自己嫌悪について
物心ついた時から、青年は自分のことが嫌いだった。どういう訳が自分のことを好きになれず、許せなかった。
それはどれだけの時間が経過したとて同じで、そしてそんな自分のことを好きだという人ばかりだった世界そのものも嫌悪していた。
「好きです。付き合ってください」
だから大学生になって何度目かのそれを、またかと思った。辟易として、そして苛立ちを覚えた。
どうやら客観的に見れば、自分という人間は優しいらしい。気配り上手で、控えめで、どうだらこうたら、ということらしい。どうやら世の中には嫌いなものに対して異様に詳しく、執拗に攻撃をし続けるような輩がいるが、少年はそういった異常者とは異なり、嫌いなものには何も興味が沸かない。それは自分という存在についても同じだ。
だから服も何もかも適当で、しかしそういったところもまた好感度を高める要因になり得たようだ。
どうやら自分は他人にモテる。まぁ、嫌いな人間がモテてようが、どうなろうが関係ない。むしろ知ってしまうことの方が嫌だ。
普通、真っ当な人間は嫌いなものから距離を取る。きっとそうではない異常者は薬か、それと同等かそれ以上の何かをしている中毒者なのだろう。そういう狂った人間しか、嫌いなものに関わろうとしないはずだ。
「俺は嫌いだ。だから嫌だ」
「じゃあ、好きにさせてみせます」
「……へぇ」
その一言は、初めてだった。だから面白いと青年は思った。
そもそもだが、青年の返事には意味が二つあった。
くどいようだが、青年は自分が嫌いであるということ。そして自分の嫌いなものを好きだと言う人間もまた嫌いであるということ。つまり、自分と相手、両方が嫌いで、だから付き合うことはできない。そういう意味だ。
だが、どうやら周囲は後者、つまり相手のことが嫌いであるという風にしか取らない。驚くべきことだが、世の中の大半の人間は自己のことを好きであるらしい。驚愕の事実だ。
それはさておき、生まれて初めて青年は彼女というものができた。
彼女は俗に言う尽くすタイプなのだろう。自主的に様々なことをしてくれた。嫌いな人間に対して、そんなことをする彼女をやはり好きにはなれなかった。
だが、彼女の行為は正直なところ満更ではなかった。
彼女が作ったというお弁当は美味しいものだと断言できる。そこらのお店よりなどと比べるまでもない。普通に商品として売り出せるレベルだった。
彼女の顔は綺麗で整っているし、笑顔や仕草はとても可愛らしい。俗にいう女性らしさもあるし、俗に言う男性らしさもある。彼女はきっと人間として理想的なのだろう。
だからこそ、一体どうして自分などを好きになったのかはなはだ疑問だった。彼女に対しての不満点は、自分が好きであるという点のみだった。
「……それでどうです? 私のこと、好きになりましたか?」
「それは……」
数ヶ月が経って彼女がそんなことを言った。それでようやく自分が勘違いしていることに気付いた。
彼女の「好きにさせてみせます」は、青年自体のことを、ではなく彼女自体のことだったのだ、と。
それに気付いて、なるほどと考えてみる。彼女を好きかどうか、と。先程の通り、不満点はやはり自分を好きなことだけ。それ以外には一つもなかった。
「まぁ、嫌いではないかも」
人間に欠点がある。どれだけ愛し合っているカップルであっても嫌なところの一つや二つ普通にあるものだ。でも、だからと言ってそれを理由に人を嫌うというのならば、それは潔癖な人間だろう。
例えば、法律的に問題はないことでもSNSでは数が集まれば炎上し、様々な私刑を執行される。ところが、きっと私刑を執行した人の中には過去を探れば同じようなことをしている人間だっているだろう。
そうでなくとも、人生において何の関わりもないであろう相手の欠点をあげつらい、嘲笑する行為に何の意味があるのだろう。
他人を説教する行為は性行為よりも快楽指数が高いなんて言説があったりするが、性行為はその果に子供が生まれるだろう。それは種の存続という生物の使命を果たすものだ。例えそれが親に望まれなくても。
ところが、SNSでの私刑は何も生まない。なのに、人はこぞって私刑を執行したがる。
青年は、それに対してある種の気味悪さを感じるタイプだ。人の悪意、その泥の底の部分を見ているようなそんな感覚を覚える。きっと、それが普通なのだろう。
青年は自分のことが嫌いだが、しかしだからと言って自分を貶めるつもりはない。
単純に自分が嫌いなだけで、だからと言って怠惰に人生を浪費するつもりはない。自分が嫌いなだけで、自分のしたいことやりたいことをやめる理由にはならないだろう。もしもそうならば、親の金を食い潰し、ニートでもしている。
そしてそれは単純に、自分が嫌いとはいえ、自分が自分であることを変えることはできないという諦観でもある。
まぁ、だからと言って、例え自分がどれだけ最高の人間になろうとも、自分のことを嫌いであり続けるのだが。
ともかくだ。
何が言いたいのかと言えば、彼女の不満点は一つ。一つだけ。だからそれ以外に対しては自分には本当に勿体ないくらいのものだ。そう思えるということは、つまり自分は彼女のことを好いているということなのだろう。
彼女を好きになる。それは青年が生まれて初めて誰かを好きになった瞬間だった。
「――ってな訳なんだけど、どう思う?」
「何が?」
「だから、自分の嫌いな人を好きな人っていう、価値観の違う人を俺は他の人に比べて好意的に思っている。……これって、俺は正しく彼女を好きって言っていいのかな?」
「人間なんて全員価値観がちげぇんだよ。それを譲歩し合うのが普通の人間だ。俺からすりゃお前の話は、ノロケにしか聞こえねぇよ」
「……決してそういうつもりじゃあないんだけどな」
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