すみません、迷子なんです(1時間)
お題:消えた孤島 必須要素:予備校
霧の海に囲まれた小さな小さな島に、一人分の机と椅子。少女一人と、教師が一人。
「はい、終了」
大きく息を吐き、少女はペンを置く。教師はその場で回答用紙に朱を入れ始めた。
「ここ。またスペルが違う。RじゃなくてL。あなたにとっては大事な単語でしょう」
「ごめんなさい」
少女はしゅん、とうなだれる。柔らかな巻き毛がふわりと揺れた。
「ここも。こんな簡単な計算も出来ないようじゃ」
教師は大げさにため息をついてみせる。
「人間にはなれないよ」
ここも、ここも、と、答案用紙が朱で埋まっていく。その度に少女は体を小さくし、恥ずかしさで頬を赤く染めた。
「時間までもう少しあるから……せめて簡単な単語だけでも練習しなさい」
「はい」
手渡されたノートに、少女は単語を書き並べていく。
flower、flower、flower、flower……
「先生」
「なあに?」
少女は手を止め、まじまじと自分の手を見つめた。
「私の茎、色が変わっています」
「手、です。言い直して」
「手。私の、手」
「何か問題が?」
「いえ……」
少女は首を振り、単語の練習に戻った。
*
一時間程たった頃。
「やめ」
教師の声に、少女はノートから顔を上げる。
「時間切れ」
霧の向こうで、うっすらと太陽が昇り始めている。
「丘を下りたら、まっすぐお行き。人に会うまでまっすぐ。会ったらなんて言うかは覚えてるね?」
「すみません、迷子なんです」
「完璧」
小さな手を引いて椅子から立たせると、教師は少女の肩に両手をぽんと置いた。
「目を閉じて。十数えて」
「じゅう、までですか」
緊張した様子に、教師はふふ、と笑う。
「途中で間違えても平気だし、ゆっくりで大丈夫だから」
大きな瞳を、柔らかく塞ぐ。少女は大人しく従い、ぎゅっ、と目を閉じた。
「いち、に、さん、ご、……違う、し、ご、ろく……」
7、8、9、
「じゅう」
ふわり、と周囲が明るくなり、少女はゆっくりと目を開く。
「わぁ……!」
霧の海は消え去り、代わりに広がる空の青と、草の緑。遠くに見える、白くて丸くて小さな羊や牛。その向こうにもっと小さく、三角の屋根たち。少女は、街外れの丘の上に立っていた。
「先生、これ……! 先生?」
振り返った先に、教師の姿はなく。辺りをいくら見渡しても、慣れ親しんだ机も椅子も、跡形もなく無くなっていた。
しばらくは戸惑っていた少女だが、やがて、小走りで丘を下り始める。
「すみません、迷子なんです。すみません、迷子なんです。すみません……」
忘れないよう、口の中で何度も繰り返しながら。
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