第2話

 彼の人生が晩年期を迎えたある日、思索の答えにたどり着きました。


 俺は心のどこかで期待しているのではないだろうか。


 映画のエンディングになるとそれまでのつまらなさをすべて帳消しにするような大どんでん返しがあることを。

 

 そんな都合の良い物語を物欲しげな顔で待っているのではないか。


 おそらく映画館から出てしまうと、つまらない映画だったことが確定してしまう。だからつまらない映画でも映画館を出られないのだろう。


 彼はつぶやきました。


「奇跡的なハッピーエンドがあるかもしれないだと。しかしハッピーエンドはどう考えても無理なのだ。


 ハッピーエンドは自分にはふさわしくない。俺はどんな結末でも受け入れるつもりだ」


 彼がいつものように生きることは苦行だといわんばかりの表情を浮かべて映画館を出たところ、突然ある男性に話しかけられました。


「失礼。いつも熱心に映画館に通っていらっしゃるのですね。一度お話してみたいと思っていました。


 もしよろしければ、そこのカフェで少し映画についてお話しませんか」


 男性は身なりがしっかりして、物腰が穏やかな紳士でした。


 彼は気後れしましたが、引き寄せられるように男性に付いて行きました。

 カフェに入ると彼の話が止まらなくなりました。


 踊りのシーンでのカメラワークがいかに雑だったか、途中主人公のセリフで結末が推測できて興ざめしたことなど止まりません。ラストは群舞のシーンで終ればいいのに、最後のセリフが余計だったと吐き捨てると、ようやく彼の話が止まりました。

 

 人と話すことが久しぶりなので、相手の都合を考えずに話しすぎてしまったのです。


 しかし紳士は言いました。


「細部への観察力、物語に対する洞察力、お話の随所に映画についての並々ならぬ造詣の深さが伺えます。あなたは実に優れた見識をお持ちだ」


 彼は我に返り、きまりが悪そうに答えました。


「失礼。子供の頃から映画を見ることしかしてこなかったものでね。もし君がこの映画を悪く言われたことで気分を害したのなら申し訳なく思う」


 彼のかみ合わない受け答えにもかかわらず、男性が彼を賞賛する言葉は更に続きました。


「完璧な映画なんてありません。それだけ映画を見抜く力があれば、映画の欠点も見つかるのでしょう。しかし何よりもあなたの映画に対する熱意はすばらしい」


 それから男性は映画館で彼を見つけると終った後にカフェに誘い、今見たばかりの映画について彼と話すことを楽しみにするようになりました。


 次第に男性の友人や、その評判を聞きつけた人も参加して、いつの間にか映画館を出ると彼は多くの人に囲まれるようになりました。


 こんなことはこれまでの人生でなかったことなので、彼はとまどいました。きつねに化かされているのではないかとすら思ったほどです。


 彼は時間をかけて急激な環境の変化に慣れていきました。


 彼は不器用なだけで、子供の頃は人と話すのが大好きだったのです。普段はゆっくり話す彼が、時にはうれしくなって早口になってしまうほどでした。


 彼はつぶやきました。

「自分が本当にお腹が空いるかどうかなんて、自分でもよく分からないものだ。食べてから初めてお腹が空いていることに気づくこともある」


 彼は彼の周りに集まってきた人々を愛しました。


 彼はつぶやきました。

「映画はどれもつまらないが、映画のまわりにあるものは何もかもすべて愛すべきものばかりだ」


 彼はもう年老いていたけれど、ある女性から求愛され、彼も女性を愛しました。映画ファンの女性だったので、結婚してからは一緒に映画館に通うようになりました。


 彼の人生はモノクロームから急に鮮やかな色彩を放ち始めました。子供の頃から止まっていた物語が再び動き出しました。


 しかしある時から遠くで雷が鳴っている夢を見るようになりました。夢にうなされる日々が続いたある日、彼は死期が迫っていることを悟りました。


 ついにおもしろいと思える映画を見つけられずに人生を終えることになりそうだが、自分の人生の方はなんとかなったな。


 彼は自分に言い聞かせました。

「毎日を楽しく過ごすことができれば、何かを探し続けることもない」

 その瞬間、彼は小石を飲み込んだような気がしました。


若い映画ファンに好きな映画を教えてくださいと聞かれると、彼はいつも決まった答えを返しました。


「お気に入りの映画か、それは一度も会ったことがない友人のようなものだ。まだ出会っていないだけで、きっとどこかにあるんだろう。


 まだ見つかっていないから映画を見続けているのかもしれないな。きっともうすぐ見つかってくれる気がしている」


 いよいよ彼の最後の時が迫り、意識が混濁してきました。呼びかけても返事がありません。呼吸が更に激しくなってきた時、お医者さんは奥さんにお別れの心の準備をするように伝えました。


 すると突然、彼は目が開けました。

 そして普段の穏やかな様子で奥さんに「今何時か」と聞きました。妻は慌てて時間を確認し、彼に伝えました。


 時間を聞くと彼は、とてもうれしそうに微笑んで、こう言いました。


「ああそうか、出掛けなければ。映画がはじまってしまう」


 彼は目を閉じて、そのまま息をひきとりました。

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映画嫌いの男の話 水野たまり @mizunotamari

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