長篠の戦い(十七)
(諏方の鬼子め! あれは、無謀ないくさで武田を滅ぼそうとしておる)
信君は麾下の将兵に、このまま信濃目指して落ち延びるよう指示を下し、自らは軍列を離れて才ノ神に向かった。
道中、信君は
(要らざることをせず、軍列に戻ろうか)
とも考えたが、敗残の甲軍が傷ついた体を引き摺りながら退いていく様を見るにつけ怒りが再度沸騰した。吼えずにはいられなかった。
信君が突着した才ノ神の本陣は大変な混乱と喧騒に包まれていた。旗本衆が旗を畳み、陣幕に火を掛けるべく枯草や枯木を積んでいるところであった。勝頼は既に芦毛の駿馬に跨がり、まさに退くところであった。その勝頼に信君は馬を駆け寄せた。先に声を発したのは勝頼であった。その目は血走っていた。
「玄蕃頭殿! なにゆえこのようなところにおわすか!」
勝頼は大喝した。
勝頼が怒気を発したのも無理はない。穴山信君には、先述のとおり前線部隊を後方から支え、全軍の崩壊を防止する重要な役割が付されていたからである。それを棄てて、撤退しつつある本営に顔を出し今更何の用かと勝頼は詰問したのだ。
その勝頼に対して、いつもは冷静な信君の白い顔にかっと朱が差した。信君は自分を難詰した勝頼に勝る大音声で怒鳴った。
「なにゆえこのようなところにおわすかと仰せか。その問いはそのまま屋形にお返ししたい。我等はこのような愚かな合戦には端から反対であった。そのことは一昨日の軍議で群臣打ち揃って進言したはずでござる。屋形はその進言を無視して、なにゆえこのようなところにおわすか。あれを御覧じろ」
信君は西を指差した。
その指差す先には、閉じ籠もっていた雲霞の如き織徳の兵が、勝機と見て一斉に陣城から溢れ出て、甲軍を追い回している光景が広がっていた。勝頼は、信君に促され一度見たその光景から目を逸らした。
「なにゆえ目を逸らせなさる! あれこそこたびのいくさが招いた偽らざる結果でござる。とっくり御覧じろ! 御先代以来の宿老を、鍛え抜かれた軍役衆を、この愚かないくさですべて失ってしまったではないか!」
信君はそう大喝すると、踵を返し軍列に戻っていった。
主君と一門筆頭が口舌によって互いの理非を難じあっているのを、如何に旗本衆とはいえ押し止めることは出来ず、誰かが
「荷はまとめたか。旗は残っていないな」
と、確認の声を上げるまでは、みな呆気にとられて呆然とその光景を眺めるのみであったという。
このような醜い主従の諍いを経ながらも、勝頼は騎馬を励ましながら北へと流れ逃げた。勝頼は共に逃げる田峯菅沼定忠に
「田峯城にて体制を整え、一戦遂げるつもりだがどうか」
と諮問すると、定忠は殊勝にも
「分かりました。あれには当家の家老
とこたえた。
しかしそれにしても、甲軍手練の譜代宿老が必死に
力拔山兮氣蓋世
(力は山を抜き、気は世を
時不利兮騅不逝
(時に利あらず、
騅不逝兮可柰何
(騅が進まざる如何にせん)
虞兮虞兮柰若何
(虞や、虞や。汝を如何にせん)
虞姫の一節は兎も角、勝頼は古来勇将の馬は、敗軍に当たって進まなくなるという伝承や、垓下歌中にある
「
の一節が、今回の自分に妙に符合していると一瞬思った。穴山信君などはこの戦いを、愚かないくさと評したが、もとよりいくさの勝敗など先々の見通しの立たないものなのであり、そのことについてあれこれと考えを巡らせるよりも、戦うべき時に戦うことこそ重要だと勝頼は考えたから決戦を挑んだのだ。繰り返すまでもなく、今後も開き続けるであろう彼我の国力差を考慮してのことであった。勝頼は時に利あらず、今日敗北を喫しただけなのである。
決戦を選んだこと自体を、愚かだと難じられる謂われはなかった。
勝頼の脳裡に、一瞬こういった様々な考えがよぎった。馬が脚を止めたことで、一時的に興奮が冷めたからと思われた。
そこへ、主人の馬が疲れて進まなくなったとみた河西肥後守が駆け寄せた。
「それがしの馬をお使い下さい」
肥後守の声に、我に返る勝頼。すぐさま
「しかしそのようなことをすればそなたは殺されてしまう」
「主君に忠節を尽くそうというのです。
河西はそう言うと跨がっていた馬から降りてこれを勝頼に献じ、自らは勝頼愛馬に乗り換えて踵を返した。
「しばらく踏み留まりますゆえ、早々落ち延びられよ!」
河西肥後守の声を背中に聞きながら、勝頼は北へ北へと流れていった。
なお河西は勝頼の身代わりとしてこの場にて戦死し、勝頼秘蔵の愛馬は駿馬として捕獲され、信長に献上されたという。信長はこれを気に入り自らも秘蔵するとと共に、どうやら勝頼は酷い混乱のなか、雑兵に交じって戦死したのではないかと疑ったという。しかしその疑いは、戦後すぐさま勝頼が政治活動を再開させたことで払拭されている。
兎も角も河西肥後守の忠節により、迫る敵の追っ手を振り切った勝頼一行であったが、ここでその陣容を振り返っておくと、田峯城まで一行を誘導する田峯菅沼定忠を先頭に、勝頼及びその旗本、そして一門で勝頼側近ともいえる典厩信豊が、僅か三四十人に減じた手勢と共に続き、比較的損害の軽微だった郡内衆を率いる小山田左兵衛尉信茂がこれらを護衛しながらの逃避行であった。
信玄治世のころから幾多の戦陣を駆け巡り、時には先陣切って敵陣に斬り込むことのあった小山田信茂は、生前の山県昌景より
「若手では文武相調いたる将ほかになし」
と激賞されただけあって、勝頼をよく護衛した。しかしそれにしても、勝ちいくさしか経験したことのない小山田信茂にとってこの逃避行は悔しいものであり、戦後、親戚筋に当たる御宿政友にその胸の裡を手紙にしたため書き送っている。
その一行の目に、いよいよ田峯城の城門が見えてきた。大手を固く閉じ、物見櫓に人を置いている。城所道寿が既に敗戦を聞きつけ、すぐさま籠城戦に移行できるよう手筈を調えているのだと誰もが疑わなかったが、城門に達し定忠が
「開門せよ。御屋形様入城」
と呼ばわっても、城門は固く閉じられ開らかれる様子がない。
しまいには城所道寿自ら物見櫓に立ち、
「我等今日より徳川殿に転ずる。もはや武田の禄は
と大喝して、鉄炮を撃ちかけてくる始末だ。
家老によって居城を奪われ、本貫地を失陥した定忠の憤怒は激しいものがあったが、定忠とて今更徳川に転じるわけにもいかず、一行の先頭を北へと落ちてゆくよりほかになかった。山家三方衆田峯菅沼定忠にとって、徳川家康は不倶戴天の敵となった。本領を奪還するため、定忠は徳川との戦いに生涯を費やすこととなる。
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