[0-07] 糸の関係
僕の本名は
職は公爵家の従者。
出自は不明。
しかし、聖王家より騎士の位に叙されている。
そうであるから、紳士淑女が集まる舞踏会にも参加することはできる。
しかし、しょせんは魔術を使えない騎士階級。このような貴族の社交場に参加すれば、嫌でも目立つ。それが聖王家の第一王子が主催するものであればなおさらだ。
普段であれば、余計な噂が立たぬように目立たないようにするが、今日はあえて会場の真ん中を横切るように歩いた。
すると、通り過ぎた左右からひそめた声が背中をつつく。
「さてさて、あんなのが英雄か。魔術も使えぬ能無しがねぇ」
「まだほんの餓鬼じゃないかい。ミハイル王子のお気に入りだとよ。今日もゴマをすりに来たんだろうよ」
「それ、それ。卿は知っているかい? あいつの飼い主、災厄が国家転覆に手を貸したらしい。それで、あの英雄様は米つき虫みたいに駆け回っているそうだ」
「まったく、ミハイル王子もお優しいことだよ……」
——これで、いい。
周りの貴族たちからの小言は予想通りだ。
こうやって、今は目立つことが肝心だ。レヴィが荷担した国家反逆を払拭するためにも、従者である僕がミハイル様に通じていることをアピールする必要がある。
悪意のあるヒソヒソ話を抜けて、舞踏会場を抜けてテラスに抜け出る。ダンスの演奏を背中に受けながら、そこに涼んでいる男の前で立ち止まった。
右の握り拳で己の心臓を打つ。略式の騎士の礼だ。今日は舞踏会だ。ひざまづく必要はない。
「さて、流石は英雄ソーヤ、といったところか。黒幕を見つけ出したそうだな」
その豪奢な金髪をかき上げて、ミハイル様はテラスの手すりにもたれかかった。横目で僕を流し見てから、夜空を見上げている。
「レヴィから、この手紙を殿下にお渡しするように言われて参りました。炎封の術式がありますので、中身は確かめておりませんが」
懐から赤い
本当は、レヴィからそのような命令は受けていない。これは母さんが探り出した事件の真相に過ぎない。だが、こう言っておけばレヴィが罪に問われることはないだろう。
「差し出し人は……ウリエルか。宛先はレヴィア嬢。中身は?」
「ミハイル様を暗殺する企みが書かれている、とのことです」
「ふむ」
王子は手紙を受け取ると、裏表を確かめた。
「確かに、この炎封の術式はウリエルのものだな。手順を踏まずに封を破れば炎で焼かれる。……レヴィアは、解錠手順までは教えてくれなかったのかな?」
「残念ながら……」
「まぁ十分だろうよ。解術の専門家に中身を確かめさせよう。何が書かれているか次第だが、仮にこれが恋文だとしてもウリエルを告発するには十分だろう。まったく、……あの弟には困ったものだよ」
ミハエル様はわずかに鼻で笑い手紙を懐にしまいこんだ。
実の弟のクーデターを目の前にしても動じる様子はない。おそらく、今回の陰謀についてはある程度は予測していたのだろう。
「これで解決、でしょうか」
「まあな。お前のおかげで物証が手に入った。これがあれば、穏便に済ませることもできるさ」
「レヴィの調査によるものです」
ちゃんと、レヴィの功績であることを強調しておかなければならない。
ふふ、とミハエル様は笑った。
「あのレヴィアを手なずけられるのは、お前だけだな」
「手なずける、なんて……。僕はレヴィの従者です」
「ふむ、ソーヤよ。聞いてよいかな?」
「なんでしょうか」
おもむろに、ミハイル様は手を掲げてこちらに見せる。その指には銀色の糸が束ねられた指輪が、月光を弾いて煌めいていた。
「お前はなぜ、レヴィアと糸を結ばぬのだ?」
「……僕は卑しい身分の出です」
はっ、とミハイル様は笑い飛ばした。
「糸の関係に身分など関係ない。いや、貴族の中にはそこを履き違えている輩も多いがな。例えば、そこで踊り狂っている中にはそういう俗物は確かにいるな」
ミハイル様は目を細めた。
「だが、それは本質ではない。ソーヤはまだ我が国のしきたりを知らぬと見える」
ミハイル様は口元に指を寄せた。
その中指には銀色の糸を束ねた指輪が絡まっていた。男なのに艶やかな唇がおかしそうに動く。
「糸とは、器よ」
「器、ですか?」
「身分も魔力も関係ない。この限られた五本の指に、
「……であれば、なおのことです。僕ごときがレヴィの糸になるわけにはいきません」
「ふむ、では、質問を変えようか」
ミハイルは目線をあげて僕を正面から見据える。
「ソーヤよ、我が糸をその指に絡める気はないか?」
月明かりに浮かぶミハエル王子の表情は真剣だった。
「……もったいないお言葉です」
「ほう、受けてくれるか」
「ですが」
「……我と絡まる気はない、か」
「ミハエル様には、すでにヴァン様がおられます」
ヴァン騎士団長とミハエル王子は糸の関係だ。
彼はこの若さであの老練な騎士団長と綾取りの指輪を交換した。だからこそ、第一王子として認められているのだ。
ミハエル王子は他の王子の中で、最年長というわけではない、魔力が高いわけでもない。現国王の盟友であり聖王軍の最高指揮官であるヴァン騎士団長に認められたからこそ、彼は王族の序列一位と見なされている。
貴族たちに糸とはそれだけ重要なのだ。僕だって、それを知らないわけじゃない。
だからこそ、レヴィと糸を交わすことはできない。
「指は余っている。私の人差し指がソーヤなら心強いと思っている。ヴァンもお前なら
「もったいないお言葉です。しかし、聖王族の指は国の行く末を決めるもの。このような若造には荷が重すぎるかと……」
僕はしょせん異邦人だし、ましてや貴族ではない。
「糸の心得には、むやみに糸を増やすなかれ、と書かれていると聞き及んでいます」
「確かに、な。ウリエルはあの若さですでに四人と糸を結んでいるそうだ。本来は、あいつのように友達感覚で糸を結ぶべきではない。……まぁ、それが評価されて、あいつは第二王子となった」
それが今回の暗殺計画で、ミハイル様にこうして尻尾を掴まれた。
ウリエル様としては、いくら糸を増やそうとヴァン様を後ろ盾にしたミハエル様を超えることは出来ない、という判断なのだろう。ゆえに強硬手段に出るしかなかった。
「あいつのことだ。あの災厄とさえ手を組めば十分に勝機あり、と考えていたのだろうな。確かに魔術戦となれば、あのレヴィアに敵う者は、聖王家ですらほとんどいないが……」
ミハエル様がこちらを横目で見る。
「ソーヤの存在に気がつけなかったのはウリエルらしい失態だな。あいつは昔から直情径行だった」
「今回は、僕は何もしてません」
「ふっ、そういう事にしておこうか。……そうだ、ソーヤに聞いておきたい事があったのだ」
ミハエル様は指に絡めた銀糸の指輪を唇にあてて、目を細める。
「最近、レヴィアが誰かと糸を結んだようだ。先日の聖壇でお前たちとごたついた時、彼女の指に綾取りの指輪が見えた。しかも、薬指だ。最初はソーヤかと思ったのだが……相手を知っているか?」
「……いえ」
入れ替わりのためにレヴィと薬指を絡めたのは母さんだ。
貴族にとって、互いの綾取りの指輪の数と位置は常に注目されるものだ。だから母さんには常に手袋をつけさせていたが、ミハイル様には入れ替わり直後のレヴィを見られていた。
「ほう、お前すら知らぬ相手なのか」
「はい」
夜風が吹いて、ミハイル様の金髪がふわりと風にさらわれた。王子は横を向いて、たなびく髪を手でおさえる。
「……まぁ、これ以上は詮索すまい。レヴィアに恨まれては怖ろしい。あれは気難しい娘だ。私も婚約者の機嫌をそこねつもりはない」
ミハイル様は薄く笑うと、こちらに手を差し伸べた。
「ソーヤよ。糸は結べずとも、お前には私の味方でいてほしい」
「……僕はレヴィに命を救われた人間です」と言い添えながら、彼の手を握る。「彼女のためになるのであれば、何でもします」
ふっ、とミハエル王子が笑った。
「……だから、お前は手強いのだよ」
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