三増峠の戦い(三)

 永禄十二年(一五六九)九月下旬、勝頼は武蔵国滝山城包囲の軍中にあった。滝山城を攻め囲むにあたり、勝頼は信玄から直々に

「滝山城は氏康次男氏照の籠もる関東の要衝である。これから先、そなたが攻め落とさねばならぬ城の数は知れぬが、あれなど良い手本となろう。そなたの考える城攻めとはどういったものか、やって見せよ」

 と申し含められていた。

 滝山城は、武蔵国多摩郡、多摩川と秋川の合流点に広がる複雑な自然地形に依拠して築城された連郭式山城である。本丸から北を臨めば多摩川が蛇行しており天然の濠を成していた。城南は大手道を両方向から挟み込むように東側に三の丸、西側に小泉曲輪が設けられ、寄せ手はこれらの防塁から降り注ぐ矢弾をかいくぐって攻める不利を甘受しなければならない構造になっている。

 城の中央部分は大きな窪地となっており、この窪地をぐるりと取り囲むように曲輪群が築かれていた。具体的には城南の三の丸及び小泉曲輪、城西の小宮曲輪及び山の神曲輪、北には本丸及び中の丸、東は二の丸といった構造である。つまり、複雑に屈曲する大手道から逸れて、本丸までの近道だからとこの窪地に足を踏み入れたが最後、全方位から矢弾を浴びせ掛けられるわけであり、これなど城方が仕組んだ巧妙な罠であった。

 しかしこの罠に引っ掛からず、正攻法を貫いたとしても、本丸まで続くのは相も変わらず複雑に屈曲する大手道であり、大軍の移動に不向きな隘路を少ない人数で押し詰めることを強要される構造となっていた。

 包囲の甲軍二万、翻って滝山籠城兵は二千であった。俗に攻者三倍の原則といわれるが、寄せ手は籠城兵の十倍であり強攻こわめに訴えれば落とせない城ではなかったが、信玄がそれを求めていないことは明らかである。

 なぜならばこのたびの関東出兵に先立ちおこなわれた軍議では、

「敵方の小城ひとつ落とさず領土を分捕ることもなく、野戦に引き摺り込みひと叩きする」

 という方針が既に決定されており、勝頼もその軍議に出席していたからであった。

 もし滝山城を攻めるにあたり、人数を押し詰めて力攻めに攻めたならば、彼我に生じる犠牲は多大なものとなろう。城を落とすことは出来るかもしれないが、命懸けで落とした城を味方は味方で手放すことをよしとしないだろうし、要衝滝山が落ちたとなれば小田原が黙ってはいないだろう。お互い引くに引けない泥沼の戦いに発展することになり、

「北条との落としどころを見つける」

 という大方針にもとることになる。

 ただ、悠長に包囲して、あと数日もすれば退くだけ、という方針なのであれば信玄がわざわざ勝頼に滝山攻めを任せるはずがない。

 勝頼は信玄に気に入られるために殊更工夫を凝らして滝山城を攻撃する気など最初からなかった。信玄に気に入られようと思うならば余程の工夫を凝らさねばかなわないだろうし、何より信玄に気に入られようが勘気を蒙ろうが、自らが本心では望まぬ家督を相続しなければならないという運命にかわりはないのだ。

 そう考えると途端に気が楽になった。

 日没後、勝頼は同陣の典厩信豊陣中を訪問した。このとき勝頼二十四歳、信豊二十一歳。二人とも武田の次代を担う若手将校の代表に成長していた。

 勝頼は信豊に言った。

「滝山攻めを父より仰せ付かった」

 それを聞くや信豊は顔をしかめながら、

「それは難しい役目を仰せ付かりましたな。攻め囲んで飢え殺しに蒸し落とすなど悠長なこともしておれません。かといって強攻めが御屋形様の望む方法とも思われませんし、如何なさるおつもりですか」

 と問うた。

 勝頼は

「そなたの言うとおり、いずれとっても難しい城攻めになる。父に気に入られようと思えばな」

 とこたえた。

「どういう意味です」

 更に問いかける信豊に対し、勝頼はにやりと口角を上げながら言った。

「明日、わしはさっそく滝山城攻めに取りかかるつもりだ。わしにはいくさの駆け引きなど小難しいことは分からぬ。したがって強攻めに訴えることにする」

 これには信豊も驚いて

「しかしそのような挙に及べば味方に犠牲も出ましょう。御屋形様の勘気を蒙りかねませんぞ」

 とまでいうと、はたと気付いたような顔をした。

「そうだ信豊。気に入られようが勘気を蒙ろうが、武田の家督を継ぐのはわししかいないのだ。だったら何を憚ることがあろうか。明日の城攻め、お前もわしに続け。いつぞや兵部に邪魔立てされた喧嘩の決着、明日の城攻めの手柄で決めようではないか。強攻めに訴えようというのは城を落とすためではない。そなたと決着をつけるためだ」

 勝頼のこの言葉に、見る見る喜色の湧き上がる信豊。

「面白い。やりましょう。望むところです。それがしもあのときの決着をどうやってつけてやろうか、思案していたところです。勝っていたのを兵部に邪魔立てされて・・・・・・」

 信豊の言葉に、勝頼が目をまん丸にした。

「言ったな信豊」

 二人の笑い声が、陣中に響き渡った。

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