[0-05] 素質

 放課後の屋上で、私は空を仰いでいた。

 一点の曇りもない、抜けるような晴天。その純粋な青い空に向かって、神に挑むほどの命題テーゼを投げかけてみる。


「果たして、息子でかもすことはアリかナシか?」


 問いかけた命題は空高く舞い上がって、空の青に溶け込んで消えてしまう。この胸のモヤモヤに誰も答えてくれないのだ。誰もが腐ったものに蓋をするように、見て見ぬ振りを決め込むのだ。事実、私は腐っている。腐りきっている。

 それでも、そっと目を閉じて想い浮かべてみる。


 ——金髪イケメン王子×鈍感系息子。


 金髪王子が微笑みながら息子に問いかける。「私のものになってくれないか?」ノンケの鈍感息子は、その言葉裏に潜む劣情に気がつけない。「分かりました。殿下にこの剣を捧げましょう」「ほう、剣を捧げると、その意味を分かっているのか?」「僕の忠誠を疑いますか」「そうか、そうまで言うのであれば、まずは後ろを向け」


 ……いや、やっぱりナシだわ。ごめんごめん。


 ちょっと母親としての限界に挑戦してみたけど、普通に無理でした。

 ふっ、私の腐力ふりょくも衰えたものね。

 若いころはもっと危険な領域まで攻めていたけれど、子どもが出来てからはそうも行かなくなった。最近は好みのジャンルまでソフトになってきている。切ない純愛BLモノ、いいわよね。


「何をたそがれてんのよ」


 急に声をかけられたので、左右を見渡したが誰もいない。


「こっちよ、こっち。ほら、ソーヤがあんたに持たせたペンダント」


 これは、レヴィアちゃんの声? 胸元から聞こえる。

 首にかけたロケットペンダントを引っ張り出して、その蓋をあける。中には鏡が仕込まれていた。

 その小さな鏡の中に、本来の私であるおばさんが映っている。


「あら、レヴィアちゃん」

「ちゃん、じゃないわよ。まったく人の体を使って、学院にまで入り込んで、図々しいババアね」

「いや〜、ありがとね。久しぶりの学生生活で楽しかったわ。レヴィアちゃんは可愛いから、人気者だし」


 かなり評判は悪いけどね。


「お世辞はいらないわよ。こっちは朝から大変だったわ」

「あっ、そうそう。ウチの旦那と玲奈れいなは?」


 玲奈は宗谷のお姉ちゃんだ。

 彼女は弟のことをとても可愛がっていたから、生きていると知ったらとても喜んでいただろう。


「さっきまでソーヤがこっちに来て、説明していたわよ。もう大変だったわ、ソーヤのお姉さんなんか大泣きして、ほとんど話にならなかった。お父様は落ち着いていたけど、まだ完全に状況を理解できてはいないご様子だったわ」


 ん? お父様?

 どうして私がババア呼ばわりなのに、旦那がお父様なのかしら。そこらへん、くわしく教えてほしいのだけど……。

 しかし、それよりも気になることがある。


「宗谷はそっちに行っていたのね」

「あいつ、また聖壇の鏡を使ってんの。私には規則や法律を守れとうるさく言うくせに、自分はどうなのよって話よ。本当にムカつく」

「あの、ご飯は?」

「あっ? そんなのお姉さんがソーヤを連れて買ってきたわ。オスシとかいう生魚の食べ物よ。まぁ、なかなか美味しかったわね」

「あら、そうなの」


 ほっ、と胸をなで下ろす。

 そうかそうか。旦那と玲奈には宗谷から説明してくれましたか。突然、連れてこられてしまったから心配していたのだ。


「それよりも、あんた。見つけたわよ」


 ロケットの中で、レヴィアちゃん《体は私》は目を細める。


「あら、なに?」

「いい趣味の本を、ずいぶんとたくさん持っているようね」


 レヴィアちゃんがしたり顔で取り出したのマンガ本だ。

 目を細めその表紙を確かめると、なんと、恐山夜人先生の『つぼみが知る』じゃまいか!


「いい年をしたおばさんが、なるほどねぇ、こういう男同士の恋愛に耽溺されているようで、読んでいたこちらが恥ずかしかったわ」

「……読んだのね」


『蕾が知る』は、二人の大学院生の《もちろん男同士の》切ない恋愛を描いた名作なのだ。

 同性愛者であることに悩みながら研究に没頭する神崎と、大学生活を謳歌しているノンケの有山。そんな二人のラブストーリー。


「ええ、中身は確認させて貰いましたとも。こんな良いご趣味があることをソーヤやお父様が知ればどんな顔をするでしょうね」

「……感想」

「ん?」

「感想、くわしく」


 ぐいっとロケットに顔を近づける。


「うわっ、ちょっと、急に寄るな」

「本当に読んだのなら、感想をくわしく述べよ! 正直に!」

「えっ、と、正直にって、え、感想? ……ま、まぁ、自分の性別と恋愛感情の矛盾に悩んでいる神崎に、彼女がいるくせにぐいぐいと無邪気にじゃれてくる有山の空気が読めないところとか、わりと緊張感があったわね」


 ふむ、基本は外してないようね。


「で?」とロケットを両手で引き寄せる。

「でって、何よ?」

「そこから先の展開よ」

「先って、もしかして、続きがあるの? どこに隠してんのよ。教えなさい」

「続きはまだ出てないのよ! 私だって心待ちにしてるのよ! だから、妄想するしかないでしょう。いや、レヴィアちゃんはすでにしているはずよ。続きを述べなさい。願望でもいいわ。むしろ、あなたの妄想を聞かせなさい!」

「え、妄想? えっと、続きの展開よね? わ、私は、教授役のおじさんが神崎を奪うんじゃないかな〜って、思ったり、しなくもはないけれど……」


 ——ね、寝取られだとぉ!


 しかも、年の差と身分差まで同時に絡めてくるとは天才か!

 深呼吸をして、目を閉じる。

 有山への想いを募らせた神崎、しかし有山は無邪気系ノンケ、なかなか気がついてくれない。生殺しの劣情、大学で研究に追われる日々。そんな時、深夜まで研究室で残っていると、教授に背後から……。


 ——大好物よ!


「……レヴィアちゃん、あなたには素質があるようね」

「はぁ」


 匂いがするのだ。ぷんぷんと。

 間違いないだろう。池袋のお腐くろさんと呼ばれた、この私の鼻がぴくぴくと嗅ぎ分けている。彼女から漂ってくるこの匂いはもう確定だ。この娘も私たちと同類。

 そう、生まれながらに菌を宿した存在。

 彼女に必要なのは、きっかけだ。


「レヴィアちゃん。寝室の本棚を下段から読みなさい。そこには週刊少年チャンプのスポーツ系が並んでいる。まずはそれを読破すること」

「えっ、他にもいっぱいあるの?」

「落ち着きなさい。発酵物の急激な摂取は心を壊すわよ。まずは一般少年誌から入りなさい、本棚の上段には純愛モノBLの良作をセレクションしてあるわ。でも、下段からゆっくりと上に読むこと、咀嚼するようにゆっくりと味わいなさい」

「やったぁ」

「落ち着きなさい! 焦ってはダメよ。それで人生が狂った同族を何人も見てきたの。いい、これは私との約束よ。よく覚えておきなさい。……本棚の裏にある本には、絶対に手をつけてはいけません。絶対によ」


 そこはドエロな二次創作が封印されている。

 そう原作の棚の裏側には、腐った妄想でどろどろになった二次創作の世界が広がっているのだ。それは数々の友人を腐らせてきた私の罠。原作本→二次創作本のコンビネーション。

 選び抜かれた私のコレクションが、彼女が秘めた腐の扉をこじ開ける!


「……分かったわ。裏にある本は見ない」


 かかった!

 まるで不思議の国のアリスみたいに、この娘は絶対に本棚の裏を覗き込むだろう。そこには、熱中した原作のキャラたちが、熱い友情で結ばれた男達が、あわれもない姿で絡み合う世界が広がっている。

 そして、少女は墜ちる。

 また一人、可愛い娘が、また一人。

 私たちと同じ沼にはまり、帰らぬ人となるのだ。


「そう、レヴィアちゃんは本当にいい子ね。約束よ」

「ええ、ソーヤのお母様」


 互いに黒い物を腹に宿しながら、私たちはにっこりと笑い合う。


 ふふ、うふふ。

 レヴィアちゃんとは、本当に良いお友だちになれそうね。


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