第6話

 ロン、ロンや。

 誰かが自分を呼んでいる。この声は……。

「…………公爵、様……?」

 目覚めると、カナル公爵の心配そうな顔。この光景、既視感がある。

 私はどうしたのですかと尋ねようとしたが、ふいに喉が痛み、掠れた咳しか出なかった。

 公爵はそんなロンの様子を見て、顔を曇らせた。

「大丈夫か?その様子だと、クオリスに攻撃されたようじゃな。……やはり、世話係は無理があったかの……」

 公爵の言葉に、ロンは慌てて首を振った。今ここで黙ったままでは、クオリスの世話係から外されてしまう。

「い、いえっ、大丈夫です。いきなり仲良しになれるとも思っていませんし」

「しかし……」

「続けさせてください。お願いします」

 ロンは公爵に深く頭を下げた。公爵はなおも心配そうな表情を変えない。

「…………そうじゃ、わしもそうじゃった。何度も殴られて、蹴られて、締め上げられて…………それでも根気強く接して、ようやくクオリスは心を開いてくれたのじゃった」

 公爵の思わぬ思い出話に、ロンは喉の痛みも忘れ、「本当ですか!?」と声を上げた。公爵は、ロンの問いに、勿論とでもいうように頷いてみせる。

「あの子と付き合うのは根気が必要じゃ。……それでもやるか?」

 その問いに、ロンは迷いもせず即座に頷いた。

 すると、公爵の心配そうな顔が一変して、茶目っ気のある顔になる。

「クオリスは押しに弱いのじゃ。多少強引にでも、話しかけてみなさい。あの子も人を殺すような真似はせん」


 その日の晩、夕食の載った盆を持って地下神殿の扉をくぐり、螺旋階段を下りた。

 相変わらず扉の前で声を掛けても入室を拒む言葉しか返ってこなかったが、それでもロンは「失礼します」と押し切って入った。

 クオリスやはり泉の前に座り込んでいて、彼女の前に置いてある昼食も、何も減っていなかった。

「今度は本気で絞め殺すぞ」

「夕食と取り替えておきますね」

 何人たりとも寄せ付けぬその険しい表情をわざと受け流し、ロンは夕食の盆をクオリスの前に置いた。

 神殿を去る際、「ちゃんと食べてくださいね」と言うのも忘れなかった。


 その翌日。すっかり顔なじみになった厨房の若い女からクオリスの食事を貰うと、地下神殿へ歩を進めた。

「ロンです。朝食をお持ちしました」

「帰れ」

 いちいち声を出すのも疲れたのか、クオリスは短く拒んだだけだった。

 螺旋階段を下りると、普段通りの配置にクオリスはいた。やはり手を付けていないのだろう、昨日の夕食は、ロンが置いた時のままであった。

「食べないと弱ってしまいますよ、さあ、食べてください」

「お前の施しは受けないと言っている。昨日のような目に遭いたいか」

「はい、口を開けてくださいね」

 多少強引に行かねば、関係は進展しない。ロンはぐいっとクオリスの鼻面に、スープを掬ったスプーンを突き付けた。クオリスは突然スプーンが眼前に現れ、勢いよく飛び下がった。ロンも、すかさずその後を追う。

「お前っ、何をする!」

「だから、ご飯食べなきゃ駄目ですって!」


 追いかけっこをする二人を、様子を見に来た公爵は、微笑ましそうに見つめていた。

「もうすっかり仲良しかのう」

「仲良くない!……って、公爵様」

 キッと睨みつけた先に公爵がいたものだから、クオリスは立ち止まり、ばつが悪そうに目をそらした。その拍子に彼女を追いかけていたロンがぶつかり、二人して倒れ込む。その様子に、公爵は笑い声を響かせた。

「心配で様子を見に来たが、大丈夫なようじゃな」

「何故こいつを世話係から外さないのです!私は公爵様がいればっ……」

 まるで子どものように公爵に迫るクオリスを、公爵は片手で制した。

「わしももう年じゃ。いつ死ぬともわからん。お前がまた孤独になるのが怖いのじゃ」

「そんな……、私は一人でも生きて行ける」

「……わしは、一人で生きるお前を見ておれんのじゃ。お前がこのロンと仲良く過ごし、いつか地下神殿ここから出て故郷を見つけることがわしの願いじゃ。頼む」

 敬愛する公爵に深々と頭を下げられ、クオリスは渋々了承した。そして、泉の前に置かれた食事を黙々と食べ始める。半日以上何も口に入れずにいたのだ、よほど腹が減っているとみえて、クオリスは瞬く間に朝食を平らげてしまった。


 クオリスが自分の運んだ食事を食べてくれたことに感動したロンは、目に涙を溜めて「これから改めてよろしくお願いします」と頭を下げた。クオリスは、一度鼻を鳴らしたきりで、何も言わなかった。

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