[1-04] 受け攻め即興ごっこ遊び
北方領に到着したのは、3日後だった。
馬車の中でシェイクされ続けた私の体は、あちこちが痛み、お屋敷に到着したころには、もうフラフラになっていた。
でも、ようやく、やっと。
地上に降りられる。ベッドで体を伸ばせる。そして何より、お風呂に入られる。
そう思いながら、馬車から降り立つと「お嬢」と言う声がした。はぁはぁ、と肩で息を整えていると、今度は明らかな大きな声で、
「聞こえませんでしたか? お嬢」
「えっ、私?」
慌てて顔を上げると、そこには三十か四十代くらいの壮年の男性がこちらを見下ろしている。小綺麗な身なりをして、ぴん、と背筋がのびている。お屋敷の執事か何かかしら。
「お早い到着で何よりです。もう数日はかかると思っていましたが……」
「ご、ご機嫌よう。ま、待ってください。もう、ふらふらで」
「ええ、いいでしょう。しかし、生まれたばかりの子鹿でさえ、すぐに歩き出すものです」
なんて、意地悪な言い方。
細身だが背の高い人だ。酷薄な感じのするしゃべり方にまさにピッタリな細い目をしている、しかも眼鏡をかけている。やっぱり、執事で眼鏡キャラは意地悪。これ、BL界の常識。
そうだ、この人のことを鬼畜眼鏡って呼ぶことにしよう。
「クヴァル様、お待たせしました」
背後から宗谷の声がした。
なるほど、クヴァルね。覚えたわ。鬼畜眼鏡のクヴァルさん。
「おお、ソーヤか。予定より早かったな」
「本当はレヴィと二人のつもりだったので、もう少し早くつく予定でした。しかし、聖都の聖騎士たちが随伴することになりましたので」
「ほう。聖都の聖騎士か」
クヴァルさんは、眼鏡をくいっと上げて、背後のほうで馬を並べている聖騎士たちに目をやる。
「随分と統制のとれた騎兵隊だな。まるで厠に並ぶ貴婦人のようだ」
「ミハエル王子直轄の聖騎士です」
「ああ……中央の高速馬なぞに乗っているな。北国を知らないボンボンどもか」
「隊長は聖騎士のウィス・インリングさん。彼女はヴァン騎士団長の娘です」
「実は知っていたよ」と眼鏡の口が歪んだ。「事前に、ヴァンの奴から手紙があった。聖都の横着者どもは、飛竜の対策をこちらにやらせて高見で見物をするらしい」
「ご存じでしたか。僕も同じことをヴァン様より聞きました」
「それにしても、ソーヤよ。あちらで随分とヴァンに気に入られていたようじゃないか。ヴァンは相変わらずだな。しなくても良い苦労に身を削っている」
ねぇねぇ。ちょっといいかしら?
私たち、3日間もずっと旅してたの。だから、ね。今の私はね。とっても臭うの、気持ち悪いの、お風呂に入りたいの。
「あの〜、鬼畜眼鏡さん、」じゃない「クヴァルさん、よろしいですか」と私は言い直す。
すると、鬼畜眼鏡は細い目を見開いてこちらをみる。
「どうされました。レヴィアお嬢様。学院に入学されて、奇妙な礼儀作法を学んだようですね。いつものように、クヴァル、と読んで頂いて構いませんよ」
「そ、そうね。では、クヴァル」
「なんでしょうか。お嬢」
お嬢、と呼ばれるのも何だか変な感じがする。
「長旅で疲れました。お風呂に入りたいのだけど」
「ああ、そうですか。しかし、一刻も早く軍議をせねば。毎日のように、飛竜傭兵たちは村へ襲撃を行っています。すでに難民も増えてきていますゆえ」
「そうなのね。それは大変」
で、でもね。鬼畜眼鏡さん。
今の私は、とっても臭いのよ。ほら、この距離からでも分かるでしょ? それに、私なんか軍議なんて出ても何の役にも立たないの。それこそ、生まれたばかりの子鹿みたいに。
……とは言え、まあ鬼畜眼鏡がいうことも分かる。
役立たずの子鹿でも、公爵家の人間がいなければ動かせないこともあるだろう。おおかた軍議で大人しく座って、うんうん、はいはい、と頷いて貰わねば困る、ということだろうか。
「私の承認が必要なのね。それって、すぐなの?」
「ほう……。これは失礼を致しました」と眼鏡がキラリと光った気がした。「数日後に配下の貴族を召集して作戦を通達します。公爵家の後継者であるレヴィア様より皆に命じて頂かねばなりません」
まぁ予想通り。……初めからそう言ってくれればいいのに。
「分かりました。では、お風呂に入ってから、クヴァルの説明を聞かせてください。軍のことはよく分からないので、お任せしたいのですが。一応、がんばって聞いてみます」
だから、はやく、お風呂に入らせて。
「かしこまりました。すでに湯浴みの準備は整っておりますゆえ、給仕に伝えてください。詳しい計画や戦略については、あらかじめソーヤに伝えておきます。しばらく、ソーヤを借りますよ」
「ええ、どうぞ」
クヴァルさんが手を上げると、給仕係の女たちが駆け寄ってきて館の中に案内してくれた。
どうやら、お風呂の準備はすでに終わっていたらしく、更衣室らしき部屋に入ると暖かい湿気がすでに充満していた。北国の乾いた空気にさらされていた肌に、湿気が優しく染み渡る。
まったく、鬼畜眼鏡め。分かっているじゃないか。
◇
レヴィアちゃんのお屋敷の風呂は、とても立派なものだった。
浴槽に入る前に、お手伝いさんが暖かいタオルで汚れをぬぐい取ってくれた。スッキリとした体で、湯をはったばかりの風呂につかる。温度は熱かったが冬場の長旅で冷え切った体を芯から温まり思わず、うぇ〜い、とおじいちゃんのようなうなり声が絞り出てしまった。
その呻き声を聞いて、隅に控えていたお手伝いさんがくすりと笑った。そして、すぐに慌てた表情になって、「すみません」とこちらに頭を下げてきた。
「いいの。いいのよ。これはお風呂が悪い」
もうすっかり、身も心もお湯にとろけてしまって、鷹揚に手ふってそれに答える。
「いや〜。生き返るわ〜。もう五臓六腑に染み渡るわ〜。どう? あなたも一緒に入る」
お手伝いさんに向かって、手招きしてみる。
「ご冗談を、先ほどは大変な失礼しました」
「いいの。いいの。気にしないで。こんな極楽につかったら、みんなお爺ちゃんみたいな声出ちゃうもんなのよ」
「はぁ」
よく見ると、お手伝いさんは随分と若い。
けっして綺麗なタイプの娘ではないが、健康的で素朴な感じが好印象だ。
「ねぇ、教えて欲しいことがあるの」
「はい、何でしょうか?」
「ほら。私はしばらくこのお屋敷にいなかったでしょ。その間に何かあったかしら」
「申し訳ありません。まだ、私はここに来て日が浅いので」
「え〜と、いつから?」
「ちょうど三ヶ月になります。ですので、レヴィア様にお仕えするのはこれが初めてです」
ほぅ。それはむしろ好都合。
「なるほどね。初めまして。ところで、お名前は?」
「ハンナと申します」
「ハンナね。これからよろしくね。ハンナちゃん」
「ちゃん? は、はい。よろしくおねがいします」
うんうん、やっぱり素直な感じの良い娘ね。レヴィアちゃんとは大違い。
「まぁ、適当に思いついたことでいいから、私がいなかった間の屋敷のことを教えてよ」
「はぁ、そうですね……」
あくまでも世間話をしているようにくつろぎながらも、内心ではじっと聞き耳を立てる。
なりゆきで入れ替わって、とうとうお屋敷まで来てしまったけれど、実のところはかなり不安なのだ。なにせ、私はこの屋敷や領地のことも全然知らない。
まったく、宗谷が悪いのだ。
そういうところに気をつけて、しっかりと説明してくれるべきだと思う。それなのに、いつも忙しい忙しいと言って、こっちから捕まえないと何も教えてくれないんだから。思春期の男の子って、みんなあんな感じなの?
「やはり、この時期になると冬支度が大変ですからね」
「へぇ」
「村々では牧人に預けていた家畜を回収して、冬を越すために豚を屠殺して腸詰めや塩漬けにしないといけませんし、木材も多めに蓄えなきゃなりませんしね。給仕長も大忙しですよ」
うわぁ〜。聞いているだけで大変そう。
こちらの世界の生活は素朴だ。魔術が使える貴族は快適な生活を送っているようだが、普通の人たちはそうはいかない。う〜ん、やっぱり魔術はいいなぁ。風の魔術が使えれば扇風機いらずなのよ。電気代も浮く。
「それは大変ね」
「ええ、それなのに今年は飛竜の山賊がたくさん出ているみたいで、東部の山間の村なんかは随分とやられたと聞いています。それでクヴァル様やカーラ様が各地の魔術士様や騎士たちを召集されて、さらにてんやわんやです」
「ねぇ、ハンナちゃんは飛竜を見たことあるの?」
「いえ、私は西の出身ですから全然。でも、東の山沿いの村にはたまに出没すると聞いたことがあります。なんでも、家畜を大きなかぎ爪で掴んで攫うそうです。あと、たまに貴族の家を襲って、幼い女の子を攫っていくと聞いたことがあります」
「うん? 幼い女の子?」
「ええ、物心つく前の子です」
「へぇ、飛竜はロリコンだったか」
「はぁ、ロリコンとは?」
「あっ、いや。何でもないわ」
口が滑ってしまった。湯船に口を沈めて、ぶくぶくと泡をはく。
「レヴィアさま、そろそろお着替えのご用意をしましょうか?」
「そうね。う〜ん。もう少しだけ浸かっていたいかな〜」
せっかくのお風呂だし、上がったらあの眼鏡に色々とこき使われそうな予感がするし……。
「であれば、何か果物を絞って飲み物でもお持ちしましょうか?」
「えっ、いいの? 本当に?」
「ええ。リンゴとブドウがありますが」
「じゃあ、リンゴジュースで」
「かしこまりました」
「ハンナちゃん。最高。ありがとう!」
くすくす、と笑われながらもハンナちゃんが浴室から出て行く。
あぁ〜、ハンナちゃんはよく気がつくええ娘やな。お風呂に入りながらリンゴジュースなんて至福ですよ。レヴィアちゃんと代わって宗谷のお嫁さんになってくれないかしら?
《あー、あー。こちら鬼畜攻めです。受け側の準備いいですか? どうぞー》
などと思っていると、レヴィアちゃんの声がした。
浴槽のふちに置いておいたペンダントを取り上げて、その中に仕込んだ鏡を口によせる。
「はいはい」と応答して声色を低く整える。「くっ、こちら火照った体がうずいて……。くそ、男なんかに。どうぞー」
「随分と正直になってきたじゃねぇか。最初の威勢はどうした。どうぞー」
「違う。これは、さっきの飲まされた薬のせいだ。オレがこんなのに感じるわけがない。どうぞー」
「ふっはっはっ! 残念だったな、さっき飲ませたのは単なるビタミン剤だよ。どうぞー」
「なん、だと!? どうぞー」
「諦めるんだな。男に突っ込まれて感じる。それがお前の正体だ……。ってな感じ、どうかしら、お義母さま」
「う〜ん。80点。テンプレを抑えて非常によろしい。ただ、もうちょっと変化が欲しいかな。個人的には鬼畜攻めでも、飴も必要だと思うの。9割ムチで1割は飴。それで完全に受け側を支配してしまう展開が好き」
「く〜、流石はお義母さま。参考になります」
ふっ、伊達にプロのBL読者やってないわよ。
しかし、この娘、確実に成長しているわね。まさかこの短期間で、受け攻め即興ごっこ遊びについてこれるとは。これはかなりのスピードで腐敗が進行してますわ。
「そういえば、レヴィアちゃん。鬼畜と言えば」
「なに」
「こちらで鬼畜眼鏡ことクヴァルさんと会ったのよ」
「ちょっ! クヴァルが鬼畜眼鏡とか超的確なんだけど」
「あの人って、どんな人?」
「まさに鬼畜眼鏡よ」
いや、それは知ってるわよ。
「もうちょっと詳しく」
「クヴァルは、ウチの
「家宰?」
「お義母さまには、執事って言ったほうがいいかしら?」
「執事!」
そんな素敵な属性を持っていたのね。流石は鬼畜眼鏡。
「執事と言っても、お義母さまがイメージするようなものじゃないわ。クヴァルはお父様がご存命だったころからの家宰で、領地の一切を取り仕切っているわ。私にガミガミと言ってくる嫌な奴よ」
「なるほどねぇ」
もしかしたら、クヴァルさんのあの意地悪な調子は、レヴィアちゃんに対する教育的態度なのかもしれない。ちょっと見直した。
「ねぇ、お義母さま。ちょっと、そっちでお願いしたいことがあるの」
「なによ?」
「実は、新しい鏡魔術を作ったのだけど。それでね、この術をみんなに広めたいの」
「鏡魔術?」
レヴィアちゃんは天才魔術士として名をはせている。特に、鏡や糸をつかった儀式魔術では、聖王国でも彼女の右に出る者はいないとか。
「ねぇ、お義母さま。これからクヴァルと作戦会議でしょう?」
「ええ、そうらしいわね」
「そこで、この術をクヴァルに使わせるの。多分、戦争にも役に立つと思うわ。それで、この術が普及したら、きっと面白いことになる。あ〜、想像しただけでワクワクしてきた」
「……ねぇ、なんかまた変なこと考えてない?」
「そ、そんな事ないわ。この鏡魔術はきっと役に立つわよ」
「本当に?」
「本当よ。本当。だから、お願いします」
なんか怪しいわね。
「レヴィアちゃんが説明しなよ」
「聖壇の大鏡がないと入れ替わり出来ないでしょ……。いや、出来るかもしれない」
「えっ、出来るの?」
驚いてペンダントを引き寄せる。
「私の部屋にソーヤを召喚したときの
レヴィアちゃんは、ぶつぶつ、としきりに考え込んでいる。
んっ? 今、すごい気になることを言わなかった? ねぇ、レヴィアちゃん。
「宗谷を召還したって?」
「あっ……。お義母さま、まさかソーヤから聞いてなかったの」
「ええ、教えて貰ってないわ。何も」
「そうなのね。そう。ソーヤはまだ言ってなかったのね」
レヴィアちゃんの声が、風呂の湿気にまぎれて消えていった。
その時、私の頭に過ぎったのは、奥歯が軋むほどのどす黒い感情だった。この娘は宗谷をこの世界に召喚した。どういう経緯で宗谷をこっちの世界に引きずり込んだのだろう。
もし、それが彼女の単なるワガママで、私から宗谷を奪おうとしたのだったら……。
私は多分、彼女を不幸にするために人生のすべてを捧げるだろう。
「……あの時のことは、ソーヤから直接聞いて欲しいの」
「レヴィアちゃん?」
自分でも声色が固くなるのが分かる。
「私からも後でちゃんと説明します。でも、まずはソーヤから聞いてほしい。……そして、ソーヤがあの時のことをどう思っているか、私に教えて欲しい」
「……」
「ソーヤも、お義母さまになら本当のことを言ってくれると思うから」
その時、とんとん、と浴室のドアが叩かれてハイネちゃんの声が響いてくる。
「レヴィア様。飲み物をお持ち致しました」
「誰か来たわね。お義母さま、この話はまた後で」
そう言って、レヴィアちゃんとの通話は切れてしまった。
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