白鳥の湖(1時間)

お題:昔の顔


 夢を諦めた一人の少女が、トウシューズを湖に投げ込みました。彼女はトウシューズが水底に沈むのをはらはらと泣きながら見送ると、一目散にその場をあとにしました。振り返ることはありませんでした。

 主人を失い、水底に沈んだトウシューズはけれど、まだ踊りたかった。まだ、諦められなかった。願いを、捨てることはできなかった。

 その願いを、フェアリーゴッドマザーは聞き届けてくれました。

 月明かり輝く満月の晩。湖を泳ぐ白鳥たちが次々と、ビジューがキラキラと華やかな、白いチュチュを纏った乙女に、次々と姿を変えます。そして湖は劇場に、森の小さな生き物たちは観客に、鳥達は楽団に。

 プリマを務める乙女が履いているのは、もちろんあのトウシューズ。しなやかなで美しい脚を、踊りを、しっかりと支えています。

――それから、何年もの時が過ぎました。白鳥たちの公演は、千秋楽を迎えることなく続いていました。あのトウシューズも古びることなく、月明かりに輝き続けていました。

 そんなある夜。一組の親子が、月明かりの劇場を訪れました。母親は劇場を目にして息を呑み、子供は無邪気に喜び笑っていました。

 演目が終わり、乙女たちが白鳥に戻る時、トウシューズは気がつきました。涙を流しながら拍手をする母親の服を引っ張り、私もやりたい、私もあの靴を履いて、あの服を着て踊りたい、と強請っている女の子。彼女の顔が、かつての主人にそっくりなこと。

 トウシューズは意を決し、その子の腕に飛び込みました。

 女の子は大喜び。お母さんは、驚きました。靴が飛び込んできたからではありません。靴の内側にうっすらと、自分のイニシャルが書いてあったからです。

「ねえお母さん! トウシューズが私にはいてほしい、って、飛びこんできたのよ! いいでしょ!」

 お母さんは気がつきます。娘の顔が、かつて夢を見ていた頃の自分の顔に、よく似ていること。

「分かった。ちゃんと練習するのよ」

「うん!」

 トウシューズを抱きしめ、女の子は母親とともに、スキップしながら湖をあとにしました。

 振り返ることは、ありませんでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る