第27話

 クオリスは、口を閉ざして自分を見下ろすイワンに、契約の内容、そして、そのおかげで竜人から疎まれ、【秘境】を出てきたことなど全てを包み隠さず話した。

「すまない。全て私が招いたことだ」クオリスは膝を折り、頭を地面につけて詫びた。

 イワンはしばらく黙っていたが、ふいに遺体が入った袋を口で器用に開けると、丁寧に袋の底を引き、ロンの顔を袋から出した。

 何をするのかとクオリスが息をのんで見つめていると、イワンはすぐに表情を和らげ、口端を上げた。

「ロン、弱りながら死んじゃったのネ。でも、きっとアナタを恨んだり、契約したことを後悔したりはしていないと思うの」

 はっと顔を上げたクオリスに、イワンは自分の鼻先を押しつけた。神獣の湿った鼻先は、クオリスの頬を濡らした。

「ハルエナたちのところに埋葬してもらいましょ。行くわよ」イワンはクオリスがロンを再び袋に入れ、それを担いで自分の背に乗ったのを確認すると、その薄茶色の翼を大きく広げた。


 翼の集落に着いたクオリスとイワンを最初に迎えたのは、ハルエナであった。ハルエナは突然のクオリスの帰還に驚き、喜んだが、クオリスの表情が暗いこと、そして何よりロンがいないことで、袋に何が入っているのかが何となく察しがついたらしい。

「ローエルに頼んでくるね」

 何を、とは、言わずとも知れた。


 翼の民の葬儀は、ごく簡潔なものだ。

 ローエルが古の言葉でロンの冥福を祈り、じかに土に埋める。それだけだ。

 ハルエナは一人、土に寝かされたロンの遺体に歩み寄り、その髪につけられていた、竜のひれを模した髪飾りを取った。

「これ、つけときなよ。ロンだと思って」

 差し出された髪飾りを受け取ったクオリスは、自分の頬を熱を孕んだ雫が滑るのを感じながら、親友がつけていたのと同じ位置に髪飾りをつけた。


 ロンは、集落の外れにある墓地に寝かされた。木の板に「ロン・スー、ここに眠る」と彫られたものが土を隔ててロンが眠る上に立てられた。


 葬儀が済むと、クオリスは、それまでずっとつき添ってくれていたイワンに、もう一度オルシャン島に戻るよう頼んだ。


 風を切って滑空しながら、イワンは背中のに問うた。

「何をするの?やっぱり、【秘境故郷】に戻るの?」

「……いや。本を焼くのだ」

「え?本……?」

「もう二度と、竜と人が関わることのないように」

 そう。契約というある種の禁忌を犯してしまった自分は、これ以上同じような人間や竜族が出ないようにするため、ルーシャニオ神殿の契約についての本を焼かねばならなかった。

 方法を生み出したのは遥か古の時代の竜族か人間だろう。何故人間が弱り、竜人がただの人になってしまうだけの方法を後世に遺そうと思ったのかはわからない。

 しかし、【秘境】に住む水竜族は、人間と関わることを恐れ、忌み嫌っている。今の時代には、契約した者を受け入れてくれる場所などどこにもない。

 竜の力に耐えきれぬ人間は弱り、死んでいく。残されるのは、仲間に受け入れてもらえず、人間界でしか生きていくことのできなくなった、竜の力を失った竜人なのだ。


 今の水竜たちは、契約によって自分が孤独にさらされることを恐れている。だからそれを忌むべきものとしたのだ。

 もはや何の益ももたらさぬ契約は、この世から消し去った方がいい。それが竜族の望みでもある筈だ。クオリスはそう感じていた。


「相変わらず、人間となった私を受け入れてはくれないようだ」

 クオリスが森に近づくにつれて霧は濃さを増し、白濁の煙となって森を包む。木々の緑も見えず、踏みしめている地面も目視はかなわない。這うようにして地面を探り、クオリスは真っ直ぐ神殿を目指した。


 ルーシャニオ神殿は霧の白と同化し、完全に見えなくなっていた。

 真っ白の空間をふらふらと歩くクオリスは、神殿の壁にぶつかるまで、自分が神殿に着いたことがわからなかった。

 手探りで扉を探し、中に入ると、中は相変わらず本が並んでいた。

 目当ての本は、過去に自分が契約の方法を見つけて放り出したままだったのだろう、前と変わらず床に落ちていた。


 本を掴んで外に出る。心なしか、霧が少しだけ薄まったような気がした。


 行きと同じようにして、慎重に森の外を目指す。

 鬱蒼とした森の出口は、外の砂浜が陽光を反射する光で、白く輝いていた。

「おかえりなさい。目当ての本は持ち帰れたみたいネ」

「ああ。……翼の民の集落まで頼む」

 イワンは、強く砂を蹴って舞い上がった。

 もうもうと舞い上がる砂塵は、褐色肌の少年が森の出口付近から空を見上げているのを隠すのには十分だった。

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