甲相入魂(三)
「そなたも武家の娘として生まれたからには、いつまでもこのお城で暮らすというわけには参らん」
おそらく自分は、いつまでもこのお城で、御父上様や三郎兄達と楽しく暮らしたい、というようなことを言って父を困らせたのではないだろうか。それに対し、父が諭すように言ったのがあの言葉だったのではなかったか。
自分を膝に抱いた父はその顔も手も背中も、すべてが大きく、幼い林が捉えきれないほどであった。全身をすっぽり包まれるような安心感を欲して、よく父の膝に飛び乗ったものだ。
その大きくて強い父がこの世からまったく消えてしまうというようなことは、林にとって思いもよらないことであった。自分は父や三郎兄といつまでもこのお城で何不自由なく楽しく暮らしていけるものと思っていたし、父はいつまでも大きく強く、そして優しいままだと思っていた。
しかし父氏康との別れは、林にとって存外に早く訪れた。氏康が病に倒れたのだ。
こんなときだからこそ少しでも父の近くにいたいと思っていたのに、とっかえひっかえ次から次に大人の男達が父の枕許に現れては何やら長々と話し込み、林を氏康に近づけることを妨げた。大勢の大人達に囲まれて、病床の父の姿が隠れてしまうこともあった。
訪れる人の数も落ち着きはじめ、気ぜわしかった父の周囲がようやく静かになった頃、林は病床の父の傍らに膝を進めた。氏康ははっきりと目を開いていた。傍らに近づいた林をじっと見つめながら、あの野太く力強かった声とは似ても似つかぬ弱々しい声で
「子など老いてからもうけるものではない。そなたのことが心配でならぬ」
と言い、林の手を握った。父の手は、前回間近に見た父の手と較べると、明らかに一回り小さくなっていて林を驚かせた。
ほどなくして父は死んだ。林が八つになる年のことであった。
あれほど大きくて強かった父。しがみつき飛び乗ってもびくともせず、永遠にそのままの姿でいるだろうと思っていた氏康の、林にとっての早過ぎる死は、いつまでも暮らしていけると思っていたこの小田原のお城から自分が出ていかなければならないときも存外に早く訪れるのかもしれない、という一種の覚悟めいた心持ちを林の中に育んだのであった。
そして林が秘かに胸の裡で育んでいたその覚悟のとおり、生まれたときから一日たりとも離れたことのなかった小田原城を出て行かなければならない日は唐突に訪れた。
「そなたももう大人になった」
林にそう告げたのは自分より二回りも年上で、しかも母親を異にする兄氏政であった。異母兄ではあるが林とは比較的年も近かった三郎兄とは親しくしていた林であったけれども、氏政のことは血のつながった兄妹と思うことが出来ず、まるで他人だった。他人としか思えない氏政の声音が、年々亡父氏康のそれに似てくることは、林にとって不愉快なことであった。一片の情も絡めることなく、ごく事務的にしかものごとを告げることのない氏政の話し方は、その声色が亡父氏康と似通っていた分だけいっそう林を苛立たせた。
林はその苛立ちを勘付かれないために、
「甲斐の武田大膳大夫殿の許へ嫁ぐがよい」
氏政は
天正四年(一五七六)当時、確かに甲斐武田家と小田原北条氏との間では同盟が締結されていた。しかしこの同盟関係は、血縁によるつながりを欠いた当時としては希薄な同盟関係であった。
そもそも甲斐武田家と小田原北条氏は、駿河今川家も含めて姻戚関係を取り結ぶ強固な同盟を締結していた。天文二十三年(一五五四)に成立した所謂甲駿相三国同盟である。
この同盟関係では、武田晴信嫡男義信の妻に今川義元の娘嶺松院殿を、北条氏康嫡男氏政の妻に武田晴信の娘黄梅院を、今川義元嫡男氏真の妻に北条氏康の娘早川殿をそれぞれ嫁がせ、三家は強い紐帯で結ばれていたのである。
しかし永禄十一年(一五六八)十二月、武田信玄が駿河へ侵攻したことにより、三国間の同盟関係は破綻する。既に駿河侵攻前には信玄により義信が廃嫡され、嶺松院は駿河へ送還されていた。武田家による駿河侵攻を受け、氏政は黄梅院と離縁、黄梅院は甲斐へと送還されることとなった。以来、再度の同盟締結後も武田と北条の血縁は断絶したままである。
ちなみに氏政とは仲睦まじかったと伝わる黄梅院にとって、国家間の外交方針に関わる離縁だったとはいえ夫や子との別れを伴う出戻りであって、心痛甚だしいものがあったのだろう。甲斐送還から間もなく、彼女は二十七歳という若さで亡くなっている。
氏政という男が殊更他者に共感を示すことがなくなった、そのような態度を他人に対して示さなくなった原因が、悲哀ともいうべき黄梅院との別離にあったということを、林は知らない。氏康の遺言により甲相同盟が復活したあと、氏政がいの一番に甲斐武田家に望んだことは、黄梅院の遺骨を小田原で分祀することであった。真っ先に元妻の遺骨受領を求めた氏政の真意を知れば、兄に対する林の見方も少しは違ったものになっていたかもしれない。
いずれにしても、林は兄氏政によって甲斐武田家への輿入れを命じられた。
「甲斐という国は、どういった国なのでしょう」
生まれてこの方小田原を出たことがない姫は、
「甲斐国と申すはそもそも、山の
「言われておりました?」
「左様。甲斐がそのようであったのは今より五十年ほども前の話でございまして、世にいくさが蔓延するようになって百有余年、この日本国に戦乱と無縁の国はそう多くはございませんが、甲斐国はその多くはない国のうちの一つでございます。これは甲斐武田家の先代信玄公が類い稀な武勇を以て他国の侵略を許さなかったからで、加えて公は領内の暴れ川を鎮められ、土地を開き商いを盛んにして住まう人々を
「ただ?」
林は但馬守の説明に、ただでさえ大きな瞳をまん丸にして聞き入り、その言いよどんだ言葉の続きを欲した。
「ただ、国は豊になったそうですが、山の峡というだけあってやはり海は見えません」
「まあ!」
生まれたときから小田原城に暮らし、目の前に広がる相模の海を目にしない日がなかった姫にとって、この世界に海の見えない国がある、ということは驚くべきことだったのであろう。
驚くべきことではあったが、姫が海がないという世界がどのようなものかひと目見てみたいと思ったことは、この婚姻を望む人々にとって幸運なことであった。
「海がない国というものを、私は見たことがありません。そういった国をひと目見てみたいと思います。それに今ひとつ教えてください」
「なんなりと」
「武田大膳大夫勝頼公とはどのようなお方ですか」
この質問にはさすがの劔持但馬守もたじろいだ。
というのはこの時代、会ったことも話したこともない相手と結婚することは、身分の高い人々にとっては当たり前のことであった。それは文字どおり、衣食住を保障された生活を送ることを許される代償として、周囲の人々から人生を規定されるということを意味しており、かかる婚姻を拒否したり、逆に希望する権利を当の本人たちは有していなかったのである。相手がどのような人物であれ、林は兄氏政が指定した相手と結婚しなければならなかった。それが、林を支配する運命というわけである。
そのようであるから、甲斐国について少しは下調べしていた劔持但馬守も、さすがに武田勝頼という人物の人と
「武勇に優れた猛き将と聞いております」
劔持但馬守は、近隣に響く勝頼に関する噂を、殊更言いよどむことなく言ってのけた。下手に口籠もって林に怪しまれることを警戒したのがひとつ、それに知らないことについてあれやこれやと虚説を口に出来るほど達者でもなかったからだった。
劔持但馬守はちらりと林の表情を観察した。その瞳は相変わらず丸く大きく輝いて中空を漂っており、海のない国に住まう猛き将に対する、少女特有の恋心が芽生えたもののように劔持但馬守には思われたのであった。
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