長篠の戦い(十三)

 重臣土屋右衛門尉昌続相備の鉄炮衆として、草間官兵衛甚大夫父子は懸命に鉄炮を放っていた。いうまでもなく、敵陣に押し詰めようという味方を援護するためであった。当初は互角に撃ち合っているかのように思われていた戦況であったが、いつの間にか両脇を固める弓衆が射殺いころされ、味方鉄砲衆も櫛の歯を引くように数を減じていく。

 それもそのはずで、敵方の鉄炮衆は、甲軍が陣地に乗り入れようとしてこない限り、その鉄炮衆或いは弓衆を狙い撃ちしていたからであった。

 一方織田、徳川の兵はいつまで経っても土塁の奥に引き籠もるばかりで、打って出てこようともしない。敵の鉄炮足軽はその間、安全な場所で弾薬を装塡し、射撃を加えてきた。それに対して我が方は、そういった射撃に身を曝しながら弾薬を装塡しなければならなかった。鉄炮衆を護衛すべき弓衆が、鉄炮衆に先立って全滅したことは先述したとおりだ。

 同じ三匁筒を使用する草間父子は、弾丸を共有していたが、やはり甚大夫の放つ弾は豆鉄炮になりがちであった。

 矢弾の飛び交う中、折角込めた弾が豆鉄炮になってしまうことは、俄然甚大夫を焦らせた。しかし官兵衛とてこの銃撃戦の最中、子を慮って弾を選別する余裕など到底ない。自分が射撃するのが精一杯であった。

「父上、弾をくれ、弾を」

 甚大夫が焦りを隠さず勘兵衛に言った。

 官兵衛は

「尽きたのか」

 と困惑と共に言った。

 官兵衛は、父子の情というよりも、共に脇を固め合う仲間として甚大夫に弾を分けて、はやく射撃に復帰してもらいたかったが、既に自身が保有する弾も底を尽きかけており、その余裕がなかった。

「わしももうさほど弾を持っておらん。やむを得ん。土屋殿に申し出て、御貸おかしの弾を頂いて参れ」

 この時代、軍役は宛がわれた知行に応じて課されるものであった。鉄炮や弓、鑓の数も、それぞれ宛がわれた知行に応じて拠出を求められたのであった。今回、草間父子はその知行に応じて鉄炮二挺、弾丸百発とその分の火薬を持参するよう求められていたが、これを使い果たせば武田家が自費で購入した弾丸を御貸の弾として使用することとなっていた。

 但しこれは戦後、武田家に現物として返却するか、銭として返還するかを求められる代物であった。平たく言えば、自弁で賄う以外の物資は、たとえ武田家の麾下将兵といえども武田家から購入していくさを戦っていたというわけである。

 官兵衛が御貸の弾をもらうことについて

「やむを得ん」

 と、やや渋ったような言い方をしたのは、そういった事情があったからだ。稼ぐために出て来たつもりのいくさで、損が出るような真似は出来るだけしたくないものだ。無論そのことを知る甚大夫は、

「御貸の弾とて豆鉄炮なれば役に立つものではありません。父上は手持ちの弾でなんとか凌がれよ。それがしは打刀うちがたなに持ち替えて戦います」

 と言うと、彼の背後について弾薬を込めていた次郎右衛門に鉄炮を手渡し、

「馬鹿者! 戻れ」

 と咎める官兵衛の言葉も聞かず、打物に持ち替えて鉄炮衆の陣を離れてしまったのであった。

 甚大夫は極端に数を減らしていた土屋右衛門尉の部隊に紛れ込んだ。前後左右の誰も、紛れ込んできた甚大夫が何者であるか、詮索しているいとまなどない様子であった。皆、敵陣から放たれる弾丸を避けるために、泥濘の中を這いつくばってじりじりと前進していた。それに伴い各人の指物は前傾した。

 甚大夫も同じように大地に這いつくばった。着用する頭形兜ずなりかぶとに、何度か衝撃を感じた。敵の弾丸が命中したものと思われた。

「かかれ!」

 味方の物頭と思しき人物の大音声だいおんじょうが聞こえた。頭を上げた甚大夫の耳に入ってきたのは、どんなに多く見積もっても数十人程度の声が寄り集まっただけの寂しい鬨の声であった。人の数も、密集などとは到底言い表すことの出来ない代物で、陣立ては隙間だらけのすかすかであった。

 それでも土屋右衛門尉の一隊は、遂に敵陣の木柵を引き倒すことに成功した。甚大夫以下十何人かは、打物を手に、土塁の向こう側へと乗り入れることに成功した。

 官兵衛にとっては、敵陣に身を乗り入れる甚大夫の背中を見たのが、子の姿を見た最後となった。

 敵陣に乗り入れた甚大夫等が閉口したのは、その敵陣地に乗り入れても、敵方は打物戦を避けてさっさと退き、簡単にその陣地を明け渡したこと、そして引き退いた先の陣地から執拗に鉄炮を撃ちかけてくることであった。

 このために十数人の味方は数人に減じ、そうなってからはじめて敵方は打物戦を仕掛けてきた。無論、甲軍に倍する人数で、である。如何に精強な甲軍とはいえ、数に倍する敵方を打ち倒すというわけにはいかない。甚大夫は、敵陣地に乗り入れはしたが、このように敢えなく討ち取られたのであった。

 そして討ち取られたのは草間甚大夫の如き小身しょうしんの侍だけに止まらなかった。土屋右衛門尉昌続もまた、この攻勢の中で戦死を遂げた。土屋右衛門尉といえば、先代信玄がその生涯の最終盤に近習として取り立てた将であった。さすがに信玄に見込まれその薫陶を受けただけあって、昌続は本戦に勝ち目がないことをあらかじめ知っていたようである。

 敵陣へ乗り入れるに先立ち、周囲の者にこう語ったという。

「それがし御先代が亡くなられた折、追腹おいばら切って殉ずるつもりであったが、春日弾正殿より、御家危急のいくさは近く必ずあるだろうから、その際に死闘することを以て追腹となせ、と訓示されて思い止まったものだ。いまがそのときである。いま死ななければ後で絶対に後悔する」

 昌続はその言葉どおり、敵陣に向けて乗り入れ、信玄に殉ずるように戦死を遂げたのであった。

 同じような光景はそこかしこで見られた。

 甲軍は勝頼の采配に従って、というよりも、自ら好んで前進しているかのように、織田徳川の陣営からは見えたであろう。

 それもそのはずで、このとき既に甲軍全体に、鳶ヶ巣山砦等長篠城包囲陣が破綻したという情報が伝わっていたからであった。設楽ヶ原に展開していた甲軍本体の背後に、突如として有力な敵部隊が出現したのである。退路を断たれた甲軍は目の前の敵主力を撃砕する以外に勝機を見出せなくなっていた。もはや勝頼が前進の采配を振るうまでもなく、前に進むより他に勝ち目がないことを甲軍全体が知っていたのである。それだけに攻勢は熾烈であった。

 甲軍右翼に位置する真田兄弟は、これも土屋右衛門尉と同じく泥濘に身を伏せ、各々指物を前傾させながら敵陣へと突撃を繰り返すこと数度に及んでいた。一度突進するたびに数十名規模の死傷者を出して、密集の陣形を保つことがいよいよ難しくなってきたが、その甲軍にも好機は訪れた。木柵の二重目を引き倒すことに成功したのである。

 土塁からは、またぞろ銃口が多数覗いて火を噴いた。味方の諸衆がばたばたと斃れ、その隙に敵の有力な将と思しき猿面の小男が、自ら縄を手に、柵を結い直している様が、真田信綱の目に飛び込んできた。

 信綱は、

「いまだ、押し進め。あの将を討ち取れ!」

 と号令した。

 頭を下げて必死に前進していた真田衆が、この号令を合図に一斉に頭を上げてこの敵部隊に躍りかかっていった。猿面の将は、敵が自分を目指して一直線に躍りかかってくるのを知ってか知らずか、必死になって柵の縄を結い直している。

 決死の真田衆の鑓の穂先がこの小男に迫ったその刹那、土塁から覗いた銃口は一斉に火を噴き、真田勢の悉くを撃ち倒してしまった。このため猿面の小男は殺されずに済んだ。

 真田の鑓がこの男を刺し貫いておれば、後の歴史は大きく様相を変えたであろう。

 このように、後の歴史を変えようという試みは、この戦場のそこかしこで見られたのであった。

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