幼女の名前

「取り合えず隼人。私にわかるように簡潔に説明して」



「借りてきた白紙の本にココアをかけたら幼女になりました」



 今もなお俺にしがみついている幼女。小さい子供特有の温かさと女の子が誇ってもいい甘い匂いが鼻を突き抜け、俺の頬を緩ませてくれる。


 一応簡潔に説明をしたつもりだけど、全く納得いっていないヴィネグレットは変わらず絶対零度の視線で見つめながら俺に正座を強要した。



「……分かりました」



 俯いたままヴィネグレットの指示に従い、静かに正座をする俺。ヴィネグレットは変わらず絶対零度の視線で見つめ、汚物を見るような顔で俺の方を向く。



「もう一度聞くね。なにがあったの?」



「さっき言った通りです」



「ふざけてるの?。 私だって隼人の言うことが嘘だとは思いたくないけど、本がココアをかけたら幼女になるって言うのは………ちょっと」



「うん。そこは俺も全力でおかしいと思ってる」



 そこを強く言われてしまってはなにも言い返せない俺はヴィネグレットの言うことに深く頷いた。すると、ずっと頭を俺の胸に隠していて口を閉ざしていた幼女が口を開き、ヴィネグレットを指差しながら言う。



「少しはこいつの言うことを信じてやらんかそこの娘よ。こいつの言ったことは全て真実なのじゃ」



「真実?。 それよりあなた、一体何者なの?」



「わしか?。 わしはこいつが言っていた白紙の本に封印されていた霊じゃ。霊であり鍵である存在じゃ」



 無い胸を張ってえへんという感じで言った幼女。口調こそ少し年寄り臭いが、その行動はまさに子供のようで見ていてとても微笑ましかった。



 幼女が胸を張って説明したところでヴィネグレットは静かに膝から床につけると、幼女に向かって手を伸ばした。何かされると思った幼女は咄嗟に両手で顔を隠すが、伸ばした手は幼女の頭を優しく撫でていた。



「そっかぁ……封印されていた霊だったんだぁ」



「なななな……なんじゃお前は!?。 さっきまでわしのことで怒っておったんじゃないのか!?」



「怒る~?。 私が隼人以外に怒るわけないでしょ~」



「諦めろ。ヴィネグレットはこう見えて小さい子供が大好きだから」



 急に頭を撫でられた幼女は顔を真っ赤にしながら振りほどこうとするが、すっかり母性本能?を丸出しにしたヴィネグレットから逃れることはできなかった。先程まで絶対零度の視線を浴びせていたヴィネグレットはどこに行ってしまったのだろうか。


 俺の目の前にいるのは酒に酔ったように顔を緩ませ、至上の喜びに浸っているヴィネグレットの姿だった。



「と、取り合えずその辺にしといてやれ。その子もめちゃくちゃ困ってるから」



 幸せそうな顔をしながら幼女に頬擦りしているヴィネグレットを無理に離し、未だ照れて顔を赤くしている幼女を助けた。すると、幼女は俺のワイシャツの袖を掴み、手を震わせた。



……ヴィネグレット。お前、めちゃくちゃ怖がられているぞ。



 声に出して言うことができないので、心のなかで俺はそう呟いた。




※※※




「うっまーい!!。 なんじゃこれは!?。 今まで食べてきた料理よりも遥かに旨いぞ!!」



 気を取り直してヴィネグレットが持ってきてくれた夕飯を食べることにした俺たちは、フローリングの床に皿やらコップやらを並べて食事をすることにした。


 ヴィネグレットが作ってくれた肉じゃがを幼女が一口食べた瞬間、ぴょんぴょんと跳び跳ねながら目を輝かせていた。



「そう?。 ありがとう~」



「……お前、全力でキャラが崩壊してるけどいいのか?」



「別にいいの!。 それやり隼人はあんまり食べ過ぎないでね。この子に食べさせる量が減るから!」



「俺のために持ってきてくれたんだよな!。 なあ!」



 泣きそうな声のまま叫ぶが、ヴィネグレットの瞳には本当に美味しそうにモグモグと食べる幼女しか映っていなかった。


……まあ、可愛いからいいか。



 自分を慰めるようにそうやって言い聞かせ、幼女の幸せそうな笑顔を肴にして食べ続けることにした。



「そういえば隼人。この子って何て言う名前なの?」



「名前?。 そう言えば聞いてなかったな」



「………あんた。名前は最初に聞くもんでしょ」



「名前を聞いてる場合じゃなかったんだよ。それで、お前の名前は何て言うんだ?」



 ヴィネグレットの探求心が芽生え、幼女の名前を聞き出すところまで行ってしまったが俺も名前を聞いていないことに気がついた。なぜなら、白紙の本にココアをかけらた幼女になったからだ。


 状況を整理するのに精一杯で名前を聞いている暇など存在しない。



「わしの名前か?。 特に名乗るような名前はもっとらんのぉ。好きに呼んでもらって構わんよ」



「以前は何て呼ばれてたんだ?」



「以前か?。 そうじゃなぁ……皆それぞれ呼んでくる名は違ったが、一番多かったのは“鍵”と呼ばれることじゃな」



 不敵な笑みを浮かべながら幼女は言う。食事をしていた手を止め、ゆっくりと冷たい声で吐かれた言葉は自分が想像していた以上に胸に深く強く突き刺さった。


 寂しさにも悲しみにも似た声は俺の涙腺を刺激し、あと一歩のところで涙を流すというところまで刺激してきたのだった。



「か、鍵か……。でもお前はそんな名前は嫌だろ」



「呼ばれるならなんでもよいな。所詮わしは二つあるうちの一つに過ぎんから。一つだけでは意味がないのじゃ」



「そんなことはねえだろ。今日だって第一形態召喚霊召喚ファースト・サモンの武装を一撃で破壊してたじゃねえか」



「そんなことわしには造作もないことじゃ。もとい、わしは霊体でありながら霊殺しじゃからのぉ。召喚霊なんぞわしの格好の餌にすぎん」



 嘲笑うように言う幼女はその姿をしていながら大きな存在に見えた。仮に霊殺しだと言う異名がついていたとしても、あの感覚は今までに感じたことのない感覚だからだ。


 未知の力……新たなるエネルギーとでも言えばいいのか、体内に宿す霊力にも似た未知の破壊の力。



 第一形態召喚霊召喚ファースト・サモンの武装を拳一撃で破壊し、身体強化している人間をも気絶させた。


 圧倒的破壊力と攻撃力、そして防御力がこの幼女にはある。霊殺しの異名に相応しい強さがあるのは、俺が身をもって体験したのだ。



「まあいいや。名前の方はこっちでつけていいってことだな」



「そういうことじゃ。……まあ、あまり嫌な名前をつけられるのも困るだけだからのぉ。そこは臨機応変に対応してくれると助かるのぉ」



 そんなわけで少し考える時間を作った俺は目を閉じて、自分の太ももに肘をついて考えだした。それにつられてなのか、気を使ってくれたのか二人とも黙って食事を再開する。



……正直、そこまで静かな状態で考えるのは俺の性格的にあっていないので中々いい名前が思いつかなかった。


―――そんな中、俺が小さな時に読んだ本のタイトルを思い出す。



「……ティア。ティアじゃだめか?」



「ティアか?。 ……なるほど、今までつけられた名の中で一番良い名じゃ」



 本当に喜んでくれたのかは分からないけど、ヴィネグレットの料理を食べていないのに笑顔になっているということは気に入ってくれたということだろう。一体歳が何歳なのかは知らないけど、封印されたということはそれなりの年月を生きていることだろう。


 永遠と幼女のままなのか、それともあえて幼女の姿なのかも知らないけど取りあえず分かったことは一つある。



――名前がティアであること。



 こうして、白紙の本に封印されていた幼女霊の名前はティアとなった。



「よしじゃあ名前はティアだな。それよりティア。今日みたいな力を発揮するときはどうすればいいんだ?」



「あの武装のことかのぉ?。 あれならわしが勝手にお前さんの霊力を操作にしてやるからお前さんは何もしないでよいぞ」



「……ってか、普段はどうするんだ?。 授業に出すわけにもいかねえし、ここでずっと待ってるのも嫌だろ?」



「なんじゃそんなことか。それなら簡単じゃ」



 そう言ったティアはいきなり立ち上がり、小走りで俺の背中へと回り込む。そして柔らかく、温かい手で俺の背中に触れると囁くように小さな声で何かを唱える。背中がどんどん熱くなっていき、何かが体の中に入ってくる特殊な感覚に襲われる。



「――これで終わりじゃ」



「何をしたんだ?」



「お前さんを正式に主として契約をしたのじゃ。これで霊体であるわしは、自由にお前さんの体に逃げられるということじゃ」



 実践してみるかのぉと言ったティアは俺の背中に頭をつけると、特殊なワープのような物が現れそこに頭、そして体を入れて行く。今まで味わったことない感覚が俺を襲い、全身をくすぐられたようなかゆみが生じる。



――どうじゃ?。 これで分かったかのぉ?



 すると、あの時と同じように頭の中に直接声が響いた。



――ああ。聞こえてるよ。つまり、緊急時以外はお前はずっと俺の体内なかに隠れてるってことだろ。



「そう言うことじゃ」



「!!?」



 てっきりこのまま暫く体内なかに滞在しているのかと思ったらティアが前の方から顔を覗かせ、思わず目が合う。いきなりのことで口に入っていた食べ物を吹き出しそうになってしまったけど、何とか堪えてそれを飲み込んだ。



「……っはあ!!。 あ、あぶねえ。ティア!。 出てくるなら最初から知らせろ」



「す、すまぬのぉ。少し出る場所を間違えてしまったようじゃ」



「ハア……取りあえず、これからよろしく頼むぜティア」



「こちらこそじゃ我が主よ。わしが居るからには大抵の奴には負けることはないだろう」



 一息ついた俺は改めてティアに握手を求めようと手を差し出す。すると差し出した手を両手で掴んだティアがブンブンと上下に振る。


 召喚術師としての素質は無かったが、俺は霊殺しの異名を持つ霊――ティアと契約を交わした。



 成り行きというのが一番正しいのか、それとも運命というべきなのか。白紙の本は開いてみたら霊殺しが封印されていた本だったのだ。



――そう。それはさながらパンドラの箱のように。


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