封印霊

―大決闘の末俺は擦葉に勝利をした。頭の中に流れてきた言葉の指示通り擦葉を殴った結果、第一形態召喚霊召喚ファースト・サモンが解除され、そのショックなのかまだ分からないが擦葉は気絶してしまった。


 結局その後は立花先生に全てを任せ、気づけば空は暗くなっていた。決闘の時は響いていた声もいつの間にか聞こえなくなってしまい、俺はいつもより急ぎ足で寮へと戻る。



「そう言えばこの本置いてったままだったっけ」



 自分の部屋の前に置きっぱなしにしていた赤いブックカバーを付けた本を拾い、今度こそ部屋に入る。ドアノブに力を入れて軽く引っ張る。



「ただいま……」



 無意識に口から出てしまった言葉だけどもちろん部屋に誰も居なければ廊下も真っ暗だった。ため息が出来るほど寂しく、暗い部屋を見た俺は取りあえず明かりをつけようとスイッチを押す。明かりをつけると新築のように綺麗で清潔な部屋と、埃一つ落ちていない廊下と奥に続く一部屋が映った。


 俺は廊下をすべるようにして移動し、誰も居ないリビングへと向かった。一人一部屋には贅沢すぎる広さと設備で、この学園に入って本当に良かったと心から思う。



 生活で使うような物はそろっていて、ベッドや洗濯機、掃除機に冷蔵庫までもついていた。ここになくて自分が必要だと思う物は自分で買って来いということだろう。中等部の時に使っていた荷物が届くまでは、この殺風景な部屋で我慢するしかないか。



「まあ仕方ねえか」



 珍しく動いてお腹が空いているはずなのに、気力が尽きていて食料品を買いに行く元気が出なかった。何も書いていない白紙の本を適当に部屋の隅に投げて置き、うつ伏せでフローリングになっている床に寝そべっていた。



―――すると、ポケットに入れていた携帯が鳴る。どうやらメールが来たらしい。



「ん?ヴィネグレットからか」



 メールの内容を確認して見ると思わず飛び跳ねて喜んでしまうほどの内容だった。



『夕ご飯作りすぎちゃったけど食べる?どうせまだ食べてないわよね?別にあんたのために作ったわけじゃないけど』



「おおお!!!神様仏様ヴィネグレット様!!本当にありがとうございます!!」



 ここにいないヴィネグレットではなく、自分の携帯をベッドの上に置いて拝む俺。傍から見たら俺はただのヤバい奴としか見えないことだろう。



『ありがとうございますヴィネグレット様!!楽しみにお待ちしております!!』



 直ぐに返事を返した俺は上がったテンションのまま冷蔵庫を開ける。折角温かくなった俺の心を凍り付かせるような冷気が伝わってくるが、今の俺の心の温かさを凍り付かせることはまず不可能だろう。



……しかし、何も買っていないからかやはり冷蔵庫は空っぽだった。中等部の時は初日だろうがどんな日だろうが、ジュースの一本でも入っていたというのに。



「仕方ねえ……非常用を使うか」



 夕ご飯を持ってきてくれるというヴィネグレット様だけど機嫌を損ねたらそのご飯がなくなってしまう。なので、出来るだけもてなしをする必要があるのだ。そんなわけで俺はいつも持ち歩いている一杯分の粉末が入っているインスタントココアをカバンから二つ取り出し、ポットでお湯を沸かした。幸いコップが二つあったので、俺の分とヴィネグレットの分のココアの用意できる。



「おっ。沸いた沸いた」



 コップに粉末ココアを入れたまま数分待っているとお湯が沸き、火傷しないように丁寧に注ぎ込む。



「……そろそろ来ると思うしお湯入れちまうか」



 冷めたココアを入れたらそれこそ不機嫌になりそうだけど、面倒なので二つのコップにお湯を注いで元々あったスプーンでかき混ぜる。ココアの優しい甘い匂いが部屋に充満し、疲れ切った俺をリラックスさせてくれる。


 珍しく霊力を限界まで消費させた俺は、いつもより疲れていたのでこんな疲れた日は甘いココアのような飲み物が飲みたくなるのだ。



「ああ……美味いな」



 ココアの甘い香りと上品な甘さが口……そして鼻を突き抜ける。



「そう言えば俺の部屋テーブルがねえな。今日買って来るべきだったか」



 殺風景どころか生活感が全く感じられない部屋を改めてみて、そう呟いた。でも当然のように今更テーブルやらその他もろもろを買いに行く気力も元気もない。全てを投げだしたくなった俺は両手を広げながら仰向けで横になる。



―――コツンっ。



「あ――」



 伸ばした右手に嫌な音が響き、急いで起き上がって見ると案の定ココアがこぼれてしまっていた。コップから零れたココアはどんどん部屋を制圧していき、茶色のフローリングが薄い黒色に染まろうとしていた。



―――さらに、適当に投げ置いていた白紙の何も書いていない本にココアが浸透する。それはマズイと思って急いで手を伸ばそうとした瞬間、本が急に叫び出す。



「あっつぅぅぅぅぅぅぅ!!!?。 な、なんじゃこれは!!」



「えっ?」



 水揚げされた魚のように飛び跳ねた本は自動的にページを開き、思わず目を閉じてしまうほどの強い光を放った。腕で目を守るようにし、光が無くなったところで腕をどかす。



「……マジですか」



 腕をどかして閉じていた瞼を開けた先に映った景色は裸の幼女だった。小学1~2年生くらいの身長に艶やかで綺麗な黒髪は座っている状態ではフローリングの床についてしまうほど長かった。どこか神々しい金色の瞳には相も変わらず死んだ魚の目をしている俺が映っていて、目の前の幼女は可愛い顔とは裏腹にとても不機嫌そうな顔をしていた。



「いきなりお湯をかけるような罰当たりな奴がおるかバカ者!火傷をしたらどうするつもりだったんじゃ!」



 頬をリスのように膨らませて怒る幼女。怒っているということは分かっているのだが、何故かとても和んで頬が緩んでしまう。


……いや待て。この状況を誰かに見られたりでもしたらかなりヤバくないか?



――その考えが頭をよぎった俺は制服のブレザーを脱ぎ、目の前にいる裸幼女に渡した。



「……なんじゃこれは?」



「今は服ないから取りあえずこれを着てくれ。いや、頼むから着てください」



「ふむ……そこまで頼むのなら、着てやらないこともないのぉ」



 なぜか上から目線の幼女。しかし、俺はこの幼女の声と口調がどこかで聞いたことがあるような気がした。思い出せそうで思い出せないという気持ち悪い状態で必死に考えていると、渡したブレザーに頑張って袖を通した幼女がちょんちょんと肩を叩いてきた。



「お前さん。わしのことを思い出そうとするのはよいが、あのココアとやらは放っておいていいのか?」



「ああ!!。 拭くの完全に忘れてた!!」



 幼女に言われてようやく思い出したのは名前ではなく零れたココアを拭くことだった。だが、この部屋に雑巾なんて日用品は存在しない。仕方ないので台所のところに置いてあったキッチンペーパーで拭くことにした。



「何で雑巾がなくてキッチンペーパーはあるんだ?」



 そんな率直な疑問が頭の中をぐるぐると回りながらココアを拭いていた。全てを拭き終わり、取りあえず一安心というところで再び幼女が尋ねてくる。



「それでわしのことは思い出せたかのぉ?」



「……いや、やっぱり全く思い出せねえ。ってか、お前は一体何者なんだ?あれは白紙の本じゃなかったのか?」



「落ち着かんか。わしという存在は一人しかいない以上、一度に質問していいのは一つだけじゃろ」



 嘲笑うように幼女に言いくるめられ、俺は何も言い返せないでいた。すると幼女は手を顎につけながら考える素振りを見せ、暫くしてから言った。



「まずはそうじゃな……最初に聞かれた“何者”というところから答えてやろう。わしは霊体じゃ。霊体以外の何者でもない」



「じゃ、じゃあ召喚霊なのか?」



「召喚霊なんて人間が作り出した物にひょいひょいとついてくる霊と一緒にするでない。わしの存在は、召喚霊よりも格上の存在なのじゃ。そうじゃな……少しいじわるな言い方をすると、わしは鍵じゃな。二つあるうちの一つの鍵じゃ」



「鍵?」



 引っかけか何かと思ったけど、全く答えが分からないので取りあえず召喚霊の何か凄い奴という認識にしておこう。頭の悪い俺に何かを気づかせるような回りくどい言い方をする方が悪いという開き直りの方法をとった俺は、そのまま幼女の話を聞くことにした。



「あとは本についてじゃったな。ちなみにお前さんは鍵をどこにしまう?」



「鍵?鍵なら大事だし……カバンとかポケットとかか?」



「つまりはそういうことじゃ。鍵であるわしは無くさないように本の中に保管されて……いや、封印されていたのじゃ」



「封印?じゃあお前、召喚霊じゃなくて封印霊ってことか?」



「おお。それは楽な言い方でいいのぉ。似たようなものじゃし、取りあえずその認識で構わん」



 俺の認識がお気に召した幼女は鼻歌混じりで話を続ける。……けど、そろそろヴィネグレットが来る頃合いになってきてしまったのだ。



「ちなみにお前さんよ。未だにわしのことは思い出せぬのか?」



「え!?。 あー……ま、まあ」



「まあ仕方ないかのぉ。あくまでしたのは会話だけじゃしな。あの……隠れ巨乳のデュラハン娘と戦っていた時、頭の中に声が流れてきたじゃろ?天使のような声が」



「え!?。 ま、まさか……あの声がお前だったのか!?」



「やっと思い出したか。全く……力を貸してやったのだからもう少し覚えていてもよかろうに」



 ため息をつく幼女は少し悲しそうな寂しそうな顔をしていた。確かに言われてみればあの時の声に似てなくもない。けど、俺は生の声の方が声が綺麗でいいと思う。



――と、個人的な感想を心の中で呟いたところで玄関のチャイムが鳴る。



「隼人ー。来たわよー」



「!!?。 ヴ、ヴィネグレット!?」



「そうよ?何慌ててるの?」



 ドア越しで会話を続ける俺はこの幼女をどうするのかを真剣に考えていた。仮にバレたところで何て説明すればいいのか。


 図書館で借りてきた白紙の本がココアをかけたら幼女になりましたって言えばいいのか?



「そんな非現実的なことを誰が信じるんだ?」



「隼人まだー?もう勝手に入っちゃうよー」



「え!?。ちょ、ちょっと待って。あ~よし!お前は取りあえずそこのベッドで布団被って隠れろ!」



「心得た。方法はどうであれ、狭苦しい本から抜け出させてくれたお前さんの願いじゃ。わしも全力を尽くそう」



 幼女なのに随分と頼りがいのあることを言い、直ぐにベッドに隠れた。そのタイミングでドアが開き、鍋やらタッパーやらを持った主婦感満載のヴィネグレットがやって来た。



「何やってたの?」



「い、いや?。 別に何でもないけど?」



「……」



――視線が怖いですよヴィネグレットさん。


 完全に俺を疑うような目で見つめ、持っていた鍋やらタッパーやらを俺に持たせてずかずかと部屋の方に向かった。


 俺はヴィネグレットに持たされた物を持ちながら急いでヴィネグレットを追いかける。



「……この膨らみはなに?」


「えっと……それはですね」



 部屋に入って真っ先に疑われたのは明らかに異常な膨らみを見せるベッドだった。姿こそ見えていないが、そこに何かが隠れているということは誰が見ても一目瞭然だった。大量の冷や汗を額に滲ませながら震えた声のまま言う。



「お、男がベッドに隠しているものと言ったら一つでしょ?」



 女子が嫌がるものを挙げれば身を引くと思っていたけど、それが逆効果となりヴィネグレットの背中を押してしまうことになった。



「それもそうね。じゃあ、全部処分しなくちゃ」



「え!?。ちょ、ちょっと待って!!」



「止めるのじゃぁぁぁぁ!!」



「「えっ?」」



 ヴィネグレットが魔王のように手を伸ばし、俺はそれを食い止めようとした。だが、ヴィネグレットの『処分する』という言葉に反応した幼女が涙目になりながら布団から飛び出て俺に抱きつく。



「ねえ……隼人。これはなにがあったの?」



 絶対零度のような視線で俺を見つめてくるヴィネグレット。さっきまで温かった俺の心は、その絶対零度のような視線で一瞬で凍り付いてしまった。



「ハハハ。キットテンシガヤッテキタンダヨ」



 ぎこちないままヴィネグレットに説明する。冷や汗は滲むだけではとどまらず、次々とフローリングの床に垂れ落ちて行った。



 俺は絶対零度のような笑顔を向けてくるヴィネグレットがこの時だけ般若のように見えてしまった。


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