長篠の戦い(十四)

 信長は弾正山にあって戦況を眺めていたが、甲軍の主力が徳川勢に襲いかかった様を見て俄に不安を催した。縷々繰り返してきたように、このいくさの主役たる徳川の陣が破られれば、全軍の崩壊が明らかだったためである。

 信長は旗本衆に対し、

「これより高松山へ参る。ついてこい」

 と告げ、家康が本営を構える高松山に赴いた。

 信長の来訪を受け、徳川陣営に緊張が走った。その督戦を受けているという意識が、徳川の諸衆にあったからである。しかし前線にあって甲軍の襲撃を繰り返し受けていた徳川の兵卒共は、本営がそのような緊張に包まれていることも知らず、ただ自分たちが生き残るための戦いを繰り広げていた。

 甲軍の左翼の主力ともいえる山県三郎兵衛尉昌景は、この日何度目かしれぬ突撃の下知を下していた。もはや麾下の鉄炮衆は弾を撃ち尽くし、ものの役に立つものではない。鉄炮衆の援護を受けられなくなった長柄ながえの衆も、歩速が劣るために敵の狙い撃ちに遭い、有効な打撃を与えることは不可能であった。

 昌景は突撃に先立ち、馬上衆に乗馬を命じた。馬上衆は、出番までは下馬し待機していた。これは馬の疲労を防ぐための措置であり、乗馬を命じられたということはほどなくして突撃を命じられるということを表していた。果たして昌景は遂に馬上衆に突撃を命じた。実はこれこそ信長が恐れる敵馬上衆の乗り入れであった。

 西国の兵は久しく騎馬戦闘を経験しておらず、馬による乗り入れを受けたときに、どのようにして防御すれば良いか、皆目見当がつかないというのが、西国諸大名の軍隊の実相であった。本戦役においては、武田の馬上衆による乗り入れを防ぐために、強固な陣城を構築したようなものであった。

 徳川の兵は、武田の馬上衆が激しく泥を跳ね上げながら密集して突撃してくる様を目撃して戦慄した。しかし恐ろしいからといってここで手を止めてしまえば、陣中への敵の乗り入れを許してしまうのであり、

「ここが勝負どころだ」

 と声と力を合わせて、射手が撃った鉄炮をその後続の者が受け取り、弾薬を装塡して再び射手に手渡して射手が撃つ、ということを繰り返した。このため昌景の繰り出した馬上衆も陣城を突き破ることが出来ず、あまりの出血のために一旦退くことを余儀なくされた。

 次に織田徳川の陣に乗り入れてきたのは西上野衆小幡信真であった。

 小幡信真率いる西上野の馬上衆は、三河、遠州、駿河衆を多く含む山県昌景のそれにも増して馬術巧みであった。馬の狂奔するに任せ乗りこなし、むしろこれが暴れ回ることを利点としているようですらあった。なるほどこれでは徒武者かちむしゃが敵し得ないわけだ。

 しかしこの熟練の馬術も、陣城の後ろに隠れて鉄炮を放つ足軽に対し有効な攻撃手段たり得ず、やはり多数を討たれて退くことを余儀なくされた。

 その他典厩信豊、逍遙軒信綱等の一門衆が同様に乗り入れを試み、続いて馬場美濃守信春が馬上衆にて突破を試みたが、いずれも失敗した。

 卯の正刻ころに攻撃を開始してから、既に三刻(六時間)ほどが経過していた。

「これより先、同じことの繰り返しとなりましょう。後日を期すべきです」

 宿老達は本陣に一旦集結した。皆、泥にまみれ肩で息をつき、折り敷きながら、床几に座する勝頼に対して異口同音に進言した。

 それでも勝頼は

「このまま安直に退けば、殲滅の憂き目に遭うだろう。前に進んで敵陣を撃ち破るより他あるまい。なにか良策はないか」

 と、なおも敵野戦軍撃破にこだわってその方途を諮問したが、それが思うに任せないことは、本日早朝から兵卒と共に突撃を繰り返し、跳ね返され続けた宿老達が一番よく知っていることである。良策はなどと問われたとて、敵の堅陣を打ち破ることが出来る者は一人としていなかった。勝頼とて本陣に在ってその様を目の当たりにしていたのであるが、寄せ手に良策などないことは百も承知でありながらそれでも歯嚙みし

「よかろう。それでは余自ら旗本衆を率い、信長本陣へと斬り込んで・・・・・・」

 と口走った。

 勝頼は本気であった。本気で信長の本陣へと斬り込んで、その首級を挙げるつもりであった。

 いま、目の前の弾正山上には間違いなく織田信長が在陣しているのである。この機を逃せば、次に信長と戦場で相見えるのがいつのことになるか、知れたものではなかった。いや、たとえ近々に相見えることが出来たとしても、そのときには信長は、武田家が独力では敵し得ないほどに肥大化しているだろうことが容易に想像できた

 いまや多数が討ち果たされ、敗軍の様相を呈し始めた甲軍など恃むに足りぬ。

 そこまで思い至ったとき、勝頼の脳裡に、八幡原の戦いにおける上杉政虎の事蹟がよぎった。政虎がほとんど単騎といって良い少人数で、信玄本陣に斬り込んできたという真偽不明ではあるが、まことしやかに囁かれた噂である。

 武田家中では、あのとき信玄本営に斬り込んできた僧形の武者を、荒川伊豆守或いは柿崎和泉守といった越後の猛将に比定する声も上がったが、いまの勝頼は、やはり上杉政虎本人が斬り込んできたものに違いないと確信を以てこたえることが出来た。

 そのときの政虎と同じ立場に置かれたならば、きっと自分も同じように敵本陣へと斬り込むことを選択するだろう。自然とそう思われたからであった。

「馬曳けい!」

 勝頼は決然、床几を蹴って立ち上がった。無論信長本陣に向けて斬り込むためであった。

「馬鹿を仰せでない!」

 その勝頼に向かって山県三郎兵衛尉昌景が大喝した。

「何度寄せても、また誰が寄せても結果は同じでござろう。かかる負けいくさを止め立て出来なかったのは我等譜代宿老の責任。御覧じろ。敵はいまが勝機と見て一斉に陣城から溢れ出ております」

 昌景が指差す先にはその言ったとおり、これまで固く閉じ籠もるばかりだった敵の大軍が、続々と陣城から打って出て、半死半生の甲軍に襲いかかっているところであった。戦死者多数、生き残った者も傷つきくたびれ果てていた甲軍に、もはやこれら多数の敵勢を押し止める力は残されていなかった。

「我等はこの場に踏み止まって、出来るだけ時間を稼ぎますゆえ、御屋形様は疾く引き退かれよ」

「引き退く? 敵勢は嵩にかかって攻め寄せておる。いまが、いまが敵本陣へと斬り込む・・・・・・」

 最後の好機なのだ。

 そう続けようとした勝頼に、昌景は言った。

「まだ分かりませんか! もはや負けは決したのです。しかし幸い、末端の兵卒に至るまで、誰ひとり我等をおいて逃げようという者はおらず、彼等と共に一致団結して防戦に当たれば御屋形様が引き退く時間を十分に稼ぐことは出来ましょう。それでも兵卒の生存は危うく、先に敵陣に向け吶喊し、斃れた者共と合算すれば相当な数の軍役衆が戦死することになりましょう。御屋形様は疾く疾く引き退かれよ。これら戦死した者の跡目相続の願届を聞き届けるという、御屋形様しか果たし得ぬ仕事があるのですぞ!」

 昌景はそうまで言うと、今度は勝頼本人にではなくその旗本衆に対し

「よいな。御屋形様をお連れして一刻も早くこの場を離れよ」

 と言い残し鐙を蹴った。自陣へ帰り敵との一戦を遂げるためであった。

「我等は右翼を支えましょう。その隙に、御屋形様は引き退かれよ」

 馬場美濃守信春も、言葉は短かったが、昌景と同様のことを告げて本陣をあとにした。

「待て馬場美濃守!」

 勝頼は信春を呼び止めたが、信春は聞こえているのかそうではないのかは知らぬ、さっさと本陣を離れてしまった。

 西上野衆小幡父子、原昌胤も大同小異、勝頼の引き留めるのも聞かず、本営をあとにした。皆自陣へ帰り、この困難な防御戦の指揮を執るためと思われた。

 小山田左兵衛尉信茂は勝頼に対して

「譜代家老衆は命を擲ってでも御屋形様をお守りしようとしておるのです。その志を無駄になされますな。それがしは旗本衆とともに御身辺の警固にあたります。疾く疾く、引き退かれよ」

 と退却を勧めた。

 ひとりふたりと本陣をあとにする宿老達。その背中は、このいくさを強行した勝頼に対し、無言で諫言しているように、勝頼には見えたのであった。

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