第13話; 私のクラスはレベル2
「ここは、バンクーバーダウンタウンの中心地です。今日は電車の乗り方の指導なので観光はしませんが、学生ビザを取得して来加した生徒さんは、カナダで銀行口座の開設が出来るから、TD Canada Trust Bank で銀行口座の開設をしてもらいます。TD Canada Trust Bankのバンクーバー支店には、日本語サービスセンターがあるので、日本人の職員が日本語で君たちの口座開設のお手伝いをしてくれます。ですので、私の通訳は不要ですから、口座開設が整うまで、口座を開けない生徒は私と一緒にダウンタウンを散策しましょう」
と亜子さんは説明した。
私は、学生ビザを所持している。もう2人学生ビザを所持している生徒が銀行に残り、亜子さんは7名の生徒を連れて、銀行から出て行った。
バンクーバーダウンタウンの中心地という場所に高層ビルがあり、ビルの名は銀行の名前が入ったTD Tower 。TD Towerの高層階の1フロアが日本語サービスセンターになっていて、日本人のスタッフが沢山勤務している。彼らは、完璧なバイリンガルで、きびきびと働いている姿はかなりカッコ良い。
この人たちを目にした私は「これが、陽子さんが言っていた、英語さえできれば、世界は君たちの手の中に収めた様なものです」、ということなのだと思えた。
後で知ったことだが、TD Canada Trust Bankはカナダのメガバンクの1つだそうだ。
カナダに来て、登校初日にここで働く日本人スタッフを見たことは私に大きな刺激を与えてくれた。私もいつの日か、この人たちの様に、世界を相手にバリバリと働いてみたいと思えた。
そんなことを私がリサに言ったら、リサは何て言うだろうか。
バンクーバーダウンタウンの中心地に立って青い空を仰いでみたら、ふとそんなことが頭をよぎった。
翌日の火曜日に登校すると、各教室の前に新入生の名前が貼り出されていた。
昨日の英語力試験の結果で、自分に合ったレベルのクラスが決まり、自分の名前が見つかったクラスが自分のクラスになるというわけだ。
レベル1のクラスのドアから私の名前を探してみた。名前は見つからない。
ほっとした。
次にレベル2のクラスのドアに移ると、もう私の名前が見つかってしまった。
正直言うと、ショックだった。私は留学申込の手続きをしてから9月の出発日までの3ケ月間、英会話スクールにも通ったのだ。私なりに勉強をしてきたのに、結果はレベル2。
私がカナダで入学した語学学校には、英語を学ぶESL(English as a Second Language)のクラスが大きく3つのグループ(①成人/アダルトグループ、②中学生・高校生/ジュニアグループ、③小学生/キッズグループ)に分かれている。それぞれのグループにはビギナー(初級)からアドバンス(上級)までレベル分けになっている。
ジュニアグループはレベル1から4までに分かれていて、私の名前を見つけた教室のレベルは2だった。つまり下から2番目のクラスだ。
目の前を陽子さんが通ったので、
「私、レベル2でした」
と悔しそうに伝えると、陽子さんは
「すごいじゃない。美紅とノブだけよ。レベル2に入れたのは。他の8名はレベル1だから。2ケ月に1回、クラス替えがあるから、悔しかったら2ケ月後にレベル3に入ってみせなさい」
と言ってくれた。
それで少し気を取り直して、レベルの2の教室に入ったら、既に数名の生徒たちが席についている。私はどこに座れば良いのかしらと戸惑っていたら、メキシコ系の女の子が
「You can sit anywhere.」
と話しかけてくれた。
私は心の中で彼女の言った言葉を復唱してみた。ユーキャンシットエニウエアー、あー「どこに座っても良いのよ」と教えてくれたのだ。私は教えてもらった通りに空いたところに座ったところで、ノブがクラスに入ってきた。一瞬目が合い「お前がこのクラスに入ってこられたのか」的な顔をされた。
9時になり先生が教室に入ってきた。先生の名前はアンジェラ。
確か陽子さんが言っていた
「カナダでは先生のことを先生と呼ばずに、ファーストネーム(名前)で呼ぶのだ」
と。
先生のことはアンジェラと呼べば良いのね、と思っていると、クラスメートの外国人生徒たちが先生をアンジーと呼んでいる。なるほど、アンジェラだからアンジーって呼べば良いのか。アンジェリーナ・ジョリーみたいでカッコ良いな、そんなことぐらいで私はワクワクが止まらなかった。
アンジーは、今日入ってきた4人の新入生に「自己紹介をしてちょうだい」
と言い、
「まずは、あなたから」
と私を指さした。
私は日本で3ケ月間通った英会話スクールで自己紹介は何回も練習した。不登校だった私が英会話スクールのレッスンは1日も欠席せずに行けたのは、この日のためだ。
「I am Miku. I am in grade10. I’m from Japan. Nice to meet you. ]
My name is Miku Tanaka.と言わないところがカッコ良いと自分では思っている。
次はノブが自己紹介をする。彼もまあまあ頑張って自己紹介している。
もう一人日本人の生徒が今日から入学している。彼女は、私の高校から来た生徒ではなく、他の通信制高校から来た高校生だと、休み時間に陽子さんに尋ねたら教えてくれた。
彼女の自己紹介の順番は最後だったが、自己紹介をしたところでなぜか周りがざわめきだした。彼女はこう言ったのだ。
「My name is Terumi Ono. I am from Japan.」
私には、なぜみんながざわついているのか分からなかったが、先生が黒板に彼女の名前のスペルを書き、こう説明してくれたので、やっとみんながざわついた理由が分かった。
先生のアンジーは黒板に
Her name is Terumi Ono. Not, tell me Oh No!
と書いたのだ。
なるほど、彼女の名前は小野照美(おの てるみ)さん。英語になおすと、確かにTell me Oh No! テルミーオーノーに聞こえる。
見た目がとても大人しそうな小野照美さんは、みんなの失笑の中、顔を真っ赤にして小さくなってしまっている。
照美さんの親は、子供に名前を付ける時に考えなかったのだろうか? 我が子が将来、外国で自分の名前を言うことで失笑されてしまうことを。
アンジーは、小野照美さんに
「Tで始まる名前ね、Tracy トレイシーなんてニックネーム、あなたのイメージにぴったりだと思うわ」
と言って、小野照美さんにトレイシーという可愛いあだ名が付けられた。
正直、私はトレイシーが羨ましかった。
私も英語のニックネームを付けて欲しいと思ったが、陽子さんが、
「美紅、う~んミクロ(非常に小さい)みたいでちょっと変わった名前だけれど、呼びやすくて良い名前じゃない」
なんて言ってくれたので、ミクロ(Micro)を辞書を引いてみると、私の名前ってイケていない名前なんだと思ったけれど、クラスメートの皆がミクと毎日呼び掛けてくれるので、私は田中美紅でいいんだと思える様になった。
陽子さんは、カナダへ留学するまで、陽子という平凡な名前が大嫌いだったそうだ。
「でも北米に渡り、My name is Yoko と自己紹介するだけで、日本から来ましたと言う前に、名前から国籍は日本人だと理解してもらえるし、二度名前を聞き直されたこともないので、今では気に入っているわ。これも偉大なジョンレノンの奥さんオノヨーコさんのお陰だわ」
と笑っていた。
今気がついたが、オノヨーコさんもMy Name is Oh Noさんではないか。オノヨーコさんも、最初は英語で名前を自己紹介する時に抵抗があったのだろうか? 友達に失笑されたりしたのだろうか? オノヨーコさんくらい、有名人になれば、小野照美さんだって、決して失笑されることはないのだろう。
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