些細な騒動 その2

なあ……リンスレット。もしかしなくても、俺たちって大分ヤバいことしてるよな?」



――授業も終わり、外には既に月明りが照らしている時間となった。殆どの人は布団に包まれて眠っているという時間で校舎内に侵入した俺は囁き声で問いかけた。足音が聞こえないようにゆっくりと……そして優しく一歩一歩進んでいき、リンスレットが口元に人差し指を立てながら返事を返した。



「今だよ神風君。私の退学の危機が迫ってるんだから、そんなことは気にしちゃダメだよ」



「完全に藪蛇なんだけどな……」



「細かいことはいいから。取りあえず、カメラを回収して朝にその映像を理事長に見せて退学処分を取り消しにする……そういう手はずだからね?」



「その作戦を考えたのは俺だからな」



 呆れてため息をつきながらツッコミを入れ、再び進みだすリンスレットの後をついていった。夜の校舎というのは昼間とは比べ物にならないほど不気味で、何か変な音が聞こえる度に過剰に反応してしまう。校舎に入った時も、水道の蛇口から水が落ちる音で飛び跳ねるようにして驚いてしまった。



 ちなみに、あの時話を聞いていた擦葉は夜のトレーニングがあるとか言って俺に全て丸投げをしたのだ。



――何やらお楽しみのようじゃのぉ。



 いつもより長く感じる廊下をリンスレットと歩いていると体内なかに隠れているティアがどこか眠たげな口調で言ってきた。あくびをしている光景が瞼の裏に浮かぶようで、少し顔をニヤつかせながら返事を返した。



――眠かったら寝ててもいいんだぞ? 口調から眠いのは分かるし、良い子はもう寝る時間だぞ~。



 若干馬鹿にするような言い方をすることで目を覚ますと思っていたのだが、本気で眠い相手にその言葉はまるで無意味だった。一度聞こえるほどの大きなあくびをして一言呟いた。



――そうじゃのぉ……。まあ、何かあったら呼んでくれて構わんからのぉ……。



――はいはい。分かったからもう寝とけ。



 後半眠りながら答えたティアのことが可愛いと思いながら適当に返し、そこで会話は終了となった。ようやく長い長い廊下も終わりそうで、理事長室まで残り僅かとなった。



「ちょっと止まって神風君」



「ん? 一体どうしたんだ?」



 前を歩いていたリンスレットが突然進んでいた足を止め、隣に並んだ俺を遮るようにして腕を伸ばす。言葉の意味が分からなかった俺は隣にいるリンスレットに視線を向けると、サングラスにも似た変な眼鏡のような物をかけた。



「何やってるんだ?」



「ここは夜になると自動で赤外線センサーのスイッチが入るの。だから夜になってここを通る時は赤外線センサーを感知する眼鏡が必要になるんだ」



 ごく普通のことのように話し、その眼鏡を差し出してきたリンスレット。それを受け取る手が一瞬迷ったように止まってしまったけど、受け取らないわけにはいかないので仕方なく眼鏡を装着した。


……そして目の前に続く廊下を見てみると、リンスレットの言っていた通り壁から壁までまるで蜘蛛の巣のように赤い線が張り巡らされた。



「……マジですか」



「マジなんだよ、神風君」



 呆れるよりも驚きの感情の方が大きかった。確かに世界で一番の最先端の技術が集結しているこの島では防犯は大事なことだけど、こんなドラマやスパイ映画とかでありそうな赤外線センサーが校内に張り巡らされているとは思わなかった。



 大きなため息をついてから慣れている動きで赤外線センサーを避けながら進むリンスレット。普段の生活と態度からは信じられない柔軟性と体幹で、俺は思わず感心してしまった。全ての赤外線を避けて進んでゴールすると、指でこっちに来るように指示をするリンスレット。どうやら線外線センサーを解除する機械は外にはないらしい。



「行けるかな……」



 若干怯えながらさっきのリンスレットの動きを思い出す。一度大きく深呼吸をして、覚悟を決めてから赤外線を回避する。最初の一本目は足元にあって、そこはいつもより股を上げるイメージでまたいで躱す。一本目を跨いだら、直ぐ上に二本目、そして三本目が斜めに張られている。



「ちょ、これ……結構キツイな」



 リンスレットとは身長に大きな差がある俺にとってはこの時点でかなりきつかった。元々柔軟性に優れているわけでもないため、体操選手並の動きを出来る自信はない。痛む身体をグッと堪えながらなんとか進み、ギリギリ赤外線に触れないようにゴールした。



「はあー。はあー。はあー」



 そんなに動いていないわけでもないのに、絶対に触れてはいけないという緊張感と普段は使うこと無い柔軟性を無理に引き出したせいで汗が止まらなかった。



「大丈夫? 神風君」



「え? ああ……大丈夫大丈夫。 それより、何か理事長室は無音なんだけど」



「昨日の夜もこのくらい静かだった。けど、扉を開けたら全裸の理事長が待ってた」



「分かった。うん、もう分かった。そして出来れば聞きたくなかった」



 頑なにそう言うと一呼吸置いてからリンスレットがドアノブに手をかけた。どこか手が震えているところを見ると、昨夜の全裸理事長が相当なトラウマになっているのだろう。そこで俺はリンスレットがドアノブを握っている手を外し、代わりに自分でドアをあけることにした。真夜中に自分の領域で全裸になっている変質者には遠慮もはらう敬意もない。


 ノックもしないまま勢いよくドアをあけ、カチコミするような感じで入って行く。



「理事長話が――」



「やあ、君達! 待っていたよ。リンスレット君も神風君もね!」



「「……」」



 ドアを開けて待っていたのは全裸でも、犬のように部屋を駆けまわっている姿でもなかった。いつもと同じ白い武装スーツを着こなし、お茶会の準備完了で笑顔で待っていた。来たもの拒まず包み込むように広げられた両手、全裸とは縁遠い外見をした理事長。



 俺とリンスレットは想像よりも斜め上の対応をされたことに、微動だにしないまま冷めた目で理事長のことを見続けていた。



「あれ~? 一体どうしたんだい~? 君達二人が今夜訪問に来ることは分かっていたからお茶会をしようと張り切っていたのに」



 残念そうに理事長は真ん中のソファーに腰かける。机には理事長が言った通り数多くのお菓子とお茶が置かれている。



……こいつは一体何を待っていたんだ?



「君達が欲しいのはこれだろう? このカメラに入っている映像。つまり、僕の全裸動画だ」



「そこまで知ってるんだったらわざわざこんな歓迎しなくてもいいじゃないですか。それより、何で今夜来るって知ってたんですか?」



「それはあれだよ。神をも恐れぬ僕の地獄耳だ」



 微妙に答えをそらす理事長。その地獄耳について詳しく聞きたかったけど、そんな話をするために来たわけではないのでリンスレットと一緒に机を挟んで理事長と向き合う形でソファーに腰かけた。



「お菓子食べないかい?」



「今はちょっといいですかね……。それより話があるので」



「リンスレット君の退学処分の件だろう。お人好しの君のことだ。リンスレット君に泣きつかれてここに来たんだろう?」



 全て見透かしているような口調。そして全て的を射ていることを言って来る理事長。リンスレットが理事長を見る目を変え、入る前とは違って全身を震わせていた。退学というのはその名の通り、学園を去ることである。


 一度退学になった者はもう一度入りなおすことが出来ない。つまり、リンスレットは二度とこの学園に来ることが出来ないということになるからだ。



 俺は動揺していることを悟らせないようになるべく胸を張って、あくまでも主導権を握られないように問いかけた。



「そこまで分かっていて、何でこんなことをしたんですか? リンスレットの退学を取り消す代わりに俺に取引でもするつもりですか?」



「さすがは神風君。話が早くて助かるよ。監視カメラが仕掛けられていることは直ぐに分かったし、お人好しの君が今夜ここに来ることも分かっていた。何故来るのかも、何をしにここに来るのかもね」



「……感心しませんね。学園のトップの人が生徒を利用するために生徒を消そうとするなんて」



 それは単なる皮肉だった。主導権を握られないように頑張っていたけど、この部屋に入った瞬間に俺たちは既に主導権を握られてしまっていたのだ。正確にはリンスレットがここに監視カメラを仕掛けた時から全て理事長の目論見通りになっているということだろう。



 長い話を聞くつもりはないので、一回咳払いをした俺は要件を尋ねた。



「それで、俺に求めるものはなんですか?」



「それはだねえ……君の力だよ。知っての通り、この島には多くの学園がある。そして、年に一回高等部生を限定とした大会が催されるんだ」



 本題の話を切り出した理事長は何故かリンスレットに視線を向ける。肘をつき、手の上に顎を乗せながら睨むようにリンスレットを見つめる。すると何かを察したリンスレットが持っていた小さなカバンから一枚の紙を取り出し、それを理事長に手渡す。



「そう。この大会だよ。神風君にはこの魔法祭に出場して、優勝してもらう。リンスレット君の退学は優勝しないと免除にならない……と、言いたいところだけど、そんなことをしたら寝首をかられかねないからね。


 退学の免除条件はこの大会に出場し、全力で戦ってもらうことにするよ」



「ま、魔法祭ですか?」



「君も聞いたことがあるのではないかい? 魔法を知り、それを行使して戦う大会だよ。使う魔法は何でもいいんだ。でも、最近は絶対王者というものが君臨しちゃってるんだ」



「絶対王者?」



 その単語に引っかかった俺は思わず同じ言葉を繰り返してしまった。『魔法祭』というのは理事長の言った通り、それぞれの学園の代表でトーナメント戦を行う大会である。優勝すると絶対勝者ザ・ファーストという称号が与えられるらしく、すなわちこの島に居る学生の中で一番強いということになる。



 それは将来でも大いに役立ち、その称号を持っていた人はレメゲトンに入れることは確実だという。しかし、絶対勝者ザ・ファーストという称号は与えられても絶対王者という称号は与えられないはずだ。その単語に引っかかっていると、理事長が軽く謝る。



「ごめんごめん。少し混乱させてしまったようだね。『絶対王者』というのは僕が考えた異名のようなものだよ。ここ数年、ずっと同じ生徒が優勝し続けているからね。『絶対勝者』という称号では物足りないような気がしただけだよ」



「……そうですか。それで、理事長は俺にその魔法祭に参加させるためにここまで手の込んだことをしたということですか?」



「そうだよ。君は参加してくれると信じているし、信じていたからこの方法を思いついたんだ。普通に頼むのは面白くないからねえ」



 自分に……自分が抱いている考えに絶対的な自信を抱いている理事長は完全に勝ち誇っているような顔をしていた。俺に『優勝』という条件をつけなかったのは、ここでYESと答えやすいように誘導していたのだろう。


 確かに、俺がここNOと言ったらリンスレットの退学は決定してしまう。理事長は俺がここで『NO』と言えない人間だと分かっていたから話を持ち掛けたのだろう。



――当然、断ること何て出来ない。なので少しでも嫌そうに……怒っているように答えた。



「分かりました理事長。この魔法祭で全力で戦うことを誓います」



「君ならそう言ってくれると思っていたよ。出来るだけのサポートはするつもりだから、そこは遠慮なく言ってくれたまえ」



「はい。では失礼します」



 軽く頭を下げてリンスレットのことを完全に忘れて俺は理事長室を後にした。


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