岩村城の戦い(五)

 虎繁が城内に逃げ帰ってきた麾下の将兵に聴取したところを総合的に勘案すれば、後詰に寄せてきた味方の兵は、ほとんど素人同然の部隊と判断せざるを得なかった。甲軍は先の長篠戦役において相当手酷い打撃を蒙ったと噂には聞いていたが、送り込まれてきた後詰部隊の練度を見る限り、それは真実と判断して良さそうであった。そして勝頼は、この素人集団ともいえる千名を現地に送り込んだというたった一事を以て、たとえ城が陥落したとしても

「武田家は岩村城を見捨てなかった」

 と強弁するつもりなのだ。実質的に、岩村城は見捨てられたと考えて良かった。

 事ここに至り、虎繁にはもはや迷いはなかった。一刻も早く交渉の席を設け、少しでも有利な条件で信長に対し降伏を申し出るべきであると虎繁は判断した。しかし降伏交渉をおこなうにあたり、虎繁にはおつやの方を説得しなければならないという難しい仕事が残されていた。

「もはや城はたぬ。降伏せねば全滅する」

 虎繁がおつやの方にそう言ったとき、おつやの方は

「降伏しても全滅するでしょう。最後の一兵になるまで戦い抜かねばきっと後悔します」

 と、どちらが侍か分からぬ遣り取りが交わされた。これでは埒があかぬとみた虎繁は、おつやの方の説得を後回しにして、独自に降伏条件について交渉を開始した。

 虎繁は、城兵の助命は勿論のこと、おつやの方を赦免すること、そして驚くべきことに、自身の赦免と織田家への仕官を条件として降伏を申し出た。これには遠山家の人々も驚き、

「殿は二年前に岐阜城下に乱入し、放火狼藉を働いた身。その折に坊丸様を拉致しただけでなく、おつやの方様を娶られ、あまつさえこの度、半年にわたる籠城戦を織田家相手に戦われたことをお忘れか。赦免、しかも仕官など、叶うはずがないではありませんか」

 と口々に反対した。

 しかしここは往年の信玄より

「油断するな」

 と言わしめたしたたか者の虎繁である。そのこたえて曰くは、

「凡そ交渉ごとなどというものは利害の相反する相手と話し合うものなのであって、こちらが願いの十分じゅうぶを達しようと考えれば、そのうちの二分が叶えられるのがやっとである。したがって最初から目標の二分しか達することが出来ないだろうと諦めて、二分の主張しかしなければ、二分を十として更にその二分しか通らぬということになる。実現が難しいと思われる主張であっても、その席に話を持ち込むことが重要なのだ」

 とこたえて取り合わなかった。

 虎繁が矢文によって申し出た降伏条件について、両者の間でしばらく遣り取りが交わされた。織田方にとっては飲みがたい

「虎繁の赦免と助命」

 という矢文を、しぶとく虎繁が敵陣中に射込むたびに、敵は示威行為として城の塀際に押し寄せてきた。城方はその攻勢を悉く退けた。そうこうしているうちに雪が舞い始めた。冬がそこまで迫っていた。

 虎繁が申し出た降伏条件を逐一信長の元に回送し、その指示に従ってきた信忠であったが、その信長が遂に根負けした。岩村城内に射込まれた矢文を見て、人々は瞠目した。

「見よ。信長公は城兵の助命を約束してくれたぞ」

 人々からどよめきが起こった。得意満面の虎繁は更に続けた。

「それだけではない。おつやの方の赦免、それにわしの赦免、仕官にまで言及されておる。十分を主張して、十分が通ったのだ」

 岩村城内はこの快挙に沸き返っていた。なおこの矢文にはそのほかに

「降伏開城が成れば、一度岐阜城に越されるが良い。久しぶりに顔を合わせたいものだ」

 という虎繁個人に宛てた信長の言葉も書き添えられていた。これは、かつて甲尾同盟が機能していたころ、織田家との交渉に主として携わっていた虎繁との旧交を温める信長の声明と、虎繁には思われた。

 かかる矢文を得て、虎繁はおつやの方に対し今日このときばかりは誇りながら

「やってみなければ分からぬものであろう」

 と言ったが、おつやの方は怨みを込めるかのようにして

「あなた様は織田信長という男についてあまりにも無知です。おやめなされ。釣られて岐阜城などに赴けば、無事では済みませぬぞ」

 と警句を発した。

「信長公は信義を重んじるお方だ。そのことは、曾て何度も顔を合わせたわしがよく知っておる。考えすぎだ。公はきっと約束を果たされるであろう」

 虎繁は取り合わなかった。

 岩村城の降伏開城は、十一月二十一日に執行された。虎繁以下城方の主だった将は武装を解き正装して、開城の監視役である小塚小大膳とその目付塙伝三郎を出迎えた。儀式は互いに礼を失することなく粛々と執行され、虎繁とおつやの方が岐阜城に向け出発したその直後、助命を約束されていたはずの岩村籠城衆は、城内の一角、遠山市丞丸に集合するよう伝達された。市丞丸においていよいよ武装解除か、長い戦いであったなどと口々に語る籠城衆は、忽ち濃い煙にまかれた。織田兵が籠城衆を城の一角に追いやり、火を放ったのだ。

「おのれ信長、たばかったな!」

「無念である。斬って出て一人でも多く道連れにしてくれん!」

 籠城兵は怒号を発しながら遠山市丞丸より斬って出た。その怒りはすさまじく、取り囲んで籠城衆を焚殺ふんさつしようという織田兵の何人かを斬り殺したが、弓鉄炮を撃ちかけられ、一人残らず殺されてしまったのであった。

 己の背後でそのような惨事がおこなわれていることも知らず、助命の御礼言上のためと称して岐阜に登城しようとした穐山伯耆守虎繁は、その城門をくぐって即座に捕縛された。おつやの方もまた同じであった。虎繁は捕縛されながら

「縄目の恥辱を受けるくらいなら、そなたの言うとおり城を枕に討死うちじにするべきであった」

 と言うと、おつやの方は

「後悔は先に立つものではありませんがわたくしの言ったとおりになりました。あなた様が私の言葉を顧みなかったことは返す返すも口惜しい限りですが、信長に振り回されることのない時間を与えてくれたことをありがたいことだと思っています」

 と述べて、番兵に引っ立てられていった。

 虎繁は信長の前に引っ立てられ、

「約束をたがえるとは、武士道に悖るおこないよ」

 と詰ったが、信長はまともに相手にせず、

「汝を磔刑に処する。これは四郎が奥平九八郎の妻子を処刑した報復である」

 と、徳川に転じた奥平貞昌の妻於ふう、子の仙千代丸を、勝頼が処刑した罪を虎繁に押し着せる発言をして早々に立ち去った。

 十一月二十六日、穐山伯耆守虎繁は、岐阜城下は長良川河畔にて磔刑に処された。

 虎繁とまともに言葉を交わさなかったのとは異なり、信長はおつやの方に対しては

「一門の誇りを捨てて武田の属将如き卑しい身分の者の妻になるなど、恥さらしと思わなんだか」

 と詰問した。

 おつやの方は

「一門の誇り? ちゃんちゃらおかしくてへそが茶を沸かします。その一門の誇りとやらのお陰で、私がいままでどれだけつらい思いをしてきたか、お前様には分かりますまい。やれ同盟国重臣のもとに嫁げやら、それが死んだら今度は譜代家臣のもと、次から次たらい回しにされて、私の人生はなんだったの!」

 おつやの方はこれを最後と思い定めたかのように、信長を詰りに詰った。信長は黙ってこれを聞いていたが、なにもおつやの方の言葉に耳を傾けて赦免する気があってそうしたものではない。手打ちするに先立って、せめて言いたいことは言わせてやろうと思っただけの話であった。だから信長は、もはや信長を詰る言葉も出なくなった縄目のおつやの方に対し、太刀を振り下ろした。太刀はおつやの方の肩口を叩いた。信長が振り下ろした太刀はおつやの方の肩甲骨に当たり、刀の方がひん曲がってしまった。おつやの方は斬られて息も絶え絶えながら

「女の身ひとつ斬りそこねるなど、お前様も存外甘い」

 とか

「早う斬り殺しなされ。お前様の枕許に、化けて出る日が待ち遠しい」

 などと雑言を叩き、近習が差し出した別の太刀によって叩っ斬られ絶命してもなお、おつやの方は怨念に満ちた視線を信長から外すことはなかったと伝えられている。

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