小太郎は変革をする

 興梠が校舎から飛び降りた。


 奇跡的に打撲と骨折で済み、一命は取り留めたが、重症である事に変わりはなかった。


 僕は興梠の病院まで見舞いに行く事にした。


「興梠‥…」


 興梠は身動きが取れない状態で包帯を巻かれた姿は痛々しいものだった。


「岡田くん」


「僕のせいか?」


「そう、だけどそれだけじゃありません」


 意味がわからなかった。その様子を見ながら、興梠は訥々と話を続ける。


「私は変わるのが怖かったんです。だから変わりたくなかった。今のままが良かった。でも、岡田くんは、私を変えようとしました」


 声が震えているのがわかる。


 僕はそんな彼女を直視する。ここで目を背けてはダメな気がした。


「岡田くんのあの告白は、嘘なのは分かっています。でも、あの一言で私、何かが変わってしまいました。昔、殻に閉じ込めた自分が殺した筈の本心が……芽生えてしまいました」


 興梠の過去を僕は知らない。けれど、こんな風になってしまったのは、過去に何かあったからだろうとは想像に難くない。


 興梠は初めて僕の前で感情を露わにした。

 それは静かに流れる涙。嗚咽もない。ただ静かに溢れ出した涙だった。


「興梠の過去に何があったかはわからない。僕は多分過去に君より酷い経験をした事がある。その時は、奴らに反抗していたんだ。日野との事だって、始まりは嘘だった。日野の嘘はあの時、僕にとっては優しい嘘だった。僕は日野の嘘に助けられた。これは事実だ」


「……」


「嘘でも、誰かに肯定してもらうのは嬉しいんだ。誰かに救いの手を差し伸べられるのは、心地が良いんだ」


「……」


「僕は、日野に救われた。もう、僕の心のカサブタはとっくに剥がれ落ちた。これは僕の自己満足だけど……興梠」


 興梠の長い前髪の隙間から、潤んだ大きな瞳が僕を覗く。

 その目はもう死人の目ではなかった。ちゃんと、生きている人間の目だ。


「僕は君を助けたい」


 やっと、本心が言えた気がした。


「……本当の自分を他人に知られるのは、とても怖いです。死にたくなるくらい。本当の私は醜くて、無神経で、劣悪な人間だから。だから、イジメられても仕方がないんです」


 興梠は、本心を話す。


「あなたにだけは、本当の私を見られたくなかった」


「どうして?」


「あなたの事が好きだから、好きな人に本心を見られてしまった気がしたから。気が付いたら、私は飛び降りていました」


 興梠が興奮気味なのが分かる。心のダムは決壊し、いつも出さない感情が溢れ出していた。


「岡田くん、一つお願いをしてもいいですか?」


「何だ?」


「私も変わる事が出来れば、こんなに苦しくて辛い思いをしなくて済みますか?」


 そんな保証なんてない。けど、僕の心は決まっていた。


「僕が君を支えて、君を守る。だから、君は少しずつでいいから、変わっていけばいい」


 フッと涼しげな隙間風が吹いた。興梠の髪が揺らぐ。

 少しだけ、興梠が笑った気がした。


 トントンとノックする音がした。多分、興梠の両親か看護師だろう。そろそろ潮時か。


 最後にもう一つ、興梠に伝えなければならない事があった。


「興梠」


「何ですか?」


「僕は天邪鬼だけど、嘘つきじゃないから」


 今はそれだけ。


 何の事が分からなかったのか、興梠はキョトンと首を傾げる。


 つまりは、それが僕の本心というやつだ。


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