第17話; 韓国人留学生KENとの出会い

 カナダに再渡航して学校に戻った私に、早々に嬉しい報告が舞い込んできた。

「美紅の帰国中に、クラス替えがあったのよ。美紅おめでとう。レベル3に入ったわよ。今日からレベル3に行きなさい」

と、亜子さんが笑顔でレベル3の教科書を私に渡してくれた。

6週間のギャップが不安だったが、幸い、レベル3の午後のクラス担任がアンジーだったので、慣れた先生の教え方で新しいクラスが始まり、すんなりとクラスに溶け込むことが出来た。

アンジーに認めてもらいたくて、私は今まで以上に英語の勉強を頑張り始めた。

休み時間の度にバンクーバーサポート校のオフィスに足を運び、授業中には理解できなかった授業の疑問は、日本語で日本人スタッフに教えてもらえたので、6週間の遅れは直ぐに取り戻すことが出来た。


 私が帰国した翌週の月曜日、この語学学校に新入生が数名入ってきた。そのうちの一人は韓国人男子で、私と同じ年だと言う。彼の名前はKEN(その名は英語名らしい)。背が高くて凄くカッコ良い。NEWSの手越君に似ているかもと思って見とれていると、彼は私の横に座って、「I am Ken. Nice to meet you.」と笑いかけてくれた。

ドキューン! 何このドキドキは? 私は胸に手をあてて、この音が彼に聞こえない様に、体を丸めて心臓の音がおさまるのを待った。

私は、何十回と男に抱かれてきた。初体験の相手は誰だったかさえ覚えていない。

今まで恋をしたこともない。初恋さえまだない。いや、恋をすることなど一生ないと思っていた。

今思えば、KENは私の初恋の人だ。先週来加したばかりで、いきなりレベル3に入れる英語力。きっと頭が良いのだろうと思っていたら、KENは日本語も話せるので驚いた。

「どうして日本語が話せるの?」

と聞くと

「小学校の時、外国語の選択教科で日本語を選んだから、日本語は簡単なことなら話せるよ。あまり上手じゃないけどね。僕の一番の日本語の先生は、日本の漫画だけどね」

と上手に日本語で話してくれる。

凄い、高校1年生で、韓国語、英語、日本語が話せるなんて、カッコ良すぎる。

KENの存在で、「世界を手にするには、英語だけではなく多言語を身につけること」と、私は新たな認識を持つ様になった。


 KENとの出会いを切掛けに、私は英語の勉強に加えて、韓国語とスペイン語の勉強も始めた。だって、クラスメートに韓国人と南米人がいるのだから、この機会を利用して、あと2言語出来る様になろうと決めたのだ。

それに、心療内科のカウス先生が「アスペルガー症候群は知能障害ではない」と言ってくれたんだもの。それならば、私にも出来るはず。

私は前向きだった。いつからだろうか、こんなに前向きな性格になったのはと、ふと気になって考えてみた。その時に、9月にカナダに到着した頃に陽子さんから尋ねられた質問を思いました。

「もしも魔法使いが、君たちがなりたい職業に何でも付かせてくれると言ったら、何になりたいですか?」

と聞かれた。

私は何って答えたのだろう?

そうだ

「お嫁さん! ジューンブライドになりたい」

と答えたのだ。

他の子たちは何って言ったんだっけ?

「確か、自分のお店を持ちたい、グラウンドホステス、学校の先生もいたかな?」

そうすると、陽子さんときたら、

「え~、どうして!!! それ、魔法使い必要なくない? 自分の力で叶えられるじゃない」

と言うものだから、私が

「陽子さんは、魔法使いに何をお願いするんですか?」

と尋ねたら

陽子さんはしばらく考えてから

「何でも叶えてくれるのであれば、武道館を満員にできるアイドル歌手になりたい!」

と言い出すので、みんなで

「え!!! なれるわけないじゃん」

と言い返したら、

「ちょっと待ってよ。私は最初に何て言いましたか? 『もしも魔法使いが、あなたがなりたい職業に何でも付かせてくれると言ったら、何になりたい?』と聞いたのよ。魔法使いが叶えてくれるのですから、自分の力では叶えられないものを言わずにどうするのですか?」

と陽子さんは言ったのだ。

そんな陽子さんの影響なのか、私はカナダに来てから凄く前向きに変わった。

陽子さんの傍にいると、こんな私でも世界を手の中に収められるかもしれないと本気で思えたりするから不思議だ。陽子さん流に言うならば、陽子さんは私にとって魔法使だったのかもしれない。


 今日も、陽子さんに

「私、英語だけではなくて、韓国語とスペイン語も喋れる様になって、世界を手の中に収めてみせます」

とお道化ながら私の新たな目標を話すと、

「美紅なら絶対に出来る!」

とやっぱりウインクをして見せてくれた。

私の再来加以降、陽子さんとのカウンセリングの時間が増えた。陽子さんは、ほぼ毎日私と30分ほど二人だけで話す時間を持ってくれた。

私は陽子さんに今までの体験を正直に全て話してきた。

「友達が何かを尋ねてきたら、それにどう対応したら良いのかなどが分からないのです。頭で考えている間に会話が進んでいくので、結局会話の輪からはずれちゃうというか。一人だけ的外れな返事をしたりしているらしいの」

陽子さんは、

「コミュニケーションに絶対にこれが正しい対応があるとは言い難いけど、私の対応がスタンダード(標準)と考え、どう対応するべきかと思った時には私に話してちょうだい。そして、私の答えがスタンダードと考え、その様に対応してみましょう」

と話し合い、暫くは一緒にやってみることを提案してくれた。

些細なことでも陽子さんに相談して、陽子さんが私ならこうすると言う、スタンダードを身に付ける練習を始め、少しずつだが身に付ける方法を覚え始めた。

私にとって幸いなことは、カナダでの会話は英語なので、一番多く接する留学生たちとホストファミリーの会話が英語のお陰で、自身の英会話力のなさから「変わった子」が表面化しないことが私の身方となり、今まで生きてきて初めて学校に通うことが猛烈に楽しかった。

今の私は無遅刻無欠席で登校している。12月に一時帰国する前に、私は語学学校から「皆勤賞の賞状とスカラシップ(奨学金)をもらった。奨学金は1ケ月分の学費無料券だった。このスカラシップという目に見える証をパパとママとカウス先生に見せることが出来たことも、私がここにもう一度帰る後押しになったことは事実だろう。


 今の私にとって、学校に行く何よりの楽しみは、クラスにKENがいることだった。アスペルガー症候群だと悟った私は、KENだけには変な子と思われたくなくて、間違った方法を選択しない様に陽子さんにもアンジーにも、KENとどうしたら仲良くなれるのか相談した。

そんなことからか、陽子さんとアンジーはいつも私を応援してくれた。いつの間にか、誰もが私がKENのことを好きということを知られる様になり、KENも気づいてくれていたのかもしれない。

スクールトリップ(遠足)に行く時は、周りのみんなが気を使ってくれて、バスの席はいつもKENの隣に座ることが出来た。

遠足の前日には、KENのためのお弁当作りをホストママが一緒に手伝ってくれた。私が作ったのだから、サンドイッチではなく、おにぎりに卵焼き、タコさんウィンナーが入った和風弁当だ。手伝ってくれているホストママのはずが、途中で味見係に変わってしまったが、日本でママと一緒にお弁当を作ったことなど一度もなかったので、いつか日本でもママと一緒にお台所でお料理をして、色々な料理が出来る様になりたいと考える様になった。そして、しゃぼん玉を吹く時の様に、私には抱えきらないほどに、やってみたい夢があふれ出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る