第9話

 ロンはクオリスの正体を知り、クオリスもまた、ロンが自分の命の恩人であったことを知った。それからというもの、ロンは暇さえあれば食事を運ぶ時間でなくとも地下神殿へ足を運んだ。


 クオリスは、ゆっくりとではあるが、自分の過去を話してくれた。

 【秘境】と呼ばれる場所に竜族の仲間と住んでいたクオリスは、外に繋がっている川で泳ぎの練習をしていると、溺れて流されてしまったという。流れ着いたのが、ノースブリカの森林の中にある泉だったというわけだ。死にかけていたところをロンに助けられ、彼女が去った後、人間界に馴染むように人間の少女に姿を変え、各地を彷徨ったという。

 しかし幼さ故か、人間に姿を変えた後も、頭部側面のひれは消えることなく残っていたのだ。そんな姿で街をうろつくものだから、あっという間に見世物小屋の者に捕まってしまった。


 クオリスら竜族は、水と氷を自在に操ることのできる水竜族という種族だった。熱への耐性に優れ、火の中だろうが溶岩の中だろうが、瞬く間に周囲を凍結させてしまうため、そんな中でも自由に動き回れた。当時幼体だったクオリスはまだそれらの力が弱く、冷却する力も未発達だった。


 しかし見世物小屋の者たちは、その未熟な能力を利用して、ある芸を行うことに決めたのだ。

 それは、【火を食う少女】と名打たれた。——そう、まだ幼い少女のクオリスに、観衆の前で炎を口に含ませたのである。

 クオリスは迷うことなく炎を口に含んだ。瞬間的に彼女の口内は大火傷を負い、激痛が走った。しかしそれは少し経てば竜の力で冷却され、傷も元通りになる。

 己が火を食らうところを人に見せることが人々のためになると見世物小屋の者に教えられたクオリスは、痛みに耐え、ひたすらに炎を口に運んだ。自分が炎を口に入れれば、見ている人々からどよめきが起こる。これが、人間の役に立つということなのか。幼いクオリスは、そんな酷い現実を疑うことなく受け入れた。


 ひたすら炎を食う彼女を見つけたのが、偶然その前を通りかかったカナル公爵であった。彼は、幼い少女をこうして商売の道具に使うことを許せず、見世物小屋の主人に言われただけの金を払ってクオリスを引き取った。


 突然知らない男に連れてこられた屋敷の一室で、クオリスは混乱していた。そんなクオリスの口の中の火傷を見た公爵は手当てをしようとするが、クオリスは竜の力で治せるから大丈夫、と断った。公爵は、自分の身体を粗末にするものではないと叱り、強引に治療をした。治療と言っても、火傷には冷却くらいの方法しかないので、口の中を冷やしただけだが。


 クオリスは、懸命に治療をしてくれた公爵に恩と深い敬愛の念を感じた。故郷への帰り方を知らぬクオリスに、公爵はせめて故郷の気分を味わってもらおうと、彼女の話を頼りに地下に小さな神殿を作らせた。そこを気に入ったクオリスが住み着くようになるのに、さほど時間はかからなかった。


 公爵以外には心を開かず、地下神殿で過ごす日々を繰り返していたところに、ロンが世話係として飛び込んできたのだ。


「故郷へ……帰りたいと思わないの?」

 敬語もさん付けもなしにしてくれ、というクオリスの願いで、ロンはくだけた口調で話すようになった。

 クオリスはただ俯くばかりだった。「ああ、帰りたいさ、凄く。でも……」

 外の世界を知らない、幼体の頃に外へ出てきてしまったから、帰り道がわからない。それが、クオリスが帰郷できない理由だった。

「だったら、探そうよ!」

「えっ?」

 突然のロンの発言に、クオリスは首を傾げた。

「大陸中を回れば、きっと【秘境】は見つかるよ!私、クオリスの故郷を見てみたい」

 きらきらと目を輝かせるロンに、クオリスは顔を曇らせた。

「しかし……私は公爵様に恩がある。まだ何も恩返しをしていないのに、ここを去るわけには………」

 そこで、二人の耳に聞き慣れた笑い声が入った。

 公爵様、と二人して声を上げれば、笑い声の主は、静かに歩み寄ってきた。

「前にも言ったじゃろう?わしの願いは、お前が故郷へ帰ることだと。全く寂しくないと言えば嘘になるがの」

 なおも反論しようとするクオリスを、公爵は無言の笑みで制した。

「わしのことは気にするでない。ここにはいつでも戻ってきていいのだから」

 クオリスは唇を噛み、俯いた。隣に座るロンは、彼女が泣いていることを知った。

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