あの日、君の事
剣イウ
小太郎はかく語りき
僕の名前は
僕の席は1番後ろの窓側から2番目の席である。
右隣にはクラスの美少女である
うむ、今日も相変わらず麗しい。
多分クラスの殆どの男子はそう思っているのではないだろうか。そんなアイドル的な華やかな空気が香る右隣とは対照的に左隣からは少々陰鬱などんよりした空気が漂っていた。
左隣には、猫背で小さな背中を丸めている少女がいた。少しばさついた髪を無造作に垂れ流し、伸ばしっぱなしの前髪で顔を隠すようにしている。前髪から覗く眼光はどんより暗く、死人のような目だった。
名を
彼女は、半年前に転校してきた女生徒である。当初から暗い雰囲気を纏っていたが、ここ最近はその暗さに拍車がかかっているように思う。
そして、放課後。
僕らの奇妙な関係は始まる。
「岡田くん」
おずおずと彼女は僕に話しかけてきた。
興梠だ。
「よう、今日は何を言われたんだ?」
僕は問う。
このやり取りが放課後の僕達のルーティンだった。
「便所虫って」
ボソリと、興梠はそう答えた。
ああ、便所コオロギの事か? 多分カマドウマの事を指しているのだろう。
「便所虫というのは、広義的な意味であって、ワラジムシやゾウリムシだって便所虫なんだが」
彼女はこの学校でとある立場にある。
所謂、イジメの対象と呼ばれるものだ。スクールカーストの中でも最下位であるわけだ。不幸な事に、彼女は転校スタートダッシュで躓き、スクールカースト下位へ転落。一度狂った歯車は、彼女の悪評を周りに伝染させ、現在に至る。至ってシンプルかつ何でもない理由なのだ。
ひと昔、イジメをテーマにした少女漫画とかあったけれど、別に便所でモップを押し付けられたりとか、教室から机が降ってくるような事はない。
ただの悪口。風評被害。
この世間の中で隔離されたある種の小社会ではカーストが如実に表面化する。
それもまだ精神面で未熟な子供達の集まりなのだ。ママ友コミュニティもビックリのストレートな嫌がらせは、ある種未成年の無邪気ささえ感じられると思うね。
「しっかし、便所虫は正直言って、センスねぇな。JK的に。マジでJKのイメージダウンだわぁ。下品過ぎて引くわぁ。なぁカマドウマ」
「……岡田くんからとても悪意を感じます」
おっと、傷心の女の子の傷に塩を塗ってしまったか。
「悪いな、僕は失礼な奴なんだ。気にしないでくれ」
「ああ、だから岡田くんもイジメられているんですか?」
「馬鹿め。僕はイジメられていない。イジメというのは、された方がイジメられていると感じた時に成立するんだ。僕はまだイジメられていない」
「毎回思うんですが、それってもうほぼ認めてますよね」
「僕は興梠を見て、確信したんだ。僕に対するイジメなど……なかったと!」
「はぁ、その話はもういいです。それで、今日は何ですか?」
興梠は呆れた様に問う。
この放課後の事はいつもの事だが、別に示し合わせたり、約束しているわけではない。
何故ならば、僕が毎回、学校の日はほぼ毎日興梠に放課後残って欲しいとお願いしているからだ。
「何度も言っている通り、僕は興梠のイジメを取材したいと思っている」
「……お断りします」
これもいつも通りだ。
「じゃあ雑談をしよう。髪切った?」
「切ってません。切るとまた何か言われるので……」
「……今のはタモさんのネタだったんだけど」
興梠はキョトンと首を傾げる。
「だれですか?」
え? マジでタモさんの知らないの? わぁジェネレーションギャップ感じちゃうよ、同い年なんだけど。
しかし、興梠は普通に話せるし、猫背である事と少し清潔感に欠ける事を除けば、結構イケてると思うのだが。いかんせん、恐らく興梠の持つイジメられオーラとも言うべき、雰囲気がそれを助長させているように感じる。
その印象を決定づけているのは、多分表情だ。彼女は表情の変化が全くと言っていいほどない。口調こそ丁寧なものの、抑揚がなく、感情が表現出来ていない。唯一表現している感情は、哀しげという負の感情である。
友達のいない僕でも、これは友達出来ないわ、と思ってしまうくらいである。相当なものだ。
「いいかい? 興梠。君には徹底してエンターテイメントの知識が足りないように思う。そんなんじゃ学校で話題についていけないぞ」
「興味ないので」
「何か趣味とかないのか? 共通の趣味があれば、何となくグループが出来るだろう」
「トランプタワーなら好きです」
トランプタワー?
アメリカの大統領の事かな?
そんなわけもなく、彼女はおもむろに鞄からトランプを取り出した。
ってか、何で持ってるんだよ。
すると、猫背のまま、トランプを山型に建て並べていく。
「ほぉー」
これには僕も感心した。
興梠のトランプタワーは、見る見るうちに綺麗に土台が出来上がり、同じ様に三段、四段と積み上げられていく。
まるで一種の大道芸を見せられている感覚だ。
最後の頂上を完成させる。
その時、僕は見た。
柔らかく、楽しげな興梠の表情を。
不覚にも見とれてしまった。彼女の長い前髪から覗く、パースの整った顔立ちと、生き生きとした瞳。そして、何より笑った顔。初めて見た興梠の微笑み顔は、とても普段の彼女からは想像出来ない素敵なものだった。
「どうですか?」
普段より少し得意げで弾んだ声だ。
「ど、どうと言われても……。す、すごいねぇって感じ?」
ってか、これはどうなんだ?
凄い事は凄いが、この話題を持ったグループが果たして全国にどれだけ存在しているだろう。
「それをクラスで披露しないのか?」
「絶対にお断りします」
「何故だ?」
「多分ですけど、岡田くんはイジメをやめさせたいと思ってるんじゃないですか?」
「それは次いでだ。僕はイジメを取材したいだけだ」
「私はこのままでいいんです。何も変えたくないんです。知っていますか? 人間というのは、怪我をして傷を負っても、塞がればより強い皮膚を作るんです。私、思うんですけど、それは心の傷も一緒で、同じ所を傷つけられていると慣れて鈍感になっていくんですよ」
「そうかい」
だから、興梠は変化を望まない。
髪を切って、印象を変える事を恐れる。
趣味を披露して、自分への周囲の見方が変わる事を嫌う。
やがて心は大きな分厚いカサブタを作り、感情が鈍感になっていく。
なんて脆弱で辛抱強い女の子なんだろう。
けれど、変わらないといけない。
でないと、その心はいずれ摩耗し、無くなってしまうから。
「今日は、少し興梠の事が知れて良かったよ」
日も落ちかけたところなので僕は話を切り上げるつもりで言った。
「……もう、やめて下さい」
ポツリと興梠は言った。
返す言葉はない。
彼女は他人に深く踏み込む事を恐れている。言わば、人間関係に対する一種の恐怖症とも呼べるだろう。
だから僕とも関わらない。関わりたくない。
友人だろうが、先生だろうが、発芽した感情は新たな弱点を生むからだ。だから、彼女を不変を求める。
「また、お願いするよ。けど、興梠に任せる」
そう言って、僕らは教室を出る。
その日以来、僕と興梠が放課後、教室で会話をする事はなかった。
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