第25話
無言で歩き続けるディネは、背後に続く二人を振り返ることをしなかった。ぴりぴりとした空気を纏う彼に話しかけようとは、ロンもクオリスも思わなかった。
既にその時には、ロンは親友の故郷を見られるという喜びを、クオリスは十数年焦がれていた故郷に帰ることができるという感激を失っていた。
森を抜けると、ルーシャニオ神殿が現れた。以前も他の種族を寄せ付けぬ荘厳さはあったが、今のクオリスには、竜族と同じく自分を強く拒否しているように感じられた。
まるでロンに出会ったばかりの頃の私ではないか、と、クオリスは一人自嘲気味の笑みを漏らした。
神殿の中へ入り、ディネが祭壇に両手をかざす。
すると、ディネが手をかざしたことで仕掛けが動いたのだろう、神殿内部に小さな揺れが生じ、祭壇が後方にゆっくりとずれ始めた。予想していなかった突然の揺れに、ロンはよろけてその場に尻もちをついてしまう。
揺れが収まると、祭壇が元あった場所には、地下へと通じる階段があった。
「行くよ」冷ややかな声を二人に打ちつけたディネは、そのまま階段を下り始めた。
「わあ……!」
階段はそう長くなく、出口――水竜族の住まう【秘境】の入口に出たロンは、今の険悪な雰囲気の中でも感動を隠せなかった。
地上の神殿と同じく、白亜の建物が木々の間や泉の傍に建っている。水が豊富なためか、水路が【秘境】中に縦横無尽に巡らされている。それらを、【秘境】の天井に取りつけられた大きな宝玉が、白い輝きで太陽のように照らしていた。
美しい浮彫が施された建物の外壁には蔦が絡みついたり、苔むしたりしていて、ここが遥か古の時代から存在する場所なのだと理解できた。
しかし、そんなロンには目もくれず、ディネはわき目もふらずに進んで行く。クオリスも黙ってその後に続き、自分が一人取り残されそうになっていることに気づいたロンは、慌てて二人の後を追うのだった。
ここ、見覚えがある。クオリスの幼い日の記憶は、目前にそびえる竜族の長が守護しているという水の神殿に、僅かながら反応を示した。
「族長はこの中にいるよ。じゃあ、ボクはこれで」
ディネは二人と目を合わせずに、歩み去ってしまった。
ディネもそうだが、彼が言うに「竜の力を失った」状態だと、こうも態度が違うのか。クオリスは、神殿内にて族長を護っている若い竜人たちの刺さるような視線に、悲しさを通り越して呆れた。竜族は少し閉塞的すぎやしないか。
「おお、クオリスか。懐かしいのう。泉から姿が消えたと聞いた時は、心臓が飛び出るかと思ったわい。こうして無事に会えたことは奇跡じゃ」
しかし、青い布で仕切られた神殿の最奥の玉座に腰掛ける族長の声は、嬉しそうにクオリスを迎えた。
「……族長、私は…………」
布を隔て姿の見えぬ族長は、戸惑い気味のクオリスの声を聞いて、嬉しそうだった声を一段下げた。
「わかっておる。そこにいる、人間の少女と契約をしたのじゃろう」
「……はい。ディネが、私は竜の力を失っていっていると……」
「契約の代償知らずにいるのじゃな」
族長のしわがれた声がもう二段、三段と下がり、すっかり悲しみの色に染まる。
ロンとクオリス……特にクオリスは、本に記されていたであろう契約の代償を確認もせず、方法を見つけただけで舞い上がった過去の自分の行動に酷く後悔した。本来、竜族以外の者が立ち入ることの出来ない【秘境】に、竜ならざる人を連れてくることができるのだ、いくら方法が簡単とはいえ、その簡単な方法を疑い代償のことに考えが及ぶのが普通であろう。竜人にとっては契約についての事柄は常識のようなもので、幼い頃に【秘境】を出てしまったクオリス以外の竜人は、これまでの態度からして皆知っていると思われた。
族長は、一呼吸置いてから話し始めた。
――竜と人、その契約の術をここに記す。
これを交わせば、竜の地に人を招くことが叶う。
竜は人の、人は竜の血を飲むことで、契約は成立。
竜は人に力を渡し人となり、人は竜の力を受ける器となる。
人は竜の力に耐えきれず、果てる。――
「な……!?」クオリスは、族長の最後の言葉により、自分がどれだけの過ちを犯したのかを知ることになった。
「クオリス。おぬしは、最後の二文を見落としたのじゃ。今言った通り、契約を交わした竜は、人間に己の力を全て与え人間になる。人間は竜の力をその身に吸収しようとするが、強大な力に人間は耐えきれない。ひと月と経たずに衰弱死してしまうのじゃ」
族長の言葉を、ロンは信じられない思いで聞いていた。それと同時に、どこか冷静な自分がいる。私はこの月の間に、死んじゃうんだ。
静寂に包まれた神殿が、クオリスの慟哭に震えた。
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