[1-02] このゲーム、課金はどこですか
「……なんで、母さんと入れ替わってるの?」
「え、ええ。なんでかな?」
宗谷は担いだ荷物を馬車の中に放り込むなり、私を問い詰めてきた。
睨まれて私は思わず後ろに下がる。目線がいつもより低いせいで、息子の迫力がいつもの何倍にも感じる。
「まったく」と宗谷は手で髪をくちゃくちゃにする。「どうせ、レヴィのわがままでしょ。まったく。本当に勝手なんだから」
「そ、そうね」
「で? レヴィはどうしたの?」
「え〜と」
……困ったわ。
宗谷の機嫌が悪い。私とレヴィアちゃんが勝手に入れ替わったことを怒っているみたいだ。
「レヴィは?」
「べ、勉強しているわ」
間違ってはいない。彼女は非常に勉強熱心だ。
ただその内容が、線画やトーン、ホワイトのデジタル処理とか、ちょっとマンガの、とりわけBLの作画技術に偏っているだけだ。
「へぇ、勉強ね」と宗谷は口をへの字に曲げる。
「そ、宗谷こそ、ちゃんと勉強しないとダメよ」
不機嫌な宗谷に気圧されて、話題をそらしてみる。
「ん、……まぁそうだけど」
おっ、やった。効果ありだ。
実際、宗谷は学校の勉強はどうするつもりなのだろう。こっちでは英雄なんて呼ばれちゃって、うまくやっているようだけど、元の世界では剣なんか役に立たない。英語、国語、数学とかのほうが大切だ。
そこら辺、ちゃんと考えてる?
気まずそうな顔をした宗谷に、追い打ちをかけてみる。
「ねぇ、本当にどうするつもりなの?」
「それは、」と目を閉じた。「考えてはいるよ」
「まだ考え中?」
「う、うん」
私は両手を腰に当て、レヴィアちゃんの小さな胸をはる。
「ダメよ。そんなんじゃ、ダメ」
「母さんはやっぱり、僕に戻って来て欲しいの?」
「それよ。宗谷のそういうところ、良くないわよ」
「どういうこと?」
宗谷が口を尖らせた。
その表情は
「まずは宗谷が何をしたいか、それをちゃんと決めなさい」
「……」宗谷は口を引き結んでしまった。
まぁ、正直なところ、私としては元の世界に戻ってきて欲しい。戻って来て、学校に復帰して、勉強とか部活動とかそういった青春を取り戻して欲しい。
やっぱりこのままでは宗谷の将来が不安なのだ。
だからといって「戻って来て、と言われたから戻った」なんて訳にはいかない。宗谷は素直な子だった分、昔からそういうところがある。理由を人にまかせちゃう癖。それはあまり良くない。
「レヴィアちゃんを見習いなさいよ。あの子は、そういう所を人任せにしないわ」
「……」
「だから、私と入れ替わって、大好きになったマンガを全力で描いているの。それって、とってもすごいことよ」
「……やっぱり、BLか」
はっ、しまった!
つい説教くさくなって、口がすべってしまった。
「つまり、またレヴィはBLのために入れ替わったんだ」
「うっ、まぁ、そうなんだけど」
「もうこれで何度目か、母さんは分かってるの?」
「……ごめんなさい」
実のところ、私たちは宗谷に黙って何度も入れ替わっていた。
レヴィアちゃんにせがまれたから仕方なく……、というのはあくまで建前だ。実は、私もこの異世界での学生生活を楽しんでいた。
だって、ファンタジー世界だ。魔術大国として名高い聖王国の貴族たちの学生生活。まるでゲームみたいな感じで、ものすごい楽しい。
そして、なによりも。
この世界では同性愛が許容されている。
そう、ホモが容認されているのだ。ついでに百合も。
……このゲーム、課金はどこですか?
いやね。マジでやばいのよ、この世界。
この国の上流階級は指輪を交換して派閥をつくる。それをマネして、若い男の子たちが「オレは、アイツの
それで、カリスマが指輪の交換を通して一大勢力を作っちゃって学院をまとめてたり、逆に派閥が分裂して問題をばかりが起きたりする。そんなアニメみたいな現実が、目の前で繰り広げられるのです。
もう、楽しくってしょうがない。
ただし、異性の間で糸を結ぶことはほとんどない。そこは貴族の子息と令嬢たちだから、男女が隠れて指輪を交換しようものなら大変なことになる。
「聞いた? あの伯爵家の男子生徒が男爵家の娘と糸を結んだって噂。それも薬指」
「まぁ、はしたない。それはご両家も承知しているの?」
「それが、二人で勝手に結んだそうよ」
「なんてこと! まるで、お猿さんね」
……みたいな感じで大炎上だ。
そんな訳で、公然と結ばれる糸は同性間のものが圧倒的に多いのだ。
特に女の子なんかは薬指を親友と結んだり、憧れのお姉さまから糸をねだったりする。学生時代に女同士で薬指を交換するのは淑女の嗜み、という風潮もあるらしく。この世界の学校は、女子校でもないのに百合百合しいこと半端ない。
いいわよ。よくってよ。私、百合モノも嫌いじゃないの。
「いいな〜。私もかわいい後輩から『お姉さま』って呼ばれてみたい」
「……なにを寝ぼけたこと言ってんの、母さん」
宗谷の低い声で、無理矢理に現実に引き戻されてしまった。
そこには荷物を馬車に積み終えて、馬車の扉をあけて待っている息子がいた。
「ほら、馬車の中に入って」
「ごめんごめん」
宗谷に言われるがままに馬車の中に入って座る。
「私、馬車に乗るのって初めてよ。お姫様みたい」
「一応、お姫様だからね」
そういえば、そうでした。
馬車は黒い木材を使ったものだ。中の腰掛けは赤い布地の柔らかくて座り心地はばっつぐんだ。窓のカーテンには細かいレースがついていて、所々に彫り物の意匠がほどこされている。
これは黒塗りの高級車ですわ。
「で、今からどこ行くの?」
「……本当に、レヴィは母さんに何も教えてないんだな」
まるでサラリーマンのような深いため息を息子がついた。
「詳しい事は道中で説明するけど、ここから北にあるフェン領に行かなければいけないんだ」
「フェン領?」
「レヴィの領地さ。北方公爵領」
「つまり、……寒い?」
「まぁね」
寒いのは、苦手です。
って、そうじゃない!
えっ、なに? レヴィアちゃんのご実家に行くの? なにそれ、聞いてないんだけど。まだご両家の挨拶なんて早すぎない?
「ご挨拶には、早すぎない?」
宗谷は口を歪めた。
「また変なこと考えてるでしょ。全然違うからね。……実は、東部の飛竜族が公爵領を荒らし始めたんだ。レヴィの公爵家は聖王国の北方防衛を任されているからね。それで、この討伐に向かうわけ」
「えっ、聞いてないわよ。って、飛竜!?」
「だろうと思ったよ」
あきれ顔の宗谷を、横目に慌てて胸元のペンダントを取り出す。そのカバーをあけて、その中にはめ込まれた小さな鏡に向かって叫んだ。
「ちょっと、レヴィアちゃん!」
「……何よ、お義母さま。今は細かいトーン削りをしているのよ。マウス操作だと神経使うから、できれば後にして欲しいのだけど」
マンガを描いているらしい、レヴィアちゃんの面倒くさそうな応答があった。って言うか、この娘、ちゃくちゃくとデジタルに対応しているわね。
「聞いてないわよ。レヴィアちゃん。これから、なんかレヴィアちゃんの領地が、北で寒くて、飛竜とか大変らしいじゃない!」
っていうか、飛竜なんているのね。さすがファンタジー世界。
しかし、返事は、う〜っと、といったうなり声で、どうやら彼女はトーンの縁を削る作業を中断する気はないようだ。
「あ〜、うん。飛竜ね」
「そうよ。空飛ぶドラゴンよ」
「……うん。まぁ良い感じね。やっぱ、このトーン素材は汎用性が高いわ」
「聞いてる?」
「あっ、え? うん。聞いてるわよ。飛竜でしょう? 私の領土荒らしているんでしょう? まぁ、いいじゃないの。ソーヤに任せとけば」
「おい、レヴィ!」
ソーヤが馬車のなかに身を乗り出して、私の手元のペンダントに向かって叫んだ。
「なによ、ソーヤ。小言なんて、結構よ」
「君の領地だろう」
「継いだつもりなんてないわ。本当なら、あの若作りババァ、伯母が継げば良かったのよ。それなのに、無理矢理に私に押しつけたの。あいつ、絶対に私が嫌がるからそうしたのよ。他のみんなだって、本当はカーラのババァが継げば良かったのにって思ってるじゃない」
「カーラ様は君の事を考えて……。それに、飛竜傭兵はどうするんだ」
「あんなの大した事ないでしょう。前みたいに追っ払っちゃえばいいわ。私は忙しいの」
「忙しいって、BLだろ!」
あら? BLですけど? それが何かしら?
「宗谷ぁ?」と今度は私が宗谷を睨む。
思わず普段は絶対に出さない低い声だったものだから、宗谷は驚いてこちらを見た。
「レヴィアちゃんは、頑張ってるの。何日も徹夜して、必死に勉強して、ちゃんと何かを作り上げて、みんなに発表するために告知とか印刷とか、面倒なことやっているわ」
そして、ちゃっかりと私の名前で新刊出して、読者を増やそうとしている。
「それとレヴィアちゃんが好きになったモノが関係あるの?」
「で、でもさ」と、宗谷が小さく呟いた。
「でも? 何かしら?」
「……もう、分かったよ」
うなだれた彼を見て、少しやり過ぎた、と後悔が胸をよぎった。
結果として、宗谷を言いくるめてしまった。少なくとも、レヴィアちゃんの前でこんなことを言うべきじゃなかったなぁ、と反省する。
宗谷は、レヴィアちゃんの前でちょっと偉そうにする癖がある。
あくまで私の予測なのだけど、宗谷には変な気負いがある。レヴィアちゃんの行きすぎた行動を止められるのは自分だけだ、みたいな。
それに、レヴィアちゃんの一途な恋愛感情に対して、宗谷からの反応は曖昧なままだ。「レヴィは命の恩人だ」とか「僕はレヴィの従者だ」言っているけれど、それを聞いてるとむず痒いものがあるのも事実。
せやかてな、所詮は男と女やで……。
なんて、これが自分の息子でなければ毒づいているところだ。
何なの? 宗谷はホモなの? それならそれでもお母さんとしては別にいいけれど、やっぱりセクシャル・マイノリティの大変さを思うと心配だよ。
あっ、いや。……宗谷は巨乳女教師の動画を好んで見るから、その可能性はなかったわね。
「分かればよろしい。BLをバカにする事は許しません」
両腕を組んで大げさに頷いて見せ、冗談半分にして紛らわせてしまうことにした。思春期の息子を彼女の前で叱るなんて、母親失格だ。今後は気をつけよう。
その時、「ほう、これは」と馬車の外からしわがれた声が飛び込んできた。
「珍しいものを見た。あの英雄がレヴィア嬢に叱られておる」
宗谷が顔を驚かせて、後ろを振り向き「ヴァン騎士団長!」と声を上げた。
馬を歩かせて、その騎乗から素敵ダンディなおじ様が手を上げる。そのまま、顎髭を撫でて「ソーヤ、お前もそろそろ馬に乗るがよかろう」と声をかけた。
「ヴァン様、なぜ貴方様が?」
「飛竜傭兵の討伐にレヴィア様にご出陣いただくのだ。儂が見送りに来ても不思議はあるまい。本来であれば、婚約者であるミハエル様が見送りにこられるべきだが……色々とあったからな」
ヴァンおじ様の意味深な発言にぴくり、と耳が動く。
色々あったから、って言うのは多分、私がミハエル王子に婚約破棄を言い渡した事だろう。
いや〜。言っちゃったね。
別に後悔はしてないけど、勝手にやっちゃった感がすごい。
あの後、事情を知った宗谷から、軽率な行動だ、と怒られた。そして、レヴィアちゃんからは、よく言ってくれた、と大喜びされてしまった。
きっと大問題になるだろう、と覚悟していたのだけど、そんな事はなかった。ミハエル王子からは何の取りざたもなく、婚約関係にも変化もない。ただただ、平穏無事に時間がすぎて、すでに半年近くが経とうとしている。
そうなると今度は不気味に思えてくる。あの腹黒王子が何もしない、なんて事あるかしら?
「この者たちは?」と、宗谷がヴァン様に問いかけている。
ヴァンおじ様の背後には、騎乗した人がたくさんいた。
甲冑……というには軽装すぎる鎧をつけ、上からすっぽりと青いローブを纏った騎士たちだ。その先頭の人を覗き込んでみると、20代そこらの若い女の人だった。
その拍子に、彼女と目が合った。
すると、彼女は鋭い眼差しで私を睨み返した。えっ、怖い。
「聖王家からの援軍じゃ。北方公爵領までの護衛もかねておる。聖騎士のそれも精鋭よ。上手く協力してくれればありがたい」
「……護衛は僕一人でも十分です。公爵領にも直属の騎士団がおりますれば、ありがたい申し出ではございますが、」
「ソーヤよ」
ヴァンおじ様がゆっくりと、しかし、大きな声でそれを遮った。
「言いたいことは分かる。しかし、聖王家としても学業のためにお預かりした公爵家のご令嬢を、異民族討伐に戻って頂くことになったのじゃ。お一人で向かわせるわけにはいかん」
「……」
「ほら、お主の馬が待っておる」とヴァン様は道脇に控えていた白馬に視線を移した。「随分と気性の落ち着いた馬じゃの。しかし、見知らぬ馬が多く不安がっておる。早く乗ってやれ」
そう、おじ様に急かされて、宗谷は小さく敬礼をすると「スノー!」と白馬に呼びかけた。すると、白馬も待ってましたとばかりに宗谷に近づいて、鼻を宗谷に押しつけた。
あ〜、お馬さんいいな〜。私も触ってみたい。……と、その様子を眺めていたら、馬に乗っていたヴァン様が、年齢を思わせない身のこなしで地面に降り立った。
それとほぼ同時に、背後に控えていた騎士と術士も馬から降り、一同は馬車に向かって敬礼をそろえた。
「レヴィア・フェン公爵令嬢様。道中のお供をさせていただく聖騎士達でございます。ご挨拶を賜りたく」
私は馬車の窓を降ろして、ヴァン様に声をかける。
「随分と、たくさんいるのですね、頼もしいわ」
「ええ。皆が聖騎士に叙された精鋭です」
「まぁ、聖騎士ですか」
なになに? さっきから気になっていたんだけど、聖騎士ってなに?
と、ここで下手に質問するわけにはいかない。雰囲気的に、聖騎士なんて知っていて当たり前、って感じがするのだ。レヴィアちゃんと入れ替わっていることがバレたら大変だ。
「私の事は気になさらないで、出発の準備を続けてください」
「ありがたいお言葉です。しかし、長旅になりますれば、ご挨拶だけでも」
「そうですね。分かりました」
私は馬車の扉をあけて、スカートの裾をつまみながら馬車から降りる。そのまま、おじ様を見上げると、なぜか驚いた表情をされていた。
「なにか?」
「あ、いえ……。馬車から降りられるとは思っていませんでしたので」
「あら」と首を傾げる。「そうしないと、ご挨拶はできないでしょう」
「ごもっともですが、御身のような大貴族が、同じ地面に降り立つのは珍しいことですので」
「まぁ、そういうものなのね」
手を口に当て、すまして笑うが、内心では慌てていた。
聖王国はかなり身分や礼儀作法にうるさい。そして、今の私は大貴族の一人なのだ。普段の宗谷が、レヴィアちゃんにぞんざいな態度だから、ついつい、そのことを忘れてしまう。
「だけど、これからしばらく皆さんとご一緒でしょ?」
「さようで」
あらやだわ〜、って感じでひらりとおじ様の胸板を叩いて誤魔化す。う〜ん、ご老体なのに逞しい胸筋ね。グッドよ。
「だったら、あまり気取っても仕方ないでしょう。途中で色々と一緒になることもありますし? ほら、トイレとか」
「ト、トイレ……」
おじ様は目をまん丸にして、ついで堪えかねたように、かっかっか、と笑い出した。
「失礼。いや、これは失敬をしました。……女性の
おじ様はこみあげた笑いを手で握り隠し「ふむ」と慎重に息を吐いた。
「レヴィア様は……何と言いますか、ずいぶんとお変わりになられましたな」
「あら、そう?」
「ミハイル様も仰っておりました。魅力的になった、と」
「……」
ああ、あの腹黒王子ね。
豪奢な金髪のイケメン。その陰謀に歪んだ笑顔を思い出して身震いをした。ダメなの。私、ああいうのは本当にダメ。
いやね。これがBLだったらいいのよ。王子が鬼畜攻め役なら全然OK。例えば、堅物おじ様であるヴァン様を、王子が権謀術数を駆使して快楽に堕とす展開なんて大好物。むしろ、もっとやれ。
でも、婚約者があんなのは
「……失礼。この話はやめましょう」
ヴァン様は咳払いをして話を中断した。どうやら、私のひきつった顔に気がついたようだ。
「え、ええ。そうして頂けると助かるわ」
「さて、聖騎士の隊長を紹介しましょう。ウィス、レヴィア様にご挨拶を」
「はっ」
と、若い女の声がして、ローブをまとった騎士がおじ様の側まで寄ってきた。
「レヴィア・フェン様、初めてお目にかかります。ウィス・インリングと申します。この聖騎士隊の指揮を任されています」
厳しい表情の彼女は20代の半ばくらい。さっき見えた怖い人だ。
ブラウンの髪を後ろにまとめて、銀色の胸当てに拳をあてて敬礼している。30人もの騎士たちを率いるのに随分と若いのね、と驚いたが、それよりも名乗ったインリングという姓に聞き覚えがあった。
「初めまして、これからお世話になります。レヴィア・フェンです。同じ女性で安心したわ」
服の裾をつまんで、軽めの会釈を返した。
実はもう何度も入れ替わっているから、基本的な挨拶くらいは完璧なのだ。実は、これが出来るようになるまで、結構な苦労をした。レヴィアちゃんは礼儀作法にぞんざいで教えてくれなかったから、同級生を観察して見よう見まねでなんとか身につけました。
「前年の飛竜傭兵の聖都襲撃、そこで活躍されたソーヤ殿と共に馬を並べられることを光栄に思います」
「あらあら」
宗谷が活躍? 聖都襲撃? そんなことあったのね。
是非聞いてみたいけど、ぐっと堪える。もう、宗谷ももっと教えてくれたらいいのに。
学校の勉強をそっちのけで、こっちの世界で活躍しているみたいだけど、自分から教えてくれないから、こういう初耳がいっぱいある。
それよりも気になるのは……。ちらり、とヴァンおじ様に視線を移す。
「インリングさんですのね?」
「気がつかれましたか。ええ、ウィスは私の娘です」
「あら、どうりで美人さんだと思いました」
ぱん、と手を叩いて嬉しくなった。
騎士団長のおじ様のフルネームは、ヴァン・インリング様。ウィスさんも同じ名字だし、おじ様の態度が部下にしては親しみがあった。
それに、この二人はどことなく似ている。背が高いし、スタイルが良く、鎧姿がとても絵になる。
「不肖の娘ですが、何卒よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。ウィスさん」
ウィスさんに一歩近づいて、右手の甲を差し出した。
だけど、ウィスさんは硬い表情のままで動かない。……あれ? 握手の作法を間違えたかしら? 一応、身分が上である私が手の甲を差し出して、それをウィスさんが受け取る手順だったはずだ。
もしかして、女同士だと違う作法になるのかも……。
「ウィス。レヴィア様をお待たせするな」
そのおじ様の声は鋭く、思わずこちらがきょとんとしてしまう。
それを聞いたウィスさんはなおも動かなかったが、やがて眉をしかめて膝をついた。
「……失礼いたしました」
そう呟くようにこぼし、ウィスさんは両手で私の手をとると固い声で「御身の安全に尽力します」とだけ言うと、すぐに立ち上がってしまった。
すると、彼女は背が高いから、体が小さいこちらを見下ろす形になる。驚いて見上げると、彼女はこちらを睨みつけていた。あの怖い目で。
この世界での一般的な礼儀作法として、彼女の態度は問題になる。そう思うのだけど……。ウィスさん、もしかして、ご機嫌が悪い?
「ウィス!」
と、おじ様の今度は明らかな怒声が飛び、鞘ごと引き抜いた剣で、容赦なくウィスさんの足を払い薙いだ。
足を後ろから払われて彼女は、そのまま地面に倒れ込む。
「部下が大変な失礼を致しました」
倒したウィスさんの頭を地面に押しつけて、おじ様もそこにひざまずく。
おいおい、相手は女の子。注意するにしても、もっと優しく。
「あ、いえいえ。気になさらないで。ヴァン様も、ほら、お立ちになって。……周りの方々も待ちくたびれているでしょう。そろそろ出発しませんか」
「ありがたきお言葉」
ヴァン様はウィスさんの頭を地面に押しつけながら、自分の頭も下げて、そのまま不動になる。
……あ〜、なるほど。
これ、私が馬車に戻らないと進まないやつね。分かりました。さっさと戻ります。
「それでは、皆さま。長い旅になりますが、よろしくお願いします」
最後に騎士団の方々に会釈をして、そそくさと馬車の中に戻る。
座席に腰を落ち着けると、ふぅ、とため息がこぼれた。
人差し指をこめかみに当てて、さっきのウィスさんの態度は何だったのかな、と思いをめぐらそうとした時、トントンと窓を叩く音がした。
「母さん」と宗谷が顔をのぞかせた。
宗谷は、さきほどの白馬にまたがって器用に馬車に横付けにしている。馬に乗れるようになったのね。本当に男の子は知らない間に成長してしまうのだから。
「このまま馬車を出すよ。僕らが出発しないと、あのままみたいだから」
ちらりと窓の外を覗くと、ヴァン様がウィスさんを押さえつけて、まだ地面に平服したままだった。たしかに、馬車が動き出さないかぎり二人は動かないだろう。
「そうみたいね。お願いできる?」
「うん。……馬車を出せ!」
宗谷が前の御者にそう言いつけると、馬車が揺れだした。
けっこう揺れるのね。これはしっかり掴まってないと、座席からずり落ちそうだ。
馬車の窓を流れる風景の速度が一定になりだしたところで、横付けに馬を併走させていた宗谷が馬から馬車に飛び移って、馬車の中に入ってきた。
「あら、宗谷、お上手ね。隣にどうぞ」と左隅に腰をずらす。
「ああ」
空けた座席に宗谷が滑り込むように座り、自分の髪をくしゃくしゃにしながら真剣な横顔をみせた。
「どうしたの?」
「あ、うん。いや、まだ分からないのだけど、困ったな」
「そう、困ったのね」
宗谷は腕を組んで、天井を見上げた。
「あの護衛についてくる騎士たち。あれは聖騎士だ」
「ええ、ヴァン様にも教えて貰ったわ。ねぇ、その聖騎士ってなに?」
「魔術の使える騎士だよ」
「へ〜、そうなんだ。すごーい」
私、オタクだけど女でもあるから、あんまり戦争とかには興味がない。それでも、魔法とか聖騎士とかいうファンタジーワードには耳が惹かれる。
馬車の座席から身を乗り出して、後ろの窓から様子を窺う。聖騎士たちが魔術士のローブをはためかせて、こちらを追いかけている。
彼らが馬上から炎とか雷とか投げまくる姿を想像すると、思わずぞっとした。
「しかも、あのウィスさんがいるって事は、ミハエル様の直属だ」
「それで?」
「つまり、ミハエル王子はわざわざ自分の直轄部隊を、僕らの護衛に派遣したってことだよ」
「それって……」
腹黒王子の不敵さわやかな笑顔が、ふと脳裏に思い浮かぶ。
「多分、僕たちを監視するためだと思う」
あり得りそうで怖い……。
なんて事だ。またもや、陰謀の匂いがぷんぷんじゃないか。前だって、王子暗殺事件に巻き込まれたばかりじゃない。今度は、その王子の聖騎士に監視されながら、飛竜とかいうのをやっつけに行くんでしょう。
「どうしてなの、なんで?」
どうして、レヴィアちゃんは面倒事ばかり私に押しつけるの?
「え、いや、だって……。母さんが勝手に婚約破棄とかミハエル王子に宣言したせいでしょ」
あっ、私のせいだった。
「ねぇ、宗谷」
「なんだい?」
「あなたはレヴィアちゃんの事が好きなんでしょう?」
「えっ、ああ。まぁ、うん」
なに? その煮え切らない返事。
「だったら、お母さんのせいにするんじゃありません!」
「いや、だって」
「だって、じゃありません。レヴィアちゃんはあなたの彼女なんでしょう?」
「いや、え、でも……、えっ? それって僕のせい?」
「誰かのせいとか、そういうことじゃありません。男ならちゃんとしなさい、と言っているの」
「いや、分かるけど。だけど、えー」
よし、誤魔化せた。……誤魔化せたわよね?
ちらり、と横目で宗谷の様子を覗いてみると、納得いかない様子で顔を曇らせている。ちょっと強引だったかしら?
「そんな事よりも。宗谷、飛竜と戦ったそうじゃないの。大活躍って聞いたわ。お母さんに聞かせなさいよ」
「いや、今はそれどころじゃ」
「そう言って、いつも説明してくれないじゃない。さっきだって、宗谷が教えてくれないから、ヴァン様の前でうっかりしそうだったのよ」
「……時間がないから、ちょっとだけだよ」
「いいわ。ほらほら、聞かせなさい」
私は、まるで布団のように宗谷の肩をバンバンと叩いて、英雄と呼ばれるようになった経緯を聞き出すことに成功したのだった。
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