第3話
「よかった、目が覚めたか」
ロンが次に見たものは、雇い主カナル公爵の心配そうな顔であった。起き上がって見てみると、そこは見たことのない部屋で、公爵が寝間着であるから、彼の私室だと知れた。太陽は高い位置にあった。
「何で、私……」
何があったのか思い出せず、ロンは眉を寄せた。その時、ずきりと頭を鈍い痛みが走った。まるで、何かに殴られでもしたような……。
原因不明の頭痛に、ロンは頭を押さえた。
「お前はクオリスに殴られたのじゃよ」
クオリスに殴られた。その言葉で、ロンは全てを思い出した。そうか、クオリスというのか、あの人ならざる少女は。
公爵に発見される早朝まで、ロンはクオリスのいた場所で意識を失って倒れていたらしい。公爵がクオリスに場の状況を訊いたところ、彼女は自分の警告を無視して迫ってくるロンに危機感を覚え、殴ったら昏倒してしまったというのだ。
「クオリスはわし以外の者には進んで近づこうとしないのじゃ。それに、あの地下神殿を自分から出ようともせん。夜、突然お前が入ってきたから驚いたのじゃろう」
聞けば、公爵は、公爵以外の人間を拒絶しているクオリスの世話を自ら行っているのだという。早朝に彼女の住まう地下神殿を訪れたのは、食事を運んできたためであるのだ。
ロンが昨晩壁だと思ってひたすら触っていたのは、地下神殿へ繋がる扉だったのである。知らぬこととはいえ、勝手に余所者が入ったのでは驚くし、怖かっただろう。ロンはクオリスに対し、申し訳なく思った。
公爵の話で、クオリスは十年前に彼が保護したことがわかった。それ以上のことは、公爵は話さなかった。流石にロンも、この彼の態度に余計な詮索はすまいと決めた。
しかしクオリスに興味があるのは事実で、仲良くしてみたいとも思った。その気持ちを公爵に言うと、彼は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにまた、いつもの好々爺とした笑顔に変わる。
「ほう、そうか。クオリスも同じ年頃の女の子と仲良くなれば、外へ自分から踏み出すこともあるかもしれん。ロンよ、お前をクオリスの世話係に命ずる」
「えっ、世話係……ですか!?ありがとうございます!」
ロンは嬉しさのあまり、飛び上がった。そんな彼女を見て、公爵は目を細めた。
「そんなに嬉しいか。では、今からクオリスに挨拶しに行くとするかの」
「はい。その時に勝手に神殿に入ったことも謝ります」
ロンと公爵は部屋を出ると、地下神殿を目指して歩いた。
明るい場所で見た地下神殿の扉は、どこか神秘的な装飾がなされていた。
平らな石板の上に、背に翼をもつ麗しい美女や勇ましく前肢を振り上げる竜などが細かく浮き彫りにされ、扉の縁にはめ込まれた赤い宝石が、ほのかな輝きを放っている。
昨夜は、こんな人間界と神の世界を隔てているような門に身体を張りつけ、べたべたと触っていたというのか。ロンは一人で恥ずかしくなり、俯いた。
「クオリスや、わしじゃ」
「はい」
優しく扉の向こう側へ呼びかけた公爵の声に返ってきたのは、昨日の厳しい声の持ち主とは思えぬほど穏やかな声音だった。
公爵に続いて中に入ると、すぐに螺旋階段が現れる。そこを下りて行けば昨日見たのと同じ光景が広がっていた。石畳の床と壁、竜の像の乗せられた台座、中央の泉…………そして、その前に座り込むクオリス。
公爵の顔を見て顔を輝かせたクオリスだったが、公爵の後ろから現れたロンを見て、目元を険しくした。
「……そいつ。何故、ここにいるのですか」
驚くほどぶっきらぼうに投げかけられた問いに、公爵は穏やかな笑顔で答えた。
「今日からこの子がお前の世話係じゃ。仲良くするのじゃぞ」
今がチャンスだ。ロンは慌てて公爵の後ろから頭を下げた。
「き、昨日はごめんなさい!その、貴方のこと、知らなくて……。こ、これから精一杯頑張りま……」
「出て行きなさい」
ぴしゃり、と鞭で打ちつけられたような衝撃が、ロンの身体を走る。いや、実際に鞭で打たれたわけではない。クオリスの【拒絶】という鞭に、ロンの心が打たれたのだ。
「お前と関わる筋合いはない。この場を去りなさい」
「え……」
強い拒絶の言葉と、身体を貫く鋭い眼差し。少女の頭から伸びるひれも、不機嫌そうに床を打っている。ロンはそれらをまともにくらい、呆然と立ち尽くした。
「クオリス……」公爵の咎めるように言ったのにも耳を貸さず、クオリスはただロンを睨みつける。
こうすれば目の前のこいつも、尻尾を巻いて退散することだろう。そんなクオリスの打算は、次の瞬間に見事に打ち破られることになる。
「……私、諦めませんから!クオリスさんと絶対友達になってみせます!」
呆然とした表情から一変、挑戦的な笑みを向けたロンは、そう宣言した。これにはクオリスの険しい表情もぽかんと口を開けた間抜けな表情に変わった。
クオリスの間抜けな表情を新鮮だな、と胸中で思いつつ、
「私、ロン・スーといいます!これからよろしくお願いします!」
と言い放ち、神殿を飛び出した。
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