正義依存症 ※人によりますが不快な描写が有ります。
退屈だ、退屈だ、と私は常日頃から思っていた。この世の中は間違いばかりで、だからこそ私が正さなければと思っていた。
幼い頃、先生達は褒めてくれた。両親も褒めてくれた。だからきっと私は正しいはずだ。正しいはずなのに、どうして、どうして――。
暗い路地の裏。私はどれだけの間、ここにいるのだろう。雨がトタンの屋根を伝い、私に汚れた水滴を垂れ流し続ける。
私は生まれつき正しかった。正しかったはずだ。だけど、だから私は間違えた。
この痛みはどこの痛みだ。腕だろうか脚だろうか折れた鼻だろうかそれとも破瓜の痛みだろうか、或いは心の痛みか。――ああきっと全ての痛みだろう。
動けない。音もなく私はただ泣いていた。
中学一年の頃までは、私は
悪を正す。それが何より私は好きだった。楽しかった。嬉しかった。悪いことが良いことに変わることが、何よりも嬉しかった。
だが、みんなは違った。悪いことを認め始めていた。制服を着崩し始め、夜遊びを始め、門限やぶりを始めた。みだらに付き合い性交する者もいた。
そんな彼らを私は許せなかった。それは今すべきではない。だから私は糾弾した。間違いだ。悔い改めろ、と。
しかし、誰もそれを聞き入れてくれなかった。
だから私は更に糾弾した。だから私は一人になった。
孤立し、独りになり、虐められた。
私は許せなかった。だっておかしいではないか。私は間違っているものを指摘しただけだ。なのに彼らは私をまるで悪者のように嘲笑する。そんなことがあってたまるか。
そうやってムキになって抗えば抗う程、私はドツボにハマっていった。そういうことを私は今になって気づいた。何もかもを、処女さえも失って私は気づいたのだ。
「…………」
声は出せない。悪夢のような現実が、臭いとなって鼻を刺激する。
彼らにとって私は良い玩具だったのだろう。正義を妄信した私の心をどうやってヘシ折ろうかと、彼らは悩みに悩んだはずだ。そして狙い通りに私の心は折れた。
後悔する。私を偉いと褒めてくれたあの先生は、今の私を見ても尚、私を正しいと言ってくれるだろうか。いや、ないだろう。
程度というものがあるのだ。それを私は逸脱していた。
考えてみれば引き時は幾らでもあったのだ。誰かが私を止めてくれた。友達だったあの子。私を犯した担任やクラスメイト達も何度か止めようとしていたはずだ。両親だって、程々にしろと言っていた。
私はそれの意味を履き違えていた。
例えどれだけ正義を貫こうとも、そんなものに意味はない。気に食わなければどんな正義だって、人々は叩き潰すのだ。それを私は今日、身をもって思い知った。
彼らが悪を認め始めたのは。そうしないとやっていけないからだ。ある程度の悪を是認し、なあなあで過ごすことを良しとする。そうでないと、自分の失敗を許せなくなるからだ。私が正義を貫き過ぎたせいで、私を見限った両親のように。
「…………」
私はもう正しくない。穢い。だからこれ以上何もできない。だけど、それを私は許せない。だって私がそうしてきたから。何もしない者達を批判して来た。だから何もしないことなど私はしてはいけない。それは彼らに付け入る隙を与えることになるから。
だけど、怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
涙が止まらない。大粒の涙だ。私は無力だった。非力だった。なのに正義という力を持っていると勘違いしていた。
正義は絶対だと思っていた。だけど違うのだ。
正義なんかよりも暴力の方が圧倒的に強い。独りの正義より集団の悪の方が強い。正しさよりも多数決の方が強い。
正しさに意味なんてなかったのだ。私はそれを知らなかった。ただ正しいことなんて、何の意味もなかった。
何か正しくないことがあったとしても、そこに悪い人はいなかったりする。正しくはなくとも間違ってもいない。そんな七十点の行いも、百人がすれば大きな間違いになることだってある。
それを誰かのせいになんてしてはいけないのだ。誰か悪い人を作り上げてはならなかった。そんなことはする意味がない。そんなことをする人間が一番悪いのだ。
ああ、本当に、どうしてこうなったのだろう。
私の将来は潰えた。誰のせいで? 簡単だ。私のせいだ。
暗い部屋の中で、私はキーボードを叩く。焦りに焦りながら、私は虚言を叩き続ける。どうして、どうして、どうして、と繰り返しながら。
嫌な記憶が蘇る。数年前の悪夢。
どう考えても一致している私の顔と名前、鳴り止まない電話とインターフォン。ああ、違う、違う、違うのだ。どうして、どうして――。
どうして私は繰り返してしまうのだろう。違う。違う。違う、と私は現実から目を背ける。
もう何度目だ。
私はどうしてこうなる。私は間違っていないはずだ。間違えないようにしているはずなのに、どうしては私は間違えるのだ。
泣きながら両親に助けを求めようと鳴り止まない電話から通話を掛けるが、しかし一切通じない。いつからか私には必要最低限のものしか届かなくなってしまった。
ああ、また間違えた。もう何度目だろうか。あの日からずっとずっと、私は次の正義を見つけてはそれに妄信し続けて失敗していた。インターネットは素晴らしい機会だ。私を認めてくれる人がいる。なのに彼らはピンチに陥ると誰も助けてくれない。彼らは私を認めてくれるが、しかし私を助けてはくれない。私の言葉に賛同してくれるが、それは私に同意している訳ではない。その意見が都合が良いから認めてくれているからだ。
炎上し、悪となった時点で私は見捨てられた。もう一体何度、私は間違えたのだろうか。
そして私はなぜ学ばないのか。
――違う。私は学んでいるはずだ。なのに私はついのめりこんでしまう。
間違いを指摘する楽しさは、間違いを見つける楽しさに偏位する。
どうしてこうなった。
ああ、簡単だ。自業自得なのだ。私は正義を信じすぎてしまう。分かっているのに、分かっているはずなのに、それでもあの愉しさを前に、私は踏みとどまることができない。
ガチャリ、と扉がこじ開けられた。
「い、いやっ――」
悪夢が、蘇る。
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