甲相入魂(四)

「長篠敗戦以来、これでようやく枕を高くして眠ることが出来まする」

 春日弾正忠だんじょうのじょう虎綱などは浅黒く皺だらけの顔をいっそう綻ばせながらそう言ったものだが、小田原からやってきた姫を目の前に、勝頼はただただ困惑するばかりであった。

 当年三十二になる勝頼と較べれば、十四の姫の身形みなりはいかにも小さかった。美しく着飾り、かつ顔には大人びた化粧を施しているとはいえ、幼さを隠しきれるものではない。初潮を迎え大人と見做される年齢に達したというだけで、身体はまだまだ成長の途上にある、まさしく子どもに違いなかった。

 その大きく丸い瞳を勝頼にじっと向ける様も、見る人が見れば不躾ぶしつけな視線ととらえられかねない所作であった。

(この姫が自ら望んだ婚姻ではないのだ。余があれやこれやと文句を言うのは筋違いだ)

 勝頼は甲斐に嫁いできた姫に困惑しきりであったが、自分にそう言い聞かせてりんを家中に迎え入れた。

 盛大におこなわれた婚礼の儀を終え、身辺が落ち着きはじめたころ、勝頼は奥御殿に住まう林の許を訪れ自ら府第ふてい(躑躅ヶ崎館)内を案内した。

 政務の中枢である主殿、本主殿。それに本主殿から見渡すことの出来る築山泉水の庭園には、永正十六年(一五一九)の開府の折に植えられた名木多数。その庭園に建つ、府第で最も高い櫓の最上階である二階に登って辺りを見渡しても、海は見えなかった。

 林は櫓の廻縁に立ちながら

「本当! 海がない」

 と声を上げた。

 林は自分の言葉に、息を呑んだようにして口を押さえた。

 勝頼は更に姫を案内し、勝頼本人が起居する看経間かんきょうのまの他、毘沙門堂、御台所、厩と馬場、そして番所の前を通って東の大手へと達した。

「これが我が武田家の府第だ」

 勝頼はひととおりの案内を終えると林にそう言った。

 林は

「広い本丸なのですね」

 とこたえた。どうやら林は、勝頼が案内し終えたのは本丸だけで、この東の大手をくぐれば二の丸、更に三の丸と続くと考えているようであった。

「いや、これで全部だ」

 勝頼は敢えて憤然とした表情を作りながら言った。

「これで全部?」

 鸚鵡返しに返した林の表情が徐々に強張ってゆき、瞳が大きく見開かれた。しまった、といわんばかりの表情である。林がその場に伏した。

「知らぬこととは申せ御無礼を申し上げました。先程来かえすがえすも申し訳ございません。どうぞお許し下さいませ」

 永禄四年(一五六一)に新関東管領上杉政虎(謙信)による包囲を受けて以来、小田原城は飽くなき整備拡張が続けられている巨郭であった。城の周囲には三里(約十二キロメートル)にも及ぶ惣濠そうぼりがもうけられ、その内に町屋すら包含する巨大城塞である。勝頼は永禄十二年(一五六九)におこなわれた小田原城包囲戦において、父に従いこれを巡検していたので、小田原城の巨大な様をよく知っていたのであった。

 生まれたときからその小田原城を出たことがなかった林が、躑躅ヶ崎館のすべてを見せられて、その狭さを信じなかったことは、勝頼にも理解できることであった。そもそも拠って立つ常識が勝頼あたりとは異なっているのである。それでも自分の発言が相手を不愉快にさせてしまったのではないかということに想いを至らせ、このように伏す姫を勝頼は初めて愛おしいと思った。

 地に手を突き頭を下げる林に、勝頼は言った。

「顔を上げよ姫。そのように伏してくれるな。いま見て貰ったように、この甲斐には海はないし小田原のような大きなお城も持ってはおらぬ」

 勝頼は林の手を取り、起こした。

「どうした、泣いているのか」

 勝頼は林の大きな瞳からぽろぽろとこぼれる涙に今度は自分が困惑させられる番だった。

「だって、だって」

 林はしゃくり上げながら繰り返すばかりである。

(本当に、まるで子どもだな)

 勝頼は姫の華奢な背中をさすりながら、殊更に柔和な表情と、そして低く野太いが優しい声音で言った。

「これまで小田原より出たこともなく、海のない国を見たこともなかったのであろう」

 勝頼は、この幼い姫をからかうつもりで面白半分に意地の悪いことをしたことを激しく後悔していた。

 諏方の湖が見えない甲斐府中までやってきて、自分が亡父信玄を後継することについて快く思わない連中が少なからず巣喰うこの府第へと越してきた自分の立場をかえりみれば、林に冷たい仕打ちをするということは勝頼には出来ないはずであった。そのやってはいけないことをこの幼い姫に対してやってしまったという後悔の念が、勝頼の心中に湧き上がった。

 勝頼は林の背中をさすりながら続けた。

「すまなんだ姫よ。意地の悪い夫を許してくれ。他国から越されたのはあなただけではない。余は先代信玄を父とする者であるが、母は諏方の人間であり自分も信州高遠から越してきたも同じだ。他国者同士、仲睦まじくしよう」

 林はその勝頼の言葉に、鼻をすすり涙を拭きながら何度も頷いた。その様子を見ながら勝頼は、国同士の利害関係の果てに望んだ婚姻ではあるが、相手を選ぶことも出来ず慣れない土地に嫁いできた姫を幸せにしなければならぬ、この素直な姫となら、共に歩んでいくことが出来るに違いないと考えたのであった。


 春日弾正忠虎綱がその成立を喜んだという逸話を聞くまでもなく、長篠戦役以降退勢著しかった武田家を建て直すために、小田原北条氏との同盟を強化する目的で北条夫人(林)が甲斐武田家に入輿したのは天正五年(一五七七)正月二十二日のことだったと伝えられている。

 上杉謙信との挟撃により一挙に武田家を滅ぼしてしまおうと考えていた信長の目論見は、長篠敗戦直後に上杉謙信との和睦を実現した武田勝頼の外交政策の前に潰えた。武勇ばかりが取り上げられがちな武田勝頼という人物の、優れた外交手腕が垣間見える政策である。

 復権を狙う足利義昭は武田上杉、更に北条家をもこの和睦に加え、甲相越一和による信長攻撃を画策していたが、小田原北条氏を不倶戴天の敵と見做す謙信の立場からは到底受け入れ難く、この構想は頓挫する。

 しかし謙信は上杉家独自の路線として信長との決戦を企図しており、やがて両者は天下の覇権を賭けて激突することとなるのである。

 長篠敗戦による傷手から回復出来ていなかった勝頼は、北条夫人との婚姻により北条氏政との同盟関係を入魂のものとすることに成功し、武勇日本一の上杉謙信が信長を撃砕した暁には北条家の助力を得て美濃、東海方面における勢力回復を目論んでいたことは間違いなかろう。

 ともあれ上杉謙信が信長討伐に舵を切ったことで、時代は新たな段階に入ろうとしていたのであった。


             (前の巻 完)

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