいうと、100円玉を3枚投げつけて下されば1冊差し上げます。


(ねぇ、やっぱり、300円は安過ぎると思うの)


 レヴィアちゃんがぼやくように言う。


「いいえ、300円よ」

(でも、それじゃあ。全部売れてたとしても、印刷代とか考えたら利益はほとんどないわ。ちょっとでも売れ残ったら赤字じゃない。50ページもあって、印刷も上等にしたんだから、普通だったら……、せめて500円に。そしたら、ペンタブが買えるかもしれない。ペンタブレット。それがあれば本格的にデジタル作画を始められるし、素材集とかも買えるし、他の人の新刊だって、)

「絶対に、300円よ」


 断固とした意思をこめて、そう言い切った。


「レヴィアちゃん、仮に全部はけたとするわ」

(え、ええ)

「仮にそうなったとして、それが本当に自分の頑張った結果だと思えるの?」

(……)


 その無言が彼女の答えだ。

 きっと、いくつかは私の知人が買っていくだろう。例の大先生や風月堂さんもツイートしていたから、それで知った人も買っていくかも知れない。そういう友人関係の影響でいくらかこの本は売れてしまう。

 普通、同人をはじめたばかりの人は、はじめに読んでもらうための努力をしなければならない。イラストSNSに投稿したり、twitterをしたり、グッズをつけたり、色々だ。

 そういう努力で彼女はズルをした。結果、初めてなのにお誕生席だ。人気席だから、という理由だけで買っていく人だっている。


「だったら、お金なんて稼いじゃダメ」

(……はい)

「新刊なら買ってあげるから、ね」

(分かりました)


 どうせ、新刊は自分用に買うつもりだったし。

 さて、と。

 一通り、準備は終わったかな。見本よし、ポップよし、釣り銭の準備よし。……うん。突貫で準備したわりにはそこそこ見れる感じの売り場が出来上がったと思う。

 レヴィアちゃんにはお金稼いじゃダメ! なんて言ったけれど、正直なところ赤字になっても困る。

 私は性格が臆病だから、儲け過ぎるのも怖いけど、赤字も嫌なのだ。リーズナブルなのが一番。利益になったお金で、戦利品のBLを買いあさってトントンでした〜、ってのがコミケの楽しみ方ってものよ。


「あ、あの〜」


 設営完了の余韻にしばし浸っていた私に、背後から声がかかった。

「はい」と、振り返った私の呼吸が止まった。

 そこには、長蛇の列が出来ていた。女の人ばかりがウネウネと、本を抱えながら列をなし、こちらを覗きこんでいる。


「あ、あの。私、今回、一緒にサークル参加させて頂いてます。犬山るいといいます。はっ、はじめまして!」


 先頭にいた20代くらいの女性が頭を下げた。

 反射的にこちらも「はじめまして」と頭を下げたが、頭の中はこんがらがっていたまだ、一般入場がはじまる前なのだ。列なんて出来るわけがない。それも、かなりの人数だ……。


「あ、あの。失礼ですが、あの池袋のお腐くろさんですよね?」

「え、ええ。私をそう呼ぶ人もいるわ」


 咄嗟のことで、荒野のガンマンみたいな答えになる。


「はじめまして、ご挨拶に参りました。こ、これ、私の代表作と今回の新刊です」

「あら?」


 両手で差し出された本を見ると、そこには見覚えのある表紙があった。大きな狼と裸の男が絡み合うこの構図。これはっ!


(お義母さま! この方は、もしかして!)


「って、人外BL界の巨匠、犬山るい先生じゃないですか! えっ、ご本人!?」

「巨匠だなんて、そんな。……実はコミケでは別名参加なんですが、常連でして」

「もちろん、知ってますよ。先生が描く獣人化二次創作には、私もお世話になってるんですから」

「本当にですか? 嬉しいです。あのお腐くろさんに読んで頂けてるなんて」


 ふぁ〜。ご本人だよ。

 あの獣人陵辱モノを描かせたら右に出る者はいない、とまで言われた犬山るい先生。

 彼女も同人から商業デビューした作家の一人だが、その後も二次創作で、獣人化させたキャラにご自分の推しキャラを襲わせるマンガをちょくちょくコミケに出している。(そして、一部の原作重視派と対立している)

 それにしても、あんな鬼畜ドエロ漫画を描くのだから、私と同じくらいのおばさん、だと思っていたけれどまだ結構若いのね。いや、若くないと、あんな勢いのある汁っけは描けないのかもしれない。


「わざわざ、ありがとうございます。あっ、でも先生の代表作はもう持ってるので、新作だけで結構ですよ。お返しにこちらの本も、先生のクオリティに釣り合わず申し訳ないですが、ご挨拶の代わりに……あっ」


 ここで、一つ失敗に気がついた。

 こちらの本はレヴィアちゃんの力作ではあるけれど、初めて描いた本でお値段にして300円だ。かたや、相手はあの犬山るい先生の新刊だ。確実に1000円はする。って、いうか5000円くらい払っても欲しい。

 まずいわ、まったく釣り合いが取れてない。


「その〜。先生の美麗な本と交換なんて、本当に恐縮で」

「そんなの、全然。あのお腐くろさんが参加されると聞いて、どうしてもご挨拶したくて」と先生は勢いよく手を振る。「あら、申し訳ありません。時間を取り過ぎてしまいました。他の人も待ってますから。また、今度、ゆっくりとお話させてください」


 先生はそういって、レヴィアちゃんの本と新作を交換すると後ろに並ぶ人に頭を下げ、そそくさと退散していった。

 呆然とそれを見送っていると、次の人が前にでる。その人も胸に、おそらく自分の本らしきものを抱えていた。


「はじめまして。お腐くろさん。サークル東雲しののめのおちゃこです。この度はご一緒させて頂きます」

「は、はじめまして、おちゃこさん。お腐くろです」

「こちらご挨拶の代わりです。何卒よろしくお願いします」


 そう言って、おちゃこさんも本を差し出された。最近、人気になったアニメの二次創作だ。


(お義母さま! それ、私が欲しかったヤツです! 読ませて!)


 お、落ち着きなさい。レヴィアちゃん。


「こちらこそ、よろしくお願いしますね。おちゃこさん」


 そう言って、本を交換している横で、腐月堂のツッキーさんが「お腐くろさん、在庫はスペースに入れときます」と台車を走らせてやってくる。

 まだ一般入場すらはじまっていないというのに、私の周囲はすでに慌ただしかった。


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