小太郎は嘘をつく
最近、学校は文化祭の準備で夜遅くまで生徒が残っている。うちのクラスが何をするかなど知る由もないわけで。
孤独な僕は、早く帰ろうと思い、そのまま下駄箱まで真っ直ぐ向かう。途中、誰かに怒られた様な気がしたが、そこはそれ、知らないフリをする。
下駄箱を開けると、そこには一通の手紙があった。
「あら、コタローくん、何それ?」
後ろから僕の名前を馴れ馴れしく呼ぶ人が来た。
日野だ。あの教室での一件以来、何故か下の名前で呼んでくる様になった。ちなみに僕は変わらず、日野だ。
「これはアレだな。殺害予告だな」
「え? どう見てもラブレターでしょ、それ」
「日野沙織と別れろ、さもなくば貴様を抹殺、と書かれているはずだ」
「どう見ても、ファンシーなデザインと可愛い女の子の文字じゃない?」
「それは偽装工作だ。僕を油断させ、女の子と一緒にいた所を浮気だなんだと校内に噂を流し、そして僕を社会的に抹殺するんだ」
「ハハハ、面白いけど、なんか見てきたみたいね」
「ああ、実体験だからな。社会的に抹殺はされなかったけど」
「あ、なんかゴメンね」
「気にしなくて良いよ。それより、中を見てみよう」
放課後、五時に体育館裏に来てください。
そこに書かれていたのは、呼び出しの一文だった。
「完全にラブレターね」
「なるほど」
差出人を見て、僕は確信に変わった。
「日野、一緒に来てくれないか?」
僕は日野にそうお願いし、指定の場所へ向かう事にした。
✳︎ ✳︎ ✳︎
僕と日野は、体育館裏で待っている手紙の差出人を見た。
興梠だ。
俯いた暗い顔、猫背で丸まった小さな背中。いつも以上にどんよりとしていた。
僕の足音が聞こえたのか、興梠はこちらに気づく。同時に離れて後ろに立つ日野が少し視界に入ったのか、ほんの一瞬驚いた様な顔をした。
「呼んだ?」
僕の言葉に興梠は頷く。
「大体、予想はついている」
「……どうして、日野さんと居るんですか?」
相変わらず、抑揚のない小さな低い声。
「そっちの方が手っ取り早いと思って」
「付き合っているんですか?」
「ああ、何故かそんな事になっている」
「じゃあ、そのラブレターは無意味ですね」
「これはラブレターじゃないよ」
「え?」
「君を笑い者にしようとしている人達が仕組んだ事だ。興梠、君は言わないと思うけど、つまりはそういう事なんだろう」
「……」
「興梠、言ってしまえ」
日野に告白させられた時を思い出す。日野は僕が信念を曲げない男だと評したが、僕は天邪鬼なだけだ。
興梠は黙る。興梠は、変化を拒む。
そして、その沈黙は肯定を訴えていると僕は思った。
「君はあの日、心の傷はカサブタを作り、より強くなるって言った」
たった一言の嘘で良いのだ。
興梠の顔色はみるみる青ざめていく。元々白い肌色がさらに白くかり、ガタガタと身体を震わせていく。側から見ても異常なのが分かった。
彼女は本心を曝け出さない。心を殺し、硬い殻に閉じこもり、自分を守り続けてきたからだ。自衛の方法をそれしか知らないのだろう。
「……どうしてですか?」
消え入りそうな声。
僕にしか分からないその問いの意味。
僕にしか分からない程の微妙な表情の変化。
「それが君の心を救える事だと信じているから」
「……ぁっ--」
そこが彼女の限界だったのだろう。彼女には彼女の過去がある。
だから僕は介錯の言葉を一言だけ告げる。
例えそれがどんな結果になろうとも、彼女の心、過去の自分を救う為に僕は破壊の言葉を口にした。
「君が好きです。僕と付き合ってください」
興梠はハッと僕を見た。理解が追い付かないのか、固まったまま動かない。ほんの少しだけ、珍しく驚きの表情を見せてくれた。
バッと興梠は背を向け、そのままこの場から逃げる様に走り去る。「……ぅ、ぉえっ」という嗚咽と共に。
僕は追いかけない。まだ、この場でやるべき事があるからだ。
僕は振り返る。
そこには当然、日野沙織が居る。
「悪いな、日野。そういう事だ」
「……どうして?」
日野からは、静かな憤りを感じる。
当然だ。
「僕は天邪鬼なんだ」
「とぼけないでよ」
やれやれ、それでは名探偵小太郎さんの推理を聞かせてあげるとしよう。
「……あのラブレターは君が仕組んだ。そして興梠はそれに逆らえない。何故なら、君が興梠を虐めていた中心人物だからだ」
「意味、分かんないだけど」
「まず、僕の下駄箱の位置を興梠は知らない。転校してから興梠にそんな余裕なんかなかった。そして、女子で僕の下駄箱を知っているのは多分君ぐらいだ」
「それ、何の証拠にもならないよ」
「ラブレターを見つけた時、君が来て確信した。僕らって見かけても無視するくらいの間柄だろ」
「あの日以前は、ね」
「クラスの中心人物が文化祭の準備を途中で抜け出してわざわざ? 興梠を見に来たんじゃないのか? 多分、そのスマホにはさっきのシーンがバッチリ撮れてると思うけど」
言い訳なんか、つまらない。
「興梠さんって酷〜い、沙織ちゃんの彼氏に手を出すなんて、身分を弁えろよ〜って感じが理想だったか?」
「……だって、だって!
日野は目を真っ赤にし、涙を流していた。
「アナタを好きになった。アナタが楽しそうに話をしている興梠さんをアナタの目から引き離したかった」
だから、悪い噂を最初は流した。
多分、彼女がしたのはそれくらいだろう。それがクラスのネットワークで拡散されて、興梠の悪い噂がエスカレートしていったのだ。
「だから、今日確かめてみたかった。アナタが興梠さんをどう思っているのか」
「日野、僕は最低な人間だ。甲斐性なしの碌でもない人間だ。悪かった。あの日君に救われた僕の心は今もまだここにある」
だから告げる。
「興梠は弱い心を持っている。あの時の僕と同じなのさ。君は僕が強い心を持っていたというけど、僕はそんな立派な人間じゃない。今度は僕があの時の日野みたいに興梠を救ってやりたい」
それが僕の本心だ。人にはそれぞれ心に強度がある。でも、それは摩耗して、いつか壊れるのだ。
興梠に流布された噂は、もう日野にもどうにも出来ない。だから、昔の僕の様に何かを変えなくちゃいけない。
「日野、僕は君が思っている程良い奴じゃない。寧ろ、最低な人間の部類だと思っている。だから、もう一度見極めてくれないか?」
日野は涙を拭い、こちらに大股で近づいてくる。
パァン、と乾いた音が響く。
日野から僕への渾身のビンタ。
スナップの効いた良い一撃だった。
「……これで、この関係は終わりにしよう。あとコタローくん、ありがとう」
「……こちらこそ、ありがとう」
それはどちらも違う意味の"ありがとう"だ。
日野はボソリと「嘘つき」と呟く。
僕は聞こえないフリをする。
悪いな、日野。僕は最初から嘘はついてないよ。僕は君の事が好きだったのだから。
✳︎ ✳︎ ✳︎
その日、興梠は学校の五階の窓から飛び降りた。
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