鳥居峠の戦い(二)

 信長は信忠に次いで、先般元服して犬山城主に任じた源三郎信房を安土城に召し出した。甲州征伐への参陣を命じるためであった。

 信長に呼び出された信房は

「甲斐の武田を攻める」

 という信長の言葉に、びくりと全身を反応させた。身体をびくつかせた源三郎の額に、次いで大粒の脂汗が浮かんだ。

「濃尾の諸侍に陣布礼じんぶれすることとなろう。そなたは如何致すか」

 如何致すか、などという聞き方をしてはいるが、信房に選択の自由がないことなど明らかであった。このたびの武田攻めに際して、犬山城主にして庶子としての覚悟を、信長は源三郎信房に求めているのである。

 源三郎信房は、勝頼に常陸下向を命じられた日のことを思い出していた。あの時源三郎は、武田家における処遇に満足し、甲府を離れがたいと思って、旗本近習とまではいかないまでも、先衆として武田家に取り立てて欲しいと泣きながら勝頼に頼み込んだ。そうまでして、なお甲府を離れがたいと思ったのだ。しかし勝頼はその存念は嬉しく思うと陳べただけで、結局は源三郎を常陸へと下向させたのである。

 そこからは急転直下であった。

 佐竹義重によって岐阜へと護送され、自分の意志というものが全くないまま信長の庶子というだけであれよあれよと犬山なる城の主に任じられたのであった。そして今、曾て離れがたいという感情を抱いた甲斐の国主、武田家を討伐する軍勢に加わるよう父に求められている。

(まさかそのような形で帰郷がかなうことになろうとは、思いもよらなかった)

 というのが、源三郎信房の偽らざる本音であった。

 父は、武将としていくさを経験したことがない自分が、如何に武田家に良好な感情を抱いていたとしても、一軍を率いて武田に転ずることなど出来るはずがないと信じ切っているようであった。

 自分が仕える大将が如何なる血筋の者であっても、結局は強い者に靡くのが武士というものであった。戦場における身の振り方も知らぬ初陣の若造が、如何に信長庶子とはいえ武田に寝返るよう采配したとて幾人も従う者があるとは、さすが源三郎信房も信じなかった。

 なので源三郎信房は、

「無論参陣致します」

 とこたえるよりほかになく、そのようにこたえた以上、武田の人々は自分が率いる軍勢にたちまち蹂躙されてしまうであろうことに思いを至らせ心が痛んだのであった。

 出陣に向けた信長の動きは活発にして素早かった。信長は側近の西尾小左衛門尉吉次に黄金五十枚を与えた。これにより甲州征伐の兵糧米二万石を買い入れるためであった。西尾小左衛門尉は大量の兵糧米を買い入れ、信長に言われたとおり、そのうちの八千石を家康の持ち城である三河東条城に搬入し、面会した家康に対して

「上様は遂に、来春早々の武田攻めを御決意なされた」

 と告げた。

 普段から掴み所がなく、親しい家臣以外に素顔を見せることがない家康は、この年の三月に遠州高天神城を蒸し落としてから、いずれ遠からずこの日が来ることを予想してはいたが、殊更驚いたような表情を示し、

「これは! なんとも急なお達し。そうであれば早速出陣を通達しなければ」

 と武田攻めにひとかたならぬ決意を示した。

 すると西尾小左衛門尉は

「上様は、此度の武田攻めにおいて、当方の名のある大将の一人も武田方に討たれ、名をなさしめてはならんとの御諚。そのゆえは、四郎勝頼武勇類稀たぐいまれにして、大いに武名を挙げて諸衆の心を束ねるを得手とする大将。名のある味方の大将を討たれるたびごとに四郎勝頼の武名は挙がり、武田分国の人々は結束して、甲州征伐の目論見が挫かれるは必定。したがって討入うちいりに際しては徒に猪突することなく、禁制は無償で与えるなどして下々しもじもを鎮撫せしめれば、遠からず甲州は自落するであろうとのお達しです」

 と、家康に対して信長の存念を示した。

 禁制とは、寺社や村々が侵攻してきた大名に対して乱妨狼藉を容赦してもらうためのものである。禁制を求める側が礼銭を支払って得るのが通常であった。信長はその禁制を、無償で発給せよというのである。禁制の対価としての礼銭などに依存しなくても財政が成り立っている信長だからこそ、かかる寛大な措置が採り得るというものであった。なるほど重税にあえいでいるという武田分国の人々からすれば、織田家や徳川家が無償で禁制を発給することを歓迎するに違いない。

 家康は、西尾小左衛門尉の言葉を聞いて、軍勢を引率しての途次、沿道の社寺や村の人々が、一切の抵抗を示すことなくひれ伏して自分たちに服属を誓う光景を、眼前に見るようであった。

 このように、家康に対しては武田攻めを事前通知した信長であったが、北条氏政氏直父子に対しては通知をおこなった形跡はない。なぜならば信長は、

「関八州御分国を挙げて服属する」

 という氏政の言葉に表裏があることを見切っていたからだ。

 氏政が依然切り取ってもいない関東八箇国を挙げて服属するなどと言ったことは、信長に対して関東制圧の事前了解を既成事実化する目論見に基づく宣言と受け取られた。しかし氏政に対して関東征服を了承した覚えなど信長にはない。氏政が勝手に関八州御分国を挙げて、などと記したことが、信長の不興を買ったのだ。信長は武田攻めの必要性に迫られたことから北条家と誼を通じはしたが、氏政の目論見どおり縁戚を取り結ぶ気などさらさらなかった。氏政一党など、武田攻めの折に利用し尽くしたあとは捨ててしまうつもりであった。

 己が卑しい心根に基づく要らざるひと言が信長の不興を買ったことも知らず、氏政は信長に申し入れた信長息女と氏直との縁談がなかなか実現しない状況に焦って、願文すらしたためている。信長が本能寺において変事に見舞われなければ、小田原北条氏は上州方面から滝川一益の攻撃にさらされ、滅亡に追い込まれたことだろう。

 このような情勢だったので、氏政氏直父子は、駿豆国境における笠原新六郎の謀叛という新事態に驚き慌て、その手当てに必死だったのであって、まさか信長が来春早々に武田攻めを敢行するなと思いもよらなかったのであった。

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