長篠の戦い(二)

「二日前のことだ。城西の雁峯山上から狼煙が上がり、それと同時に城中から喚声が上がったということがあった。これは城中から間者かなにかが脱出して狼煙を上げたものに相違ないと考え、立哨の者どもになにか変わったことがなかったか尋ねたが、特段変化はなかったということであった。しかしその間、寒狭川より引きも切らず鳴子の音が聞こえる。わけを聞けば鯉がしょっちゅう引っ掛かって、このように四六時中鳴子が音を立てるのだということであった。間者は鳴子を鳴らしてしまったかも知れぬが、このようであるから立哨の者に油断が生じて取り逃がしたのかも知れぬ。ともかくも間者は再入城を試みるであろうから、それを捕縛するため周辺に真砂を敷き詰めるよう命じ、帰りを待ち受けておった。すると今日になって雁峯山上から再び狼煙が上がったことから、警戒を厳にしていたところ、味方のふりをして竹束を担ぎながら寒狭川に向かって駆け入ろうというこの男を発見したので捕縛連行してきた次第だ」

 逍遙軒信綱は、縄目を受け、敷かれた茣蓙ござに座するほとんど赤裸の侍を指さしながら、勝頼にことの経緯を説明した。侍はただじっとそこに座し、諦念もここに極まれりといった風情をひとり醸している。

「名は何と申す」

 勝頼の聴取に対して侍は

「鳥居強右衛門尉すねえもんのじょう勝商かつあきと申します」

 とこたえた。

「長篠城中の者か」

「左様でございます」

 本当にすっかり諦めてしまったものか、強右衛門尉は包み隠さず長篠城籠城衆のひとりであることをこたえた。勝頼は続けて尋問した。

「どこへ行っていたか」

「岡崎へ、後詰を請うために」

「で、来るのか」

「来ます」

 強右衛門尉は即答した。強右衛門尉を取り囲む勝頼旗本衆や逍遙軒信綱の手の者のうちから、どよめきが起こった。一同に動揺が広がっていく様が感じられた。動揺の伝播を恐れた勝頼は旗本数名と逍遙軒信綱だけを残し、他の者を遠ざけた上で尋問を続けた。

「後詰の将は何者か」

「信長公御本人」

「兵卒の数はいかほどか」

「約十万と聞いております」

 勝頼はそう聞いて、

「見たのか」

 と強右衛門尉に確かめた。

 この時代、噂によって敵方の士気を挫くため、引率する兵数を誇大に喧伝することは当たり前のようにおこなわれる戦術のひとつであった。信玄も、西上作戦にあたり、実数の倍に近い「精鋭五万を引率」などと事前に惑説を流している。

 勝頼は十万と聞いて、まずそのことを考えた。なので強右衛門尉に対し、実際に十万にも及ぶ兵を目にしたのかどうかを聴取したのである。これに対し強右衛門尉は

「見たといえば見ましたが、見てないといえば見ておりません」

 と人を食ったようにこたえる。

「どういうことか。はっきり申せ」

 勝頼は怒気を含むこともなく重ねて問うた。

「一堂に会した人数を見せられて、これが十万の兵だと言われたわけではありませぬゆえ」

「ではなにゆえ十万と分かる」

「信長公に拝謁し、賜った御言葉の中に、畿内近国約十万の兵卒とありましたゆえ」

「それでは、そのほうが目にして十万あると感じたか否か」

「さてそれがし、これまで十万にも及ぶ兵卒など目にしたこともなく、また信長公の御言葉が事実かどうかも俄には・・・・・・」

 強右衛門尉は首を捻りながらこたえた。

 勝頼はこの強右衛門尉の回答に好感を抱いた。身分の貴賤を問わず知らないことをさも知っているかのようにこたえる人間も多いなか、知らないことを恥とせず、また殊更そのことを自嘲することもなく、ただ朴訥に、感じたままをこたえている、と見受けられる様子が、実直そのもののように感じられたのだ。

 勝頼は続けて問うた。

「岡崎の城中にはいかほどの人数がたむろしていたのか。その方の感じたままをこたえればよいのだ」

「五万人は越えておりました」

「なにゆえ五万人と概算したか」

「我が主奥平九八郎信昌が未だ武田の御家にお仕え申していたころ、元亀四年の初春だったと記憶しております。長篠の城外に溢れ返っていたそのときの武田勢が、確か五万と号する大軍であったと記憶しておるからです。岡崎に屯していた信長公後詰のぜいは、そのときの武田より多うございましたので、五万は越えるであろうと申し上げました」

 勝頼はその強右衛門尉のこたえを聞いて感心した。

 なるほど二年前に信玄が西上の軍を起こしたとき、兵数にまつわるそのような惑説を流したのは事実であった。またそのときは奥平定能信昌父子は武田を見限る以前のことで、そのころは武田方に属していたという強右衛門尉の言葉は、勝頼にとっても裏付けの取れる話であった。

 元亀四年(一五七三)三月、強右衛門尉は確かに武田方として、長篠城において一堂に会した甲軍二万七千人を目にしたのだろう。強右衛門尉にとってこのとき目にした二万七千人は、武田家が喧伝した五万人という数字に置き換えられ記憶されているものと解すべきであった。とすれば、十万は眉唾にしても、織田勢が二万七千人以上の人数を揃えているだろうということが、強右衛門尉の言葉から自ずと判断された。

「なるほどな。よう分かった。それにしてもその方、我等を裏切って徳川に靡いたことを、悪びれもせずよう申したものだ」

 勝頼は殊更声にドスを利かせて言った。勝頼の言ったとおりで、奥平父子ほどの大身とは比較にならぬ端武者とはいえ、強右衛門尉もまた奥平父子に随って武田を裏切った身に違いなかった。元亀四年当時には武田方に属していたことなど、勝頼を前に強右衛門尉の立場からすれば出来るだけ言及したくない事実だったに違いない。それを悪びれもせず強右衛門尉自ら口にしたのだ。勝頼が聞き咎めるのも当然である。しかし強右衛門尉に動揺の色はない。

「異なことを仰せです。そのようなこと、隠し立てしたとしても武田の御歴々にとっては周知の事実」

「開き直るでないわ」

 勝頼はそう言ったが声を荒げるという風情でもなく、続けて問うた。

「聞かれたことについて、何故隠し立てしようとしない」

 勝頼が口にした疑問は当然であった。

 強右衛門尉は勝頼の尋問に対して口籠もったり、回答を拒否するということが一切なかった。兵数に関する所感でも過去の具体的な体験を挙げて説明するなど、一見信用できる供述のように感じられはしたが、勝頼にとって疑問だったのは、特段隠し立てすることもなく尋問に対し素直に回答するその心理である。もしかしたら強右衛門尉は嘘を吐いているかもしれない。要するに供述内容の信用性を見極めようとしたわけだ。

 勝頼の質問に対して、強右衛門尉はこのとき初めて少し口籠もった。

「実は、それがしには老母と幼子がひとりおります。幼子は男児です。それがし知行百石にも満たぬ小身ゆえ、母に不自由を強い、子に腹いっぱい飯を食わせてやるということもこれまで出来ませんでした。そのような折にこの長篠城に籠もることなり、老母の孝行を果たすことも子の栄達を目にすることもなく、枯れた万骨のうちの一つに身をやつすのかとひとり密かに嘆いておりましたところ、幸運にも後詰要請の使者に立てられ、城の外に脱出できる機会を得たのです。下手に口を堅くして斬られることを選ぶほど、それがしは愚かではありません。もし、過去のそれがしの過失について御容赦賜るならば敵情包み隠さず言上し、以て手柄とし、お引き立て賜りたい、家を豊かにしたいと思い、斯くの如く正直に申し上げたのです」

 とこたえたあと、途端に顔を真っ赤に染めながら、

「ええい! 斬れッ! もう、お斬りなされッ!」

 と、大声を上げはじめた。

「肉親の情に流されて、主人あるじと仲間を売ったそれがしは侍の風上にも置けぬ卑怯者だ! 自分がつくづく嫌になった! 侍を続ける資格などもうない! 斬ってくれい!」

 強右衛門尉はこれまでの落ち着いて冷静だった様から一転、突如取り乱してわんわんと声を上げながら泣いた。勝頼主従は強右衛門尉のあまりの取り乱しように呆気にとられるばかりである。

「自家の栄耀栄華をこいねがうは人の常。武士たる身分であれば尚更だ。そのように自分を責めるものではない」

 勝頼は嘆く強右衛門尉にそう声を掛けたが、強右衛門尉の取り乱しようはひとかたならず、

「これ以上は尋問にならんな」

 というひと言を残し、逍遙軒信綱の陣所にこの男を留置しておくよう命じて、勝頼はそこを退出した。強右衛門尉からもたらされた情報を元に、軍議を招集するためであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る