長篠の戦い(一)

 医王寺本陣にあって長篠城攻略の指揮をとる勝頼には、ひとつ心配事があった。いくさのことではない。

 出陣に先立って執行した信玄の三回忌法要のとき、導師、副導師に続き信玄位牌を持ちながら葬列を歩いた武王丸たけおうまるが、やまいに伏せっているというのだ。悪心を訴え高熱が続いているという。府第ふてい(躑躅ヶ崎館)からの報せであった。

「法要の疲れが出たのであろう。法印が府第にいる折節、幸いであった。薬を用いるように武王丸に伝えよ」

 勝頼は甲府に板坂法印が滞在していることを指してそのように言った。板坂法印は信玄の西上作戦にも同行し、その最期を看取った医師である。

 それに対して使者は、武王丸が法印の調合する薬が口に合わぬと言って、吐き戻してしまったことを説明した。

「さもありなん。子の口にあの薬は合うまい」

 勝頼は、これまで何度か自身も服用したことのある、法印調合の丸薬の風味を思い出した。そこらへんに自生している雑草を、そのまま口に運んだようなえぐ味が、飲み下すと同時に鼻腔へと抜けた。

 口にすることに対し、かくいう自分ですら逡巡を覚えるような代物を、子に無理強いする言葉を勝頼は持たなかった。

 だが法印が調合する丸薬の効果を知らぬ勝頼でもない。

 服用してしばらくすると身体中が火照り発汗が促された。ひとしきり汗をかいたあとは、咳も発熱も落ち着いていた。

 味は酷いが効果は確かであった。

 勝頼は使者に対し、しばらく待っておくように言うと奥の書斎に引っ込んだ。

 勝頼は自ら筆を取った。武王丸に宛てて手紙をしたためるためであった。判紙はんがみの上に筆を滑らせようとしたそのとき、勝頼は出陣直前に執行した信玄の三回忌法要のことを思い出した。あのとき、がんに手を掛け或いは龕を囲むように葬列を歩いた一門、譜代家老衆のうちの何人かが、「死相」と呼ぶ以外に表現のしようがない相を示していたことを、勝頼は不意に思いだしたのだ。それは旧主の三回忌法要に参列して沈痛な面持ちを示しているなどという性質のものでは断じてなく、また作られた表情などでもなかった。本人の意志では避けようのない宿命を暗示している現象のように、勝頼には思われた。

 導師、副導師に続いて葬列を歩いた武王丸の顔を、そういえば勝頼はそのときに確かめるということをしなかった。葬列を崩してまで位牌を持つ我が子の顔を覗き込むような真似が許される場面では到底なかったからだ。

 勝頼は考えたくもないことを考えざるを得なかった。

 実はあの時、あの葬列を行く武王丸もまた、一部の一門衆や譜代家老衆と同様、死相を呈していたのかもしれない。それは自分が確かめることが出来なかっただけで、武王丸も同じような相を湛えていたのかもしれぬという、その子の親としては耐え難い想念であった。

 勝頼は三回忌法要に参列する誰が死相を湛え、誰が湛えていなかったか、ということを、今ははっきり記憶していなかった。記憶していなかったが、いずれも生前の信玄より薫陶を受け、重用された者たちばかりである、ということは間違いなかった。

 勝頼は思った。

 自分自身が危惧したとおり、あのとき信玄の魂魄こんぱくは府第に迷い出たのかもしれぬ。そして父は、参列者の中の幾人かに自身の冥府への旅路に供奉ぐぶすることを求めたのかもしれなかった。顕れた死相はその兆候だったのかもしれぬ。

「この子は余と、そして信長の血を引いている。名将に育たぬはずがない」

 生前の信玄はそう言って嫡孫武王丸を可愛がったものであった。

 父が重臣のみならず、可愛がっていたその武王丸にまで冥府への供奉を求めているとしたら・・・・・・。

 勝頼は

(馬鹿らしい思い込みだ)

 と考えた。武王丸を可愛がっていた信玄であればこそ、孫を冥府へ道連れにするようなことを決して願うまい。第一、勝頼は武王丸が死相を呈していたかどうかを確かめてはいないのだ。

 思い直した勝頼は手紙を認め、下らない想念を振り払うために時間を要し、随分長く待たせてしまった使者へとこれを託した。


この程は、御訪れも候はず候。機嫌いかが候や。これのみ心もとなふ思い参らせ候。温気のことに候間、油断無く養生尤もに候。幸い法印そこもとに候間、うち置かず薬御用い候べく候。またここほど何方も存分のままに候。長篠も本意程あるまじく候。心安かるべく候。なおこの程機嫌いかがいかが、聞かまほしく候。詳しく返事待ち入り参らせ候。かしく。

返す返す近き頃は機嫌いかが御いり候や、朝夕案じ入り参らせ候。必ず必ず、油断なく薬を用い申し候て、もっともにて候。委しく申したく候へども、取り乱しおおかた成らず候間、草々。


(このところ訪れていないが、ご機嫌は如何か、これだけを心配している。梅雨時期に当たり、蒸し暑い日が続くが、油断無く養生せよ。幸い法印がそちらにいるので、病気を放置せず薬を用いなさい。こちらは何ごとも思いどおりに進んでいる。長篠も間もなく思いどおりになるだろうから、安心していなさい。なおこの程のご機嫌は如何か聞きたい。詳しい返事を待っている。かしく。

繰り返し、近頃のご機嫌は如何か。朝夕案じている。必ず必ず、油断無く薬を用いることが肝心だ。詳しく申したいが、取り乱しているので思うようにならない。草々)


 勝頼は文中繰り返し、薬の服用を武王丸に諭した。それは決して服用を強制するという書き方ではなかったし、他国へとはたらき入り、何ごとも順調に進んでいることを強調して、武王丸に無用の心労をかけまいとする心遣いと子への慈愛に満ちた手紙であった。

 事実、勝頼が医王寺本陣より見下ろす長篠城は遠目にも損壊著しいさまが見て取れ、落城は二三日中といった情勢であった。

(長篠城を落としたことを手柄として、一旦撤兵するか)

 最大の目的である家康の頸を獲ることは出来なかったが、出師既にひと月半、将卒にも疲労が見え始めた頃合ではあった。半ば目的を失いつつあった戦役に区切りをつけるには、武王丸の病気見舞いはかっこうの理由付けになるのではないか、という考えが勝頼の脳裡をよぎった。

 甲斐府中からの使者は勝頼から託された手紙を携え、繋いでいた栗毛の駿馬に跨がり勝頼在所を一散に駆け出た。入れ替わるように具足に身を包んだ旗本衆の一が本陣に駆け込んできて折り敷いた。旗本は言った。

「逍遙軒信綱様より注進。城方の間者を捕縛した由」

 いつもであれば捕縛者に尋問を委ね、その者からの報告を受けるだけの勝頼が、このときばかりは自ら逍遙軒信綱の陣所へ赴き直接尋問する必要を認めた。なぜならば、勝頼に先んじて尋問に当たった逍遙軒信綱によれば、間者は信長の後詰約十万が既に岡崎城に充満し、一両日中にはここへ押し寄せるだろうというようなことを供述している、という報告を併せて受けたからであった。

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