第2話
故郷の村からの旅の疲れのせいか、あれから眠ってしまっていたらしい。
ロンが目を開けると、窓から差し込む昼間の光で明るかった室内は、照明も付けていないため真っ暗だった。
そういえば、カナル公爵にまだ仕事を貰っていない。これからは使用人なのだから、こうして呑気に転がっているわけにはいかないのだ。
ロンは昼に行った公爵の執務室に向かうため、部屋の外へ出た。もう深夜なのだろうか、廊下にずらりと取り付けられている燭台の明かりも消されていて、目を凝らしても自分の一歩先すら怪しい。
しばらく進んで、はっと思い返す。こんな夜更けに、他の使用人たちも眠りに就いたであろうこの時間帯に、この屋敷の主が休んでいない筈がない。
仕事は明日からか。ロンは大人しく部屋に戻ることにした。
歩いて半刻、いや、一刻は過ぎただろう。随分長いこと、ロンは屋敷の中を歩いた。歩けど歩けど、自分が出てきた筈の扉が見当たらない。
「……もしかして、迷子……?」
まだ慣れない場所で、しかもこんな大きな屋敷の中をうろついたことが迂闊だった。
ただじっとしていても、自分の部屋に戻れるわけはないのだ。ロンは再び歩き出した。
ごん、とロンの頭に硬質な何かがぶつかった。どうやら行き止まりらしい。頭をぶつけた姿勢のまま、手を壁に這わせる。頭をぶつけた先は、壁と言うほど平らではなく、ごつごつとしていた。それも何かの模様を描いているようだ。ロンは眉をしかめ、さらに手で模様らしきもののある壁を触った。
体重を壁の方へかけ、壁を触るのに夢中のロンは、徐々に壁の真ん中が割れ、扉のように開いていくのに気付いていなかった。
ロンの体重により、壁……いや扉は、押し開けられるようにして開いた。急に勢いよく開いた(ロンはそう思っていた)扉に、ロンは悲鳴を上げてその向こう側へと倒れた。
どうやらその先は長い螺旋階段になっているようで、何も知らないロンは勢いよく階段を転がり下りて行った。
「いたた……」
強か打った頭をさすりながら目を開いたロンの双眸には、屋敷の葡萄色の絨毯ではなく、石畳の白い床が映った。
「誰だ」
女の厳しい声がした。ロンはぎょっとして顔を上げ辺りを見回す。壁も床と同じように白い石畳、燭台に明かりが灯されていて、昼間のように明るい。奥には伝説の中によく登場する竜の像が台座に乗せられていて、小さな祭壇のようになっている。中央には透き通った水の湧き出る泉があった……。
そこで、ロンの視界に鮮烈な赤が入り込んできた。
「ここから立ち去れ」
ロンの瞳は、泉の前に座る少女を捉えた。長い髪は腰をゆうに越していて、こちらを睨みつけている一対の金の瞳は、幻想的な輝きを湛えている。顔立ちははっとするほど美しく、鋭い。胸までを丈の長い白のドレスで覆っていて、そのこちらを睨みつける表情がなければ、どこかの神殿に仕える巫女のようである。
そして何よりもロンの目を捕らえて放さないのは、少女の頭の側面から伸びる、長いひれのようなものであった。絹のように上品な光沢を放つそれは、まるで少女の感情に呼応するように緊張したように揺れているため、飾りではなく、少女の身体の一部だとうかがえた。
「え……人……じゃ、ない……?」
そろりそろりと近づいてくるロンの言葉に、不思議な少女はびくりと身体を震わせた。「去れ!」声を張り上げ、ロンをねめつける。しかし、完全に少女の頭部のひれに興味を惹かれているロンに、その叫びも届かなかった。
さらにもう一歩踏み出したロンが最後に見たものは、風切り音を立てて迫る絹の布のような何かであった。
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