[1-03] 相指《あいし》
「……宗谷は本当に英雄さんだったのね」
「さぁ、それは分からないけど」
宗谷は恥ずかしがって顔を伏せた。
ちょうど、彼の話を聞き終えたところだ。その話の内容はとてもすごかったので、私はため息をつくことしか出来なかった。
「凄いじゃないの。その飛竜に乗った傭兵たちをレヴィアちゃんと二人でやっつけたんでしょ?」
「ほとんどレヴィのおかげだよ」
「でも、宗谷だって頑張った。そうでしょ」
「……うん、まあね」
胸を押さえて、息子の活躍に思いはせる。
嬉しい気持ちもあったけれど、それよりも胸一杯に不安がこみ上げていた。私が知らない間に、宗谷が戦争に巻き込まれてしまっていた。私の記憶にある宗谷は、優しくて、どちらかというと気弱な男の子だったのに。
「それにしても、宗谷ってそんなに強かったかしら」
頬に手をあてて首を傾げる。
姉の
「まぁ……でも、お姉ちゃんの稽古には昔から付き合わされていたし、それに、」
「それに?」
宗谷が眉をくもらせて、口をつぐんだ。そのまま窓の外に視線をそらす。
「まぁ……こっちで訓練とかもしたから」
「へぇ〜。じゃあ才能があったのね」
ウチの息子の意外な才能。美味しいです。
「そういうのじゃないよ。きっと。まぁ、偶然だよ」
曖昧に言葉を濁らせて、宗谷は馬車の扉を開けはなった。
ここは走行中の馬車だ。それなのに、開いた扉の側に宗谷の白馬が横付けに近寄って併走する。その馬は、待ってましたとばかりに、ソーヤのほうをじっと見ていた。
「あら、もう行くの?」
「色々とやる事があるんだ。ヴァン様に聞かなきゃならないことも。母さんはそこで大人しくしておいてよ」
「あっ、待ちなさい。最後に一つ」
「なに?」
「あの隊長の、聖騎士のウィスさんだけど、」
「ああ、」
宗谷は肩をすくめた。
「怒らせちゃったみたいなの。私、挨拶とか間違ってたかしら?」
「大丈夫だよ。逆に丁寧すぎ。横で見ていたけどさ、レヴィじゃないってバレちゃいそうで心配だったんだから。……ウィスさんのあれは、きっとレヴィが原因だよ。だから、気にしないでいい」
「そうなの」
「彼女はミハエル様の直属だからね。レヴィはそういった人たちに、あまり評判がよくないんだ」
「ああ、なるほど」
「じゃあ、また来るから。だから、大人しくしておいて」
宗谷はそう言うと、馬車の外にぱっと飛び出してそのまま馬にまたがってしまう。
そのまま、近くに馬を歩かせていたヴァンおじ様のほうへ近寄っていくのを、私は窓からぼぅと眺めていた。
◇
宗谷は馬の腹を軽く叩いて前に進めた。
愛馬のスノーは駿馬ではないが、馬体がしっかりとしてスタミナがある。そして、何より頭の良い。手綱を少し引いただけでこちらの意図をよくくみ取ってくれた。
目的は黒い軍馬に乗った白髪の男。ヴァン騎士団長だ。
「ヴァン様」
「待っておったぞ。ソーヤ」
宗谷は馬を左右で併せると、速度をなみ足にゆるめた。
「聖騎士を30騎ですか。しかも、あのウィスさんを」
ウィスさんはヴァン様の娘としても、若いながらも優秀な武官としてもよく知られていた。女性ながら胆力があり、そこをミハエル様に認められて一団を任されていると聞いたことがある。
「レヴィア様のご様子は?」
「大丈夫です。気にしていませんよ」
もし、相手がレヴィ本人だったら大変だっただろうが、今は母さんだ。
「それに、レヴィにはあれくらいしないと伝わりません」
「はは、相変わらずの従者ぶりよな。……すまんが、迷惑をかける」
ヴァンが馬上で頭を下げたのを見て、慌てて手を振る。
「いえ……。あの、質問してもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わん」
「この護衛はミハエル様のご命令ですか」
ふむ、とヴァン様は目を閉じた。
「まぁ、そうとも言える。この派兵にはミハエル様の意図も含まれているようだ」
「そうですか」
聖騎士30騎は、護衛にしてはあまりに過剰だ。
ミハエル王子の指示であれば、やはり、目的は自分たちの監視だろう。そこには、これだけの聖騎士をそろえればレヴィにも対抗できる、という打算もあるのだろう。
思わず眉を寄せて考え込んでいると、ヴァン様が、どれ、と声をかけてくる。
「どうだ、二人で斥候に出ようか。話したいことがある」
「……このままではいけませんか。あるいは、馬車の中でも」
聖騎士たちの真の目的がレヴィなら、彼女を一人にするわけにはいかない。
「そう身構えるな。レヴィア様の前では言いにくいこともある。かのご令嬢は、最近は随分と落ち着かれたようだが、災厄とまでに恐れられた大魔術士だ。年寄りに無理をさせんでくれ」
「……レヴィを一人に出来ません」
「相変わらず、お前は過保護よな」とヴァン様は肩をすくめ、「ウィス!」と声をあげた。
すると、聖騎士装束に身をつつんだウィスさんが馬を寄せてきた。彼女はこちらをちらりと見ると小さく会釈する。
「儂はこれからソーヤと斥候に出る。こいつを預かっておれ」
ヴァン様はそう言うと、腰から長剣を鞘ごと引き抜いてウィスさんに押しつけた。
「良いか。レヴィア様に二度と失礼のないようにせよ。まして、危害を加える事など絶対にするな。お前がミハエル様より、どのような命令を受けていてもだ」
「それは、……なぜ剣をお渡しに」
「命令を復唱しろ!」
「はっ。レヴィア様に失礼のないよう徹底致します」
「ソーヤよ。頼む。部下の前で言えぬこともある。ついて来てくれ」
「……わかりました」
丸腰になったヴァン様が手綱をうって前に飛び出した。
ヴァン様は剣をウィスさんに預けて行った。つまり、命を僕に預けたということだ。仮にレヴィに何かあれば、自分を殺すなり人質にするなり好きにするがいい、という意味でもある。
ヴァン様ほどの方から、ここまでお膳立てをされてはついて行くしかない。
「ウィスさん」と残された彼女に声をかける。
「なんでしょう」
「レヴィには、ちゃんと言うべきことを言ってください。構いませんから」
「は、はぁ」
戸惑った顔を浮かべる彼女を置いて、スノーの腹を蹴る。先行するヴァン様を追いかけ、ほどなく馬を並べると、馬をあわせて護衛団から離れていった。
やがて、ちょうど街道の左右に林が立ち並びはじめ、視界が狭まりはじめた頃合いで、
「ここら辺でいいだろう」とヴァン様が手綱を引いた。
「ええ」
速度を並足にかえて、馬を寄せる。
「お話、というのは?」
「少し状況がややこしくなってきた、と思わんか」とヴァン様が遠くを見ながら聞き返す。
「と、言いますと」
「今回の飛竜民族の襲撃。同時に西では帝国に不穏な動きがあるとの報もある。前の聖都襲撃もまだ記憶に新しいというのに、方々が活発に
「ええ」
「それに……、ミハエル様とレヴィア様、それとお主の関係も、な」
「……」
無意識に手綱を拳に巻いて固く握りしめた。
ヴァン様の馬足は変わらない。その穏やかな口調もそのままだ。
「西方の奴隷帝国の拡大はいちじるしい。噂によると若き軍司令が台頭し、軍を精強に作りかえ周辺諸国を巧みに取り込んでおるそうじゃ。膨張する帝国に対抗しうるのは、もはや我が聖王国のみじゃろう。しかも、帝国は飛竜傭兵どもと手を結んだという噂もある」
「つまり、頭上握手の計にはめられた、と?」
頭上握手の計とは兵法教書にも書かれている計略で、敵対する国を挟んだ国同士で同盟を結ぶことだ。
「ほう、戦略論も知っていたか。ふむ、ソーヤよ。今、奴隷帝国の決戦が起こればどうなると思う?」
ヴァン様がゆっくりと首を振り向けて、こちらの目を覗き込んでくる。
「そんなこと、僕には分かりかねます」
「構わん。戯れみたいなものよ。述べてみよ」
思わず、首を左右にふる。
まさに戯れ言だろう。ヴァン様に向かって自分ごときが戦略を語るのだ。
これが単なる剣術を競うだけなら、自信はついてきた。しかし、戦略や戦術はかつてレヴィの屋敷にいたときに聞きかじった程度だ。当主であるレヴィへの家庭教師役から教えて頂いたことがある。
とりあえず、そこで聞き覚えた言葉を適当に思い浮かべて口にしてみる。
「『戦場は魔術士で耕し、騎兵で収穫する』と聞いたことがあります」
「ほう、随分と古い用兵論を知っているじゃないか。どこで聞いた」
ヴァン様が驚いた顔をした。
「公爵領にいた時です。フェン公爵家の家宰さまがレヴィの教育係でもあり、ついでにと、僕も机を並べて教えて頂きました」
「フェン家の家宰というと……。もしや、クヴァルのやつか!」
「クヴァル様をご存じで?」
「知らいでか。……いや、最近の若いのは知らんやもな。ましてや、お主はこの国に来て日が浅い」
うむ、とうなったヴァン様はそのまま続ける。
「クヴァルはまさに天才よ。今は亡きレヴィア様のお父上をよく補佐し、北方公爵家の騎士団を最強と呼ばれるまで育て上げた。例えば、聖騎士よ。今でこそ聖王国の精鋭という扱いじゃが、聖騎士を考案し初めて運用したのは、まさにクヴァルのやつよ。当時は、高貴なる魔術士を馬に乗せて前線に出すなど非常識だ、とさんざんに言われておった」
「そんな凄い方だったんですね。知りませんでした」
実際に驚いていた。
よく考えれば、レヴィの家は聖王国の北方を一任される大貴族だ。その軍事、内政の実際を取り仕切る家宰には、それなりの人物がつくのは当然なのかもしれない。
そんな凄い人だと知らず、気軽に色々と教えて貰ったと思うと、急に申し訳ない気持ちになる。
「しかし、あの偏屈なクヴァルが人にものを教えるとはな。あやつも歳をくって、丸くなったか?」
「はぁ、そうかもしれませんね。よく教えて頂きました」
「ふむ……」とヴァン様は顎髭を撫でる。「まぁ、お主は性根がまっすぐゆえ、あのひん曲がったクヴァルでもやっていけるのやも知れん」
ヴァン様はクヴァル様のことをよく知っている様子だ。二人の過去に、何かあったのだろうか。
「して、あのクヴァル直伝の用兵論からみて、今の戦況をどう語る?」
「はぁ」
なんだか難しい展開になってきたな。
クヴァル様の用兵論と言っても、実際にはレヴィへの座学一般を横で聞いていただけだ。授業でのクヴァル様の皮肉な口調が脳裏によみがえる。
そう言えば、あの人は魔術士に依存する今の戦術論にとても批判的だった。
「クヴァル様であれば……、聖王国は負ける、と言うしょうね」
「……まさしく、あやつならばそう言うじゃろうて、例えそれが聖王様の御前であっても」
ヴァン様は腕を組んで目を閉じる。そして、口をもごもごと「ああいうところさえなければ、今頃は聖王国の宰相になっておろうに」と苦々しく呟いている。
「して、なぜ負けると?」
「仮に聖王国が今までの用兵原則を、つまり魔術士による火力制圧のままであれば、いつかは負けると思ったのです」
「ふむ」
「この用兵原則は、長年、聖王国の優位性を支え続けてきました。しかし、僕には相手はその弱点をつく試行錯誤を繰り返しているように思えます」
ゆっくりと言葉を選んでしゃべる。
クヴァル様はこうも言っていた。知識は大地のように耕し、仮説は稲妻のように大胆に、言葉は豚でも分かるように選べ、と。
「その一つがまさに飛竜傭兵を用いた戦術でしょう。事実として、先の事件で我々は聖都襲撃を許しています」
大きな魔力をもつ貴族魔術士を中心にすえ、騎士団や徴用歩兵で守りながら火力で圧倒する。それが聖王国の戦術原則だ。
しかし、聖都襲撃のさいはこれが通用しなかった。機動力に優れる飛竜傭兵からの攻撃は、歩兵の壁をやすやす通過し、騎兵の展開よりも早く魔術士を襲うことができる。
先日の戦で、その欠点はすでに明らかになったはずだ。
「しかし、我が国は旧態依然として魔術士中心主義を変えようとしない、か」とヴァン様が僕の言おうとしたことを言い当てた。「まったく、痛いのぅ」
ヴァン様は首の後ろに手を回して揉んだ。
率直に物を言い過ぎたかもしれない。まさしくヴァン様こそが、聖王国の軍事を統括し、この用兵原則を実践しているお方なのだ。
「出過ぎました。申し訳ありません」
「いや、よい。まさにクヴァルがここに居れば、同じことをチクチクと言うじゃろうて」
「……ヴァン様は気づかれているのですね」
「ああ。飛竜傭兵も増えてきておる。昔のように、優秀な魔術士を抱えておれば勝てる時代ではなくなってきておるやもしれん。その可能性については、儂もミハエル様も認識しておるつもりじゃ」
「では、なぜ」
「だからといって、聖王国の体制を変えることは難しい。魔術を中心とした軍制は、聖王国の貴族制を支える根幹だからの」
ぐっと、息がつまった。
魔力は血筋で決まり、生まれながらにして貴族は絶対的な権力を持つ。この制度が正当化されているのは、この国の軍事を貴族が担当し、それが他国を圧倒し続けたからだ。
「……ゆえにな、ソーヤよ。今回の飛竜傭兵の討伐に注目しておるのよ」
「つまり、飛竜傭兵の対策ですか」
「そう。魔術士にとって脅威である飛竜への用兵術。好み好まず中央の貴族たちはこの戦に注目しておる。英雄ソーヤがどう対抗するか、とな。聖騎士の派兵はそれを観察するためでもある」
「……なるほど」
辺境の異民族討伐に、最精鋭の聖騎士を派遣したのは複雑な背景があるようだ。単純に、母さんが宣言した婚約破棄だけが理由ではないらしい。
「それがお主に言いたかったことじゃが、もう一つある。これは個人的な興味でもあるが……」
「なんでしょう」
ヴァン様は片目をつぶって、こちらを見た。
「お主はレヴィア様をどうするつもりだ?」
「……」
思わず口が開きっぱなしになって、ふさがらなかった。
まさかこのタイミングで、あのヴァン様からレヴィのことについて聞かれるとは。
「……レヴィは、ミハエル様の婚約者です」
「しかし、レヴィア様は婚約破棄を宣言なされた。
「あ、あの、ヴァン様はどのような意図で、」
「儂はミハエル様を自らの
ヴァン様は左手をこちらに開いて、何もつけていない小指をみせた。
小指の糸がほどけた、とはこの国の慣用句だ。子どもが成人し親の責務から解放されたことを意味する。
この国では親が子どもと指輪を交換する習慣がある。親子間の糸では、相指にはせず、親は小指に子どもは親指に糸を結び、子どもが自分の庇護下にあることを周囲に示すのだ。
「それに、な」とヴァン様は意地悪く笑う。「仕える魔術士との恋、これを勝ち取るのは騎士の誉れ。昔からそう決まっておる」
魔術士になれるのは貴族だけなので、騎士とであれば必然的に身分差の恋となる。
「そうなのですか」
「ああ、そうじゃ。女どもが好む読み物なんぞ、そんな話ばかりじゃろ。ウィスのやつも、今でこそあのように男勝りの女騎士のように振る舞っておるが、小さいころはそんな恋物語の類ばかり読みふけっていたものじゃ」
豪快に笑ったヴァン様は、声を潜めて馬をよせる。
「それに、儂の結婚こそまさにその物語のようなもんじゃしな」
「はぁ。そういえば、奥様は魔術士でしたね」
それは有名な話で聞いた事もあった。
ヴァン様は平民でありながらその軍功により騎士に任ぜられ、側に仕えていた魔術士を妻として娶った。とは言え、それは法典に反する結婚であり容易なことではない。ヴァン様ゆえの特例であったし、奥様の爵位も高くはなかった。
最終的には、その子孫を世襲貴族から除外することを前提に結婚が認められたらしい。
「大っぴらには言えんが、……レヴィア様のご気性を懸念して聖王妃とすることを嫌う一派は実際にいる。ミハエル様もそれを承知で、宮廷ではことさらにレヴィア様を庇う発言をして点数を稼いでおられる。お主は憤りを感じるかもしれぬが、これにも事情がある。お主であれば察してくれよう」
「……ミハエル様の血筋ですか」
「ああ、そうじゃ。王位継承は糸の格で決める、とは言ってもそれは建前だ。血筋が完全に無視されるわけではない。ミハエル様の母君の噂は聞いたことがあるか?」
「ええ。噂では奴隷だったと」
「ふむ。少なくとも、そのような噂がはびこるほどに、母君の素性は定かではない」
「……」
「お主にはな。あまりミハエル様を悪く思わんでほしい」
「どういうことですか?」
その時、突然、ヴァン様は手綱を引いて馬を後ろに向けた。
「ヴァン様!」
「楽しかったぞ。さっきのは無責任な老体の戯れ言じゃ。忘れてくれ」
ヴァン様は背中をむけたまま、手を振って、聖都のほうへと戻っていった。
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