八幡原の戦い(三)

 時が経つにつれて、八幡原で甲軍が蒙った損害の大きさが徐々に明らかになっていった。叔父典厩信繁をはじめとして、山本勘助、初鹿野伝右衛門、諸角豊後守、油川彦三郎、安間弘家、三枝守直等が戦死し、その他戦死傷者多数ということであった。

 四郎にとってとりわけ衝撃だったのは叔父の死であった。信繁になついていたから、というわけではない。厳格だった信繁は、そのような相手でもなかった。後年「竹馬ノ友」とも評されたほど仲の良い長老の父が戦死を遂げたという事実に、衝撃を受けたのである。

 父の死により武田典厩家を継承した長老は、武田信豊を名乗ることとなった。あの、四郎から見ても幼い長老が、頼るべき父を失って、十三にして家督を継承しなければならなくなったのだ。もし次に陣布礼じんぶれ布礼出ふれだされたとするならば、長老改め典厩信豊は伝来の具足に身を固め出陣しなければならなくなるのである。

 四郎は思い出していた。

 土煙を捲き上げながら騎馬を駆り、あっという間に自分に追いついて追い越していった騎馬武者の巧みなわざを。

 四郎は、馬術において未だあのときの騎馬武者に勝てるという自信はなかったし、長老はその四郎を追いかけることさえやっとなのだ。長老が出陣して戦場に身を投じれば、手もなく敵に殺されてしまうであろうことは四郎にとって明白であった。

 四郎は稽古用の牡丹鑓を手に取り、愛馬を駆って長老を尋ねた。

 四郎は、長老が前髪を落とし月代さかやきを作って、まるで大人のようななりをしていることに内心驚いた。まだまだ子どもだと思っていた長老が、父親の戦死という事態に見舞われて、否応なく大人にさせられたこの時代特有の厳しさを、間近に見せつけられたように感じたのだ。

 長老は長老で、牡丹鑓を片手に持つ四郎の姿に度肝を抜かれたように

「そ、その出で立ちはなんですか」

 と開口一番口にした。

 四郎は言った。

「知れたことだ。長老はまだまだ子どもだ。その証拠に、鑓でも馬でも俺に勝った例しがないではないか。だが叔父上が亡くなって、そんな長老でも次に陣布礼があれば出陣しなければならなくなるだろう。そうなればお前はきっと敵に手もなく殺されてしまうに違いない。敵をして典厩家当主を討ち取ったと喧伝されかねず、御家の損失ともなりかねない由々しき事態だ。そうなる前に、これなる牡丹鑓で、お前を散々打ちのめして不具の者にしてしまうか、本当に殺してしまうかして、芝(戦場)を踏めないようにするために俺は来たのだ。お前も鑓を取れ。騎馬を駆って俺に付いてこい。いまから俺と勝負しろ」

 四郎は吐き捨てるようにそう言うと馬を駆っていずこかへと立ち去った。長老は四郎に言われたとおり、これも同じく牡丹鑓を手に取り厩から引き出した愛馬を駆って、小者が止めるのもきかず一散に駆け出した。四郎が待ち受けているであろう、釜無川の河川敷に向かうためであった。

 長老が河川敷に着くと、案の定四郎はそこに待ち受けていた。

「恐れもせずよく来た長老」

 四郎の言葉に、顔を真っ赤にさせた長老が返す。

「先程来長老長老と聞き捨てならぬものがあります。それがしはもう、その名は捨てました。いまは典厩信豊です」

「それらしい名を名乗っても、俄に武力を得られるわけでもあるまい」

 四郎はそう言うと、あぶみを蹴って長老の許へと駆け寄せ次から次へと鑓を突き出す。四郎の繰り出す鑓の前に、長老はあっと言う間に防戦一方となった。しかし面食らっていたのは長老ではなく四郎の方だった。いつもであれば一の鑓を付けたところで簡単に打ち落とされていたであろう長老が、今日このときばかりは四郎の鑓に圧倒されつつあったとはいえ、繰り出される鑓をことごとくさばいて未だ馬上にあったからだ。

 四郎は両者の鑓が絡んだとみるや、長老の騎馬に自らの馬を並べて、体力に任せて右肩を長老の体に強く当てると、長老はたまらず落馬した。

 しかし長老の落馬を見て勝負あったとしたのは四郎の早合点であった。長老は未だ牡丹鑓を手放してはおらず、戦意を喪失してもいなかった。徒立かちだちになってなお鑓を構えた長老は、満身に気力を振り絞って

「来い!」

 と大喝した。

 四郎は長老が示した気魄の前に、一瞬たじろいだ。

「生意気な!」

 四郎は、これまで子どもだとばかり考えていた長老が、自分をたじろがせるほどの気魄を示したことでいよいよ本気になって突き掛かることを決意した。

 四郎は長老を誘いに行ったとき、長老に対して

「散々打ちのめして不具の者にしてしまうか、本当に殺してしまうつもりだ」

 と言った。

 無論そのときには本気で口にした言葉ではなかったが、いまは半ば本気で長老を不具者にしてしまうか、殺してしまうつもりであった。そうしなければ、これまで子どもだとばかり思っていた長老が、自分より早く初陣の芝を踏むことになってしまうからであった。それは四郎にとって我慢のならぬことであった。

 四郎は馬を駆って長老と二十間(約四十メートル)ほども距離を取った。改めて鑓を右手に構えると、鐙を蹴った四郎は一気に馬を走らせ、長老へと突きかかる。止め刺すつもりなのだ。

 長老はといえば逃げる様子もなく、ただじっと駆け寄せる四郎を観察していた。

 そして、四郎が

「やっ!」

 というかけ声と共に鑓を繰り出すよりも、長老が四郎の左側に身を翻すのが一瞬早く、長老の鑓の穂先が四郎の喉元を突くと、四郎はもんどり打って落馬した。

 激しく咳き込みながら悶絶する四郎。

 長老はその四郎を見下し、鑓を四郎の鼻先に突き付けながら

「それがしとてただ震えて初陣を怖がっていたものではありません。父が死んでこの方、必死になって修練を重ねておったのです。馬之衆には高みから敵を見下ろせたり、馬の勢いを駆って打ち掛かることが出来るという利点があります。難点は鑓の取り回しが素早く出来ない点です。もし馬之衆が右手に鑓を構えているのなら、徒士侍かちざむらいはその左側に回り込んで、下から突き上げるように鑓を繰り出すのが鉄則です」

 と言った後、俄に声を張り上げて

「それがしはもう長老ではありません。さあ、四郎様。それがしのことを典厩信豊とお呼びなされ。さあ!」

 四郎は長老が自分の鼻先に突き付けた牡丹鑓の穂先を払った。そして鑓の柄を摑むや力任せにこれを引っ張り、長老に組み討ちを挑んだ。

「あれで勝ったつもりか!」

 鑓を手放した二人は泥まみれになって河原を転げ回った。互いに拳で殴り合い、脚で蹴り合った。二人の顔は見る間にあざだらけになった。

 互いにその痣だらけの顔を睨みながら肩で息を吐いていると、四郎は何者かから脳天に強烈な一発を食らい、次いで首根っこを摑まれた。目の前の長老はきょとんとした表情である。

 背後から聞こえてきたのは

「お前達、何をやっているのか!」

 という大喝であった。

 飯冨兵部少輔虎昌の声であった。

 四郎に誘われるまま、決然と屋敷を出て行った長老のただならぬ様子に、典厩家の小者が兵部邸に飛び込んで危急を報せたのであった。

 二人は兵部邸宅に連れて行かれた。そこで二人は兵部にこっぴどく絞られ、次いで兵部は二人を連れて府第へと赴いた。

 兵部は信玄に言った。

「四郎殿によれば、信豊殿は武道に拙い者ゆえに芝を踏めば真っ先に敵に殺されるであろう、そうなれば御家の不名誉であり損失にもなるので、せめて自分の手で叩きのめし不具の者にしてしまうか、殺してしまうつもりだったということです。しかしそれがし思うに、おそらく四郎殿は信豊殿が自分より先に元服し、初陣の芝を踏むことに我慢ならなかったために、このような所業に及んだものでしょう」

 これには信玄も、

「四郎にしてさもありなん」

 とこたえ、四郎に対して目を剥きながら

「この、聊爾者めが!」

 と大目玉を食らわせた後、長老に対しては、

「戦死したそなたの父上は、そなたと同じ齢のころであってもそのような蛮勇は好まなんだものだ。そのようであっては父に遠く及ばぬ。今後は自重せよ」

 と諭すように言った。

 兵部も信玄も、長老に対しては、これを重んずる言葉遣いをした。一家を背負うということは、つい先日までほんの子どもに過ぎなかった長老を、大人扱いさせるほど重いことだったのである。

 四郎もこの日を境に、長老のことを長老とは呼ばなくなった。そのこともまた、日本戦史上に語り継がれる激戦、八幡原の戦いに付随するひとつの帰結であった。

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