三増峠の戦い(四)
翌朝、勝頼と信豊は馬を並べて城の塀際に進んだ。無論、それぞれの手勢を引き連れて、である。攻撃開始に先立ち何ごとか挑発でもするのでないかと聞き耳を立てる城方であったが、勝頼と信豊はやにわに
「者どもかかれ」
と声を揃えた。
城方にとっては突然の戦闘開始である。勝頼、信豊の手勢が入り乱れて大手に押し寄せた。やがてこれを押し倒し、狭い大手道に甲軍の先手が雪崩れ込む。
「退けッ! 道を開けろ!」
勝頼が騎馬を励まし味方の間を押し進んでいく。無論馬廻衆がその身辺を警固しながらであるが。
信豊も負けじと馬を進め、騎馬の一団が押し固まって三の丸を目指した。この間も大手道に矢弾が撃ち込まれ、勝頼自身、兜の鉢に二三度衝撃を感じた。被弾したものと思われた。
誤解されがちであるが、火縄銃というものは実は相当強力な打撃力を有する火器兵器である。戦場において主用された二匁筒、三匁筒に込められる弾丸は直径十ミリメートルを越え、十二・六ミリメートルに達するものまであり、弾丸重量に裏付けられた有効射程内における打撃力という点で見れば現用銃と遜色ないものであった。
ただ火縄銃の場合、銃身内部に施条(所謂ライフリング)が施されていなかったために、弾の直進性には難があった。直進が望めないので命中精度も現用銃とは比較にならないほど低く、弾丸の運動エネルギーは発射直後から急速に失われてしまい、有効射程距離は驚くべき短さ(約三十メートル)であった。先ほど、有効射程内における打撃力は現用銃と遜色ないと記したが、その驚くべき短さの射程圏が、火縄銃にとっての必殺の距離だったというわけである。
その距離だと、連射性能の低さも相俟って、初弾さえもらわなければ一気に走って詰められない距離ではない。事実、鉄炮で固めた陣地に突撃することは、この当時常用された戦法のひとつであった。
兎も角も、勝頼は鉢に数発の弾を受け、具足にもいくつかの穴がぽっかりと空いていた。弾が貫通した痕跡だ。具足に穴を開けはしたが身体は傷ついてはいない。
勝頼が馬を励ましながら後ろを振り返ると信豊が必死の形相であとを追ってくるので、
「信豊退けッ! 勝負はついた。わしの勝ちだ」
と叫んだ。
矢弾があまりに激しく撃ち込まれるので、一度に二人が討たれることを勝頼は恐れたのだ。
しかし信豊は退こうとしない。
「前を見なされ! 追い越してしまいますぞ!」
確かに信豊は勝頼に追いつき、追い越してしまうのではないかと思われるほどの勢いで勝頼を追い上げた。勝頼はもう信豊を気遣わなかった。
屈曲する大手道を駆け上がると、先んじた勝頼の目の前に三の丸の城門。その門前に騎馬武者がひとり泰然として構え勝頼を
「滝山城将北条陸奥守氏照家老、諸岡山城守! 何者かは知らぬが推参なり。ここから先は我が屍を踏み越えて行け」
勝頼は馬上にて愛用の鎌鑓を構え、
「よき敵
と応じると、諸岡山城守は少し驚いたような表情を見せたがそれも一瞬のこと、すぐさま鑓を突き出しはじめた。
一騎討ちの場に遅れて到着した信豊の姿を視界の端に捉えた勝頼は諸岡山城守と鑓の柄を合わせ息を切らせつ競り合いながら、
「手出し無用!」
と合力を制した。
勝頼は競り合う諸岡の鑓の柄を
すれ違いざま、勝頼は諸岡の鑓の穂先を眼前に見た。咄嗟に身を翻してこれを躱すと同時に、勝頼の鎌鑓が諸岡山城守の喉輪を突いた。喉輪は弾け飛び、諸岡山城守はもんどり打って落馬した。
勝頼は、昏倒した諸岡山城守の喉を馬上から鎌鑓にてひと突きした。とどめを刺すと下馬してその頸を掻いた。
「諏方四郎勝頼、北条陸奥守家人諸岡山城守を斯くの如く討ち取ったり!」
勝頼が
気が気でないのはその様子を本丸から観戦していた北条陸奥守氏照である。本丸を出て自ら二の丸へと出向き、二階門へと駆け上がって押し寄せてきた勝頼、信豊の一団を押し戻そうと必死の抵抗である。
「ここを通すな!」
こう呼ばわりながら兵を励まし、二の丸二階門にて采配を振るう将こそ城将氏照と見極めた勝頼は、これも自ら二三度二階門へと肉迫したが、ここに聞こえたのは
勝頼、信豊は退いて、両名揃って信玄本営へと参上した。戦果を報告するためであった。信玄は不機嫌でも怒りでもなく、ただ困ったような顔をしながら言った。
「これが勝頼の考える城攻めか。これでは命がいくつあっても足りぬ。討たれはしまいかと冷や汗をかいたわ。滝山攻めなど大事の前の小事に過ぎぬ。そのようなところで勝頼、典厩の両名を死なせることなど出来ようか」
こっぴどく叱られるものとばかり思っていた勝頼は拍子抜けした。
典厩信豊とともに、一旦自らの陣地に帰った勝頼が具足の腰帯を解くと、胴丸の中に入り込んでいた鉄炮弾がばらばらとこぼれ落ちた。
「わしの勝ちで文句はあるまい」
勝頼は勝ち誇ったように信豊に言った。
「次は負けませぬ」
信豊も、同じように胴の中の鉄炮弾を落としながらこたえたのであった。
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