[1-11] 宗谷の母です

 伯爵以上の領地貴族であれば、その屋敷には必ず応接間サロンがあるものだ。

 貴族の夫婦の役割を表す言葉として「主人がゲートを守り、夫人は応接間サロンを仕切る」というものある。

 聖王国の歴史は長い。昔は屋敷を構える領地貴族が各地に点在していたため、聖王巡回などの貴族社交の際には夫人が取り仕切るサロンは重要な役割を果たしていた。現在は、聖王による中央集権化が進んでいるため、領地貴族の数は減り、聖都に常駐する宮廷貴族の数が増えている。

 それゆえ、この格言を古くさいと思う向きは増えつつある。それでも、サロンで培われた喫茶や社交文化は根強く残り、今も貴婦人の嗜みとしてこれを学ぶ貴族は多い。

 そして、聖王国の大貴族であるフェン公爵家のサロンといえば、数百年の歴史がある大サロンであり、かつては「北の宮廷」と呼ばれたこともあるほどだ。華燭は必要程度にして慎ましく、北国らしい質実剛健な作りをしている。特に、中央に据えられた暖炉とその背面のパイプオルガンが壮大だ。

 そして、何よりも、そこで給される喫茶で知られている。フェン家の秘術である花魔術を用いた花茶。それは「喫茶三流」の一つに数えられ、静寂のフェン流として知られている聖都でも、この喫茶魔術を好んで学ぶ貴婦人も多い。


 そして、私は今、その有名なフェン家のサロンで、フェン家の貴婦人代表であるカーラさんとお茶会をしているのです。いや〜、楽しみね。粗相がないよう気をつけないと。

 それにしても、こっちの世界のお茶は花茶なのよね。

 ティーカップは陶器だし、建物は西洋風だから、お茶は紅茶なのかと思っていた。でも、ハーブティーがもっぱらで、特に乾燥させた花をお湯でもどして浮かべる花茶がとても多い。

 さて、今飲んでいる花は何かしら? 丸くて開く前のつぼみみたいだけど……。


「とても美味しいです」

「そう、おいしい、ですか……」と、カーラさんもカップに口をつけた。


 レヴィアちゃんのお屋敷に到着して数日が経過していた。

 今までは、学院の寄宿舎での生活だった。なので、貴族とはいえ、身の回りの事は自分でやらないといけない大貴族の学生の中には、雑用は従者にやらせている子もいるらしいけど……ウチの従者は息子なんだよね。

 そんなわけで、異世界だろうが公爵令嬢だろうが、私のやることは変わらない。従者を食べさせるために毎日家事を頑張ってます。

 なのに、お屋敷ではすべて使用人がやってくれる。例えば、手を叩けば、ハンナちゃんがジュースを持って来てくれるだろう。いや、だからと言って実際にはやったことはない。ハンナちゃんまだ新人でただでさえ忙しいのだから。

 だけど、小腹が空いて厨房に忍び込んで時は大変だった。

 そこら辺にあったパンとチーズと、玉ねぎとベーコンを使って簡単なトーストピザを作ったのだ。

 かまどに火を起こして、パンを切って具をのせ、チーズをナイフで削り切りにしてパラパラっと。それをかまどに投入して、とろ〜り、と焼けるのを鼻歌でアニソンを流しながら、うきうきで出来上がりを待っていた。

 その時、背後で使用人たちが卒倒する音が聞こえて、彼らが「お手を煩わし、誠に申し訳ございません」と頭を下げてきた。なんて大げさな人たちだ。そんな事はいいから、焼きたてトーストピザを一緒に食べない? 美味しいよ?


 わけも分からず連れてこられたけれど、屋敷でのお嬢様生活はなかなかに楽しかった。

 北国で寒いのが残念だけど、お庭も綺麗だし、大浴場もあるし、家事は基本しなくてもいい《癖でついやってしまうが》。

 そして、今はこうやって、カーラさんに誘われてのお茶会ですの。おほほほほ。


「おいしい、だけですか? 他に気がついたことは?」


 カーラさんはその色気っぽい表情で、首を傾げてこちらを見ている。


「え、え〜と、ちょうどいい酸味がスッキリ?」

「……この茶に浮かべた花は、白鈴花しらすずの蕾です」

「あら、やっぱり蕾だったのね」

「白鈴花は、レヴィア様は当然、ご存じだとは思いますが、フェン公爵家の紋章に使われているものです。狼の紋章を縁取る草紋が白鈴花ですから」


 へぇ〜。そうなんだ。

 私にはまだ知らない貴族としての知識が多い。挨拶くらいなら、周囲を観察すればなんとかなったけれど、家名や紋章などになると流石に一人じゃ無理だ。レヴィアちゃんは全然教えてくれないし。

 それでも、いくつか分かっていることはある。

 例えば、聖王国の喫茶文化は淑女の嗜みとされていて、花茶が特に好まれるのはそれが花魔術に関係するからだ。薬効、滋養強壮、リラックスに美容効果となんでもござれ。薬効だけでなく、社交でも重要な役割がある。花言葉に応じた花茶で優雅にこちらの意図を伝えたりもするらしい。

 私もちゃんと勉強したいと思っていたのだ。


「なるほど。それで、白鈴花の蕾にはどのような効果があるのですか?」


 せっかくのチャンスだ。ここはカーラさんに教えて貰おう。


「肌を白くする効果ですわ」とカーラ様の目がすぅと細くなった。

「あら、素敵です。それでカーラ様はそんなに綺麗なんですね。私もたくさん頂かないと」

「……そうですね。その前に、人払いをしましょうか」


 そう言ったカーラさんは、左右に控えていた給仕たちに合図して部屋から出ていくように指示した。背後で、扉が閉まる音がして、こちらをじっと見ているカーラさんと私だけが残される。


「さて、これでゆっくりとお話ができますね」


 カーラさんは指をその赤い唇にあてる。その指には貴族の証拠である銀の糸で編まれた指輪が並んでいる。

 おや? 薬指が空いているじゃないか? ということは、まだ未婚ね。そりゃ、色気もむんむんと出るわけだ。


「貴方はどちら様でしょうか?」


 カーラさんの声が冷たく、私を突き刺した。


「……」

「本物のレヴィア様は今、どこにいるのかしら?」


 え、えーと。も、もしかして、バレちゃってる!?


「な、なんのことでしょうか」


 よりにもよって、宗谷がいないところでバレた。

 それも、なんかご親戚のとても偉い人のカーラさんに、バレちゃった。どうしよう! どうしましょう! どうすればいいの!?


「白鈴草の蕾にはなんの効能もありません。飲んで肌を白くなるなど真っ赤な嘘。仮に、そんな効能があれば毒物の類でしょう。白鈴草の本来は、開花しその頭が垂れるようになったところを魔術で氷結し、湯で戻していくのが定則。その時にはじめて鎮痛解熱の薬効が出る。レヴィア様なら、当然ご存じのはずの初歩中の初歩」

「……」

「そんな無意味な白鈴花の蕾をわざわざ茶にした意味。本物のレヴィア様ならすぐに気がつくわ。私はそれを見るのを楽しみに、こんな無意味な茶をこしらえたのだから」


 はぁ、とため息をついたカーラさんは、こちらを睨みつけた。


「茶は社交よ。こちらの意思を伝えるための作法。私が公爵家の紋章花を蕾のままに出した意図。お分かり?」

「……未熟者の当主ってことですか?」


 カーラさんはその答えにニッコリと笑った。


「ええ、貴方が誰かは知りませんが、頭は悪くないようね。正確には、レヴィア様は未熟者な上に無意味な当主ですから、はやく一人前になるようにカーラは応援しております、というメッセージ。もし、貴方が本当のレヴィア様なら、この茶を見た瞬間に私に中身をぶちまけていたでしょう」


 ……それを分かってやりますか。


「軍議での立ち振る舞いも奇妙だった。私がわざわざ用意した屈辱を前にして、おいしいなどと言って茶を飲み干す無知さ。私の知っているレヴィア様ではありません」

「……」

「どうやら、ソーヤもこの事は知っているようですね」

「そ、宗谷は。悪くないわ」


 悪いのは、お宅のレヴィアちゃんで、彼女が王子暗殺に関わっていて、それで、それをソーヤが止めようとして、私たちが入れ替わったのよ。


「ええ、そうでしょうね。あの少年は絶対にレヴィア様を害することはできない。そのように縛られている」

「えっ、どういうこと」

「ほぅ、それも知りませんか。だとすれば、なおのこと分からないわね。まぁ、いいでしょう。魔術も知らぬ相手であれば、ことは簡単です」


 カーラさんの細長い指がテーブルの上に置いてあった筒を掴む。彼女がそれを持ち上げると、シャカ、と音がなった。

 彼女はそのまま手首をゆっくりと回して、シャカシャカ、と音を鳴らす。


「これは、シャカシャカという子供用の玩具に似せた魔道具です」

「……」

「私の魔術工房でも人気のある作品です。音響魔術のことはご存じないでしょう? 音を重ねて術式とし、主に脳や血流に作用する魔術です。私が最も得意とする魔術体系でもあります。シャカシャカの魔道具は、本来は弱い魔術で寝つきの悪い赤子の安眠を助けるものですが。これはフェン家の銀細工で作り上げた強力な魔道具です」


 カーラさんの説明が遠くに聞こえて、シャカシャカと鳴る音が心地よく体に染みこんでくる。


「……なんだか、とっても、不思議な……音。海の音?」

「あらあら、ずいぶんと無防備な魂をお持ちのようね。もう、術にかかりましたか」

「ああ……うん。そうなのかな」


 なんだか。とっても、眠い。


「質問です。答えなさい」

「……はい」

「貴方は誰?」

「私? 私は、宗谷の母です」

「ソウヤ? ソーヤの、母上?」

「ええ」

「……これは、驚いたわね」


 カーラさんの声がまた遠くに聞こえる。

 シャカシャカ、シャカ。


「ソーヤの母上であれば、どうやって?」

「入れ替わったの。宗谷からもらった指輪で。気がついたら、レヴィアちゃんの体になっていて、聖壇の大鏡の前にいたの」

「つまり、貴方もソーヤと同じように、こことは別の世界から来た?」

「ええ、そうよ。私の嬉しかったわ。本当に嬉しかった。あの宗谷が戻って来たの。ずーと、待ってたんだから」


 涙があふれてきた。


「……なるほど」


 シャカシャカ、シャカ……。

 音が止まった。

 徐々に曖昧だった意識がもどってくる。強烈な眠気がどこかにいって、ぼやけていた視界もくっきりとしてきた。

 あれ、私はいったい。そういえば、カーラさんとお茶会で、入れ替わりがバレちゃって……。

 はっ、と顔を振って前を見る。


「大変な失礼を致しました」


 そこには椅子から立ち上がり、深々と頭を下げるカーラさんの姿があった。見間違いかと思って、涙を拭き、もう一度見るがやっぱりカーラさんが頭を下げたままだった。


「えっ、え? あれ?」

「ソーヤのお母様と知らずとはいえ。催眠の術にかけた無礼。このカーラ・フェンの不徳でございました。私めの謝罪を受け入れて頂けますよう、節にお願いを申し上げます」


 そういって、カーラさんの腰と頭がさらに下がった。


「ちょ、ちょっと止めてください」


 慌てて椅子から飛び降りて、カーラさんの手を取った。


「お顔を上げてください。私がどうしたらよいか、また分からなくなるから」

「ご容赦を頂けますか」

「頂けます! あげますから。いくらでも」

「ありがとうございます」


 それでようやくカーラさんは身を起こした。


「ええっと、確か。私の正体ってバレてますよね?」

「はい。ソーヤのお母様で、レヴィア様と鏡魔術で入れ替わっておられるとお見受けしました」

「ああ、もう。そういうお堅い言葉づかいは止めましょうよ。せっかくのお茶が美味しくないわ」

「しかし、」

「もう。頑固はやめてください。カーラさんはレヴィアちゃんの事が心配だったのでしょう。それだけのことよ。私だって、宗谷に何かあったら、何でもやっちゃうわ。だから、ちゃんとお話をしましょうよ」

「……分かりました」

「ほら、座って座って、せっかく美味しいお茶を煎れてくださったんだから」

「しかし、その茶の意味は」

「美味しければ何だっていいのよ。ほら、おかわりをくださいな」


 ティーカップを差し出すと、ようやくカーラさんはくすりと笑って、ポットを手にとった。


「では、不実の茶ではありますが」

「いえいえ、頂きます」


 注がれたお茶から、湯気とともに香りが広がる。

 ようやく、ほっとした。

 それにしても驚いた。バレちゃったね。どうしよう?


「ご質問をしてもよろしいでしょうか?」

「固いのはなしって約束しましたよ」

「……失礼しました。お聞きしてもよろしい?」

「ええ」

「レヴィア様はどちらに?」

「レヴィアちゃんなら、私の家にいるわ。三食昼寝つき。安心してください、ちゃんと彼女は戻ってこれますから」

「つまり、今はソーヤの世界に?」

「ええ」


 そして、冬コミに向けてBL漫画を描いています。


「そうですか。どうやら、あちらでも周りを困らせているようですね」

「そうなのよ。大変なのよ。子どもが一人増えたみたい」

「ええ、安心いたしました」

「安心してください。今は私がレヴィアちゃんだけど、普段はレヴィアちゃんがレヴィアちゃんだから」


 ……最近は、私がレヴィアちゃんの時間のほうが多いけど。


「そうですか。であれば、レヴィア様のワガママで入れ替わっておられる?」

「まぁ、そうね。私もちょっと楽しんでるけど」

「そうですか、それを聞いて、なお安心しました。まったく、あの子らしいことです。この蕾の茶は、後でレヴィア様に飲ませてやることにしましょう」

「え、ええ」


 う〜ん。この意地悪なお茶をやっぱり飲ませるつもりなのね。

 カーラさんって、ちょっと不思議な人だ。レヴィアちゃんのことが好きなんだか、嫌いなんだか。よく分からない。


「それにしても、精神の入れ替わりですか」

「ええ。レヴィアちゃんの綾取りの指輪と聖壇の大鏡でね。入れ替わっちゃうのよ」

「おそらく、レヴィア様が編んだ指輪と大鏡だからこそ出来る芸当でしょうが……。指輪を拝見してもよろしいでしょうか?」


 私の左手の薬指には、綾取りの指輪がはめられている。

 第一王子の婚約者である私が、薬指に指輪をはめていると問題になるので普段は手袋で隠している。もっとも、これは後で知ったことだが、学院の生徒である内は、女同士の薬指の交換であれば問題にはならない。

 未婚の時は、親友と薬指を塞いでおくのは淑女の嗜み。だから、私とレヴィアちゃんが薬指を交換しても何の問題もなかったのです。


「ええ、どうぞ」


 請われるがままに手袋を外して、薬指に光る銀糸の指輪を見せてみた。

 この綾取りの指輪はかなり丹念に編み込まれたものだ。遠くからだと分かりにくいけれど、よく見ると狼の絵柄が編み込まれている。細かいところでオシャレが光る、ナイスなアイテムだ。実は私、このデザインはかなり気に入ってたりする。


「まぁ、あの子ったら」とそれを見た瞬間にカーラさんが目を細めた。「この指輪、本当はソーヤに渡すつもりだったのでしょう」

「あら、どうして分かったの?」

「綾取りの指輪は、一生に一度、貴族がその魔術のすいを集めて編み上げる術式です。高位の貴族が編み上げる指輪はその家に伝わる秘術を施した見事なものばかりです。ゆえに、左手に並ぶ綾取りの模様を見るだけで、その貴族の格が分かるというもの」

「へぇ」

「これほどに緻密で、整然とした編み術式は私でさえ見たことがありません。こんなものを見せられたら、聖王家の指輪でさえ、かすんでしまうでしょう」


 ほう、なるほど。

 つまり、この指輪はレヴィアちゃんのラブがつまったスペシャルリングなんだね。


「しかも、狼の模様を編み込んでいる。これは先代公爵である、兄様のものと同じ模様」

「カーラ様のお兄さんって、レヴィアちゃんのお父さん?」

「ええ。すでに亡くなりましたが偉大な人でした。兄様がお隠れになってからのレヴィア様はずっと部屋に引きこもったままで、兄様と結んだ親子の指輪を外そうとしなかった」

「そうなんですか」


 自由奔放わがままガール、であるレヴィアちゃんにもそんな辛い過去があったのね。


「死者との指輪をそのままにしておくことは大変危険なこと。死の世界に引き込まれてしまうし、指輪で繋がった霊体が思念となり精神を侵食していきます。そんな道理はあの子には分かっていたはずですが、何度厳しく言いつけても絶対に指輪を外そうとしなかった」


 昔を懐かしむような目をしたカーラさんは、妙に年齢相応に見える。


「あの鏡張りの部屋から一歩も出てこようとしなかった彼女が、ある日突然、ソーヤを連れて外に出てきたのです。その時には、彼女の親指にあったはずのあの指輪はなくなっていました」

「そうなんですね。そんな事が」

「だから、私たちにとってソーヤは恩人なのです。あまりに偉大な先代を失い、路頭に迷う公爵家に光をもたらした少年。あの時は背がまだ低くて本当に少年みたいでしたから」

「あらあら、うちの愚息がお役にたったようで何よりです」

「まぁ、そんな」


 カーラさんは手を口にあてて笑った。


「流石は、あのソーヤのお母さまですわね」


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