第26話
「ここに来るまでにわかったじゃろうが、【
「はい。ありがとうございます」
衝撃を引きずったままのロンが、半ば無意識に礼を言った。
「クオリスや。酷なことじゃが、その子と思い出を作ってやりなさい」
クオリスは、それには答えなかった。
こうして二人は、【秘境】の水の神殿で、族長とともに暮らすことになった。
ロンとクオリスが【秘境】を訪れて四日後――五の月の十三日。
二人は神殿の外に出ることを控え、中の、族長のいる玉座の間で過ごすことにしていた。
思い出を作るよう言われたが、死の恐怖に慄くロンと罪の意識に苛まれるクオリスには、勿論そんな余裕はなかった。終日、二人とも一言たりとも言葉を交わすことはなかった。
五の月の十九日。ロンは、急な体力の衰えにより、自力で立ち上がることができなくなった。
族長が神殿の守護者たちに用意させた寝台で、ロンはぼんやりと天上を見ていた。
こんなに早く身体が動かなくなるとは。病で亡くなる前の母ランシュエも、寝たきりになった時はこんな虚しい気持ちだったのだろうか。
天井しか映らぬロンの視界に、赤い頭がおずおずと入ってきた。
「…………クオリス」
「すまない、ロン。私が軽率だったばかりに……。私が責任をもって、契約を解除する方法を見つける。それまで……」
ロンは、クオリスの焦った声を聞いて弱々しく笑った。そして、懸命に手を伸ばし、寝台の縁にあるクオリスの手に自分のを重ねた。
「私……頭もぼんやりしてきてるのかな、死ぬのが怖い……とかないんだよね。何だか急におばあちゃんになった気分。契約の解除はもう間に合わないよ……」
「そんなことを言うな!絶対に死なせない!」
「クオリスが傍にいてくれるだけでいいの。クオリスの故郷を見れて、嬉しかった。……ちょっと、眠くなってきたな……」
クオリスは、ロンが目を閉じたことにぎょっとしたが、穏やかな寝息が聞こえたため、安心して崩れ落ちた。
五の月の二十二日。
「随分と衰えが早いわい。あと三日ももたぬじゃろうな」
族長のその言葉は、衰弱しきって抜け殻のようになっているロンには聞こえなかった。
焦点の合わない両目を天井に向け、ぼんやりと小さく口を開いている。完全に生気が失せたような蒼白な顔で、族長の言葉なくしてももう彼女が長くないのは明白だった。
クオリスの方も、ひれは日増しに短くなってきている。もう赤子の腕ほどの長さもない状態で、風に揺れることもない。自分で動かそうにも、ひれの部分の細胞が死んでいるのか、少しも動かせなかった。
クオリスは、三日前にロンがそうしてくれたように彼女の手を握った。しかし、もはや感覚も失せているのか、その手が握り返されることはなかった。
その日の昼に、ロンは死んだ。何も言わず、眠るように死んだ。随分とあっけない死に、クオリスは漠然と人間の命の小ささを感じ、涙を流すことができなかった。
竜人たちが忌んだ契約者を、この竜人たちの地に埋葬することはできない。族長はクオリスにそう告げた。しかしもとより、クオリスは【
ロンの遺体の入った袋を担ぎ、【秘境】の出口を目指す。周囲の竜人たちも、クオリスが通ると道を空け、遠巻きにして彼女を見た。
ディネはねめつけるような、それでもどこか悲痛な響きを帯びた眼差しを、クオリスに注いだ。
それらを背に受け、クオリスは一度も振り返ることなく地上へと出るために階段を上った。
階段のあるルーシャニオ神殿を出ると、神殿はこれまでよりもずっと濃い霧にまぎれて見えなくなった。完全に拒絶しているその様を見て、クオリスは僅かばかり苦笑する。
神殿を囲む森を抜けると、昼の太陽の光が白い砂浜を照らした。本物の太陽は、久し振りだ。
あまりの眩しさに目を細め、波打ち際まで歩く。
ひれのあった部分を撫で、自分が竜人のままだったらこの海を泳いで大陸まで行けたのにと、この時ばかりは思った。
その時、さっと頭上を黒い影が覆った。それは紛れもなくあの神獣の形をしていた。
クオリスはふっと笑みを漏らすと、その影に向かって声を上げた。
「イワン、来ていたのか?」
イワンは旋回をしながら降下し、クオリスの隣に着地した。彼女が羽ばたいたせいで、砂埃が巻き上がる。小さな砂嵐に巻き込まれ、クオリスは顔を手で覆った。彼女を砂から守るように両翼で包みながら、幼い神獣は口を開いた。
「アタクシ、ここまでしか入ることはできないカラ。何とか会えないかなって思って、毎日来てたの。ロンは?」
砂嵐が止み、イワンはクオリスを解放した。クオリスは、自分の担いでいた袋に目を落とす。
イワンは袋に鼻を近づけ、匂いを嗅いだ。すると、みるみるうちに彼女のくりくりとした瞳が、さらに大きく、丸く見開かれていく。
「…………ロンは、死んだのネ」
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