小太郎は少し昔を思い出した

 僕は興梠が転校してくる前に日野沙織に告白をした。


 それは僕の意思とは関係なく、ある種の暴力的な強制により行われた事だった。


 結果は火を見るより明らかで、思い出したくもない。


 何故こんな事を思い出すのかというのは無粋であろう。


 クラスのアイドル的存在が、ファンの一人に告白されたって微塵も意に介さない。


 それはイジメではないが、停滞し、退屈な日々の日常のエッセンスとして、この腐った学生社会に話題を提供してあげたにすぎないからだ。


「なぁ、日野」


 放課後、人が疎らになった教室で僕は日野に声をかけた。


「どうしたの? 岡田くん」


「僕達ってどんな関係なんだ?」


 日野は自分を指差して、言った。


「彼女」


 次に僕を指差す。


「彼氏」


 ウ・ケ・ル☆


「しかし、そこに愛はない」


「そんなものじゃない?」


 そう、何故か僕達は付き合っている。


 何故か?


 僕にも分からん。


 デートなど一度もした事がない。手を繋いだ事も、特に甘い会話をした事もない。


 それでも、彼女は僕との関係を肯定している。


「そんなもんか」


 しばらくの沈黙。特に話題がない。


「ねぇ、なんで私があの時の岡田くんの告白をオッケーしたか、知りたい?」


 教室の生徒達が完全に居なくなったのを見計らって日野が沈黙を破った。


「僕を哀れに思って、同情してあげた」


「うーん、ちょっと違う」


「じゃあ僕の事を好きだったから」


「それもちょっと違う」


 ちょっとなのかよ。ちょっと嬉しいじゃねぇか。


「私は、正直学校ってあまり好きじゃないの」


「好きな奴なんていないだろ」


「うん、私もそう思うけど、学校の人間関係って私達にとっては、ほとんど全てじゃない? 学校の生徒間には色んなグループがあるけど、正直そこから溢れてしまった人達は仲間にすら入れてもらいない。人間なんだから好き嫌いがあって当然だけど、なんか残酷よね」


「まぁ、その溢れた一人がここに居ますがね」


「そこよ」


 ずいっと身を乗り出し、日野は鼻がつきそうなくらい近づいてくる。


「どこよ?」


 どぎまぎしながら、僕は訊く。


「私は、岡田くんは溢れるような人じゃないと思ったのよ。だって、普通に可笑しいでしょ?」


「いや、僕は溢れて当然だぞ? 空気は読まないし、遠慮もしない」


「でも、正しい」


「はぁ?」


「正しい事を言ってるって私は思ってた」


「結構好評だったんだな」


「ずっと抵抗してた。何か言われたら言い返して、机とかも翌日には新しいのに変えて」


「教科書が無残に散った時は、日野に教科書を共有させてもらって、クラスの男子共に当てつけてましたなぁ」


 ああ、なんか思い出す。波乱の日々。


「でも、告白の時だけは抵抗しなかった」


「……」


「何で?」


「……言いたくないなぁ」


「何で?」


 案外しつこい。


 そんなものは決まっている。


「……僕が日野を好きだったからだ」


 仕方なく答える。恥ずかしくて、日野を直接見れず、顔を背ける。


 てっきり笑うのかと思っていたが、日野の声が聞こえないので、振り返る。


 日野はその場で固まっていた。


「日野?」


「……え、ああ、何かその、ありがとうね」


「ありがとう? どうして?」


 僕の言葉に日野は少しムッとして、顎に手をつき、ふんっとそっぽを向く。怒っているのか、顔が少し赤い。


「もういいよ……」


 はぁ、と一つ溜息を吐く日野。どうやら、僕はまた空気を読めなかったようだ。


 まぁ好感度は最初からゼロなのだ。カップルの真似事なぞを続けようなら僕の好感度はゼロを突き抜けてマイナスに突入してしまう。


 よし、話題を戻そう。


「それで、話は戻るんだが、日野は結局僕の告白を何故受け入れてくれたんだ?」


 日野は、そっぽを向いたまま先程の続きを話す。


「結局、イジメられるべくしてイジメられるのか、ただ異端者だからイジメられるのかって事。私は岡田くんの姿勢にちょっとでも手を差し伸べたかった」


「結局同情じゃん」


「そうだね。ところでさ、興梠さんと最近よく話してたみたいだけど、何で?」


 それは僕にとっては予想外の質問だった。


「取材だよ」


「何の取材?」


「イジメ」


「岡田くん、それ酷いよ」


「僕は遠慮を知らない奴なんだ」


 フフ、と日野は少し笑う。


「知ってる」


 日野、それ酷いよ。


「まぁ、なんか自分を客観的に見ているような気がしたから」


 気がつけば、辺りはすっかり夕暮れだった。陽に照らされていた教室は少し橙色に染まって影が伸びている。


「……全然違うよ、岡田くんは」


 ポツリと日野はつぶやいた。


 僕は聞こえないフリをし、「帰るよ」と告げる。


 今日、何故日野に声をかけたのか。

 いつもなら、放課後のチャイムが鳴れば、僕達はそれぞれの帰路に着くというのに。


 そう、理由は簡単だ。


 これから僕の身に起こり得るであろう事態に備えて、覚悟がしたかったのだ。


 どこか、恥ずかしくて、怖くて、普段の僕では決して言い出せない言葉。僕は帰り際、戸に手をかけた時にようやっと決心が固まり、日野に言った。


「なぁ、日野」


 丁度、日野も帰るところで、すぐ後ろの息がかかるくらいの距離にいた。


「なに?」


 彼女の声の振動が感じられる。


 緊張は高まり、僕の心臓はドキドキと激しく動いていた。


「なんで、僕の告白の時は抵抗しなかったんだ?」


 さっきと質問。


「あっ……」


 後ろで日野は、声を漏らす。


「なんで?」


 しつこく訊く。


 本心を聞くまでは、帰れない。そして、彼女を帰すつもりもない。


「……男の子なら、察してよ」


 残念ながら、僕にそれを求めるのは人選ミスだ。僕は学校一空気の読めない男だから。


「……なんで?」


 日野はそっと僕の耳元は口を近づける。規則正しい吐息が耳に当たり、少しくすぐったい。


 そして--日野はそっとその答えを口にした。

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