第三章 雨上がり彼女と僕

第一話 時の揺り籠

雨の日に拾った女は、

気まぐれで、無邪気な子どもみたい。

いつも振りまわすけれど、僕の愛しい女。

 

――あれから、三ヶ月が経った。

彼女から連絡がない。あの日、海に結婚指輪を放り投げて、どこへ行ったのか分からない。タイミングよく来たバスに乗って、あのまま帰ってしまったのだろうか?

その後、彼女を捜して海辺を歩き回り、一時間遅れでバス乗り最寄の駅に着いた。もしかしたらここで待っているかもしれないとホームも捜したが、ここでも見つからなかった。

『 さよなら 』も言わないで突然消えた、住所も携帯番号も名前すら知らない彼女を探すすべが僕にはない。

ひとつだけ分かるとすれば年齢くらい、いつだったか古いテレビドラマの話をしたことがあった、彼女はその番組を高校一年の時に観ていたと言っていたが、その頃、僕は中学二年か、三年だった。

おそらく僕より一つか、二つ年上だろうか。

そして街に帰ってからも、彼女が夫と買い物に来ていたショッピングモールに行ったり、偶然、会った『 猫公園 』に行ってみたりして、出会えそうな場所をいちいち捜してみたが……彼女は見つからない。


毎日、僕は彼女のことを考えていた。

どうしてあの時、苦しんでいる彼女に手を差し伸べてやらなかったんだろう。『 寂しい 』と呟いた彼女の心の叫びを黙殺してしまった――。

「僕がいるじゃないか」そう言ってあげたら、彼女は消えなかったのかな?

きっと今も、彼女は空白の自分を埋めるために苦しみながら彷徨っているんだ。僕の優しさで少しでも彼女の孤独を癒してあげれば良かった。

深く後悔して、柄にもなく僕はそんな風に考えたりしている。


結局、僕は薄情な人間にほかならない。



  【 闇の音 】


硝子窓の向こう側

暗闇の中で

蜉蝣の透明な翅が

月の雫のように光っている


―― ヤミガコワイ……


呟き声がした

わずかな物音まで

深い闇に吸い込まれていく


一枚の硝子に仕切られた

闇と光 陰と陽 死と生

見えない掌が掴もうとしている


禍々しい魔物

闇があなたを連れて行かないように

わたしは窓辺に立って

拒絶の背中で楯をつくり

闇からあなたを守っている



硝子窓の向こう側

大きな蛾が

幾度も硝子に打つかって

白い燐粉を撒き散らす


―― コドクガツライ……


あなたの溜息に

痺れるように瞼を閉じれば

未完成な魂が震えだす


一枚の硝子に仕切られた

喜と悲 幸と不幸 希望と絶望

連なり合った対極


深い闇の中で

あなたの指がそっと頬に触れた

覚悟を決めた人生があるのです

ふたり抱き合って

闇の音を聴いている



キティのストラップが揺れている。

まさかこんなものを携帯に付けることになるとは思ってもみなかったが、彼女がくれたものを身に付けていると、今でもふたりが繋がっているようで安心する。

いったいどうしたんだ? こんな人間じゃなかったはずなのに……。『 本気で愛せない 』この僕がひとりの女に執着しているなんて!?

もしかして彼女がくれたストラップには呪いがかけられていたのか? あれから彼女の幻影に悩まされて、狂おしく頭から離れない。


――そうか、やっと呪いの正体が分かった! 

僕がずっと信じられなかった『 愛 』という狂気だ。



  【 私ノ中の、不協和音。 】


ギィー、ギィーー。

ヘンな音ガするよ!

“頭の中” デ鳴ってヰル

壊れたヴァイオリンみたい。


可哀想な私

弦ノ切れたヴァイオリン

ヲ、捨てらレなくテ……

今日モ、かき鳴らス。



彼女を見失ったせいで、僕自身を見失いそうになっている。

もう二度と逢えないかもしれない、そう考えただけで怖い。今までは傷つくのが怖くて、恋愛に深入りするのをいつもセーブしていた。なるべく執着しないように、愛を求められても素知らぬ振りをして、わざと冷たくあしらっていた。

そんな態度に失望したのかもしれない、僕に愛されていないと思って……彼女から遠ざかっていってしまった。


違う! 違う! 違うんだ!

僕は最初に逢ったあの日から――彼女が好きだった。

決して美人ではないが嫌いなタイプだったら「部屋に来ないか」なんて、不躾なことを言ったりしない――。

降り止まない雨を見上げる彼女の孤独な瞳に魅せられていた。

たぶん、あの時から僕も彼女を選んでいたのだ。今さら気づくなんて……失ってからではもう遅い。


うまくいかなかった過去の恋愛を相手のせいだと思っている限り、僕は一歩も前へ進めない。過去の女をオーバーラップさせてはいけない。

――彼女は彼女だ。

今の自分にとって、かけがいのない存在なんだ!

どこへ行ってしまったんだろう? 逢いたい、今すぐ逢いたい。


彼女の存在が僕の心を侵食していく――。



  【 時の揺り籠 】


きのうは頭痛だった 

今朝は起きてから 

何も手につかない


携帯が鳴るたびに 

あなたかと思って 

胸がドキドキして 

メール開いて落胆する


あぁ辛い 

こんな苦しいのはもうイヤだ

薬が切れた 

ドラック患者みたい……


どうして『 嫌いになった 』って 

言ってくれなかったの?

『 君の幸せ祈っている 』なんて 

別れ言葉に言われたら……


いつまでたっても 

未練が絶てないじゃないの

最後まで優しいあなたは 

最後まで罪な人よ


憎むことも出来ない 

諦めることも出来ない

宙ぶらりんの心のままで 

どうすれば忘れられるの?


時が鍵だと言うのなら 

時が流れゆくままに

揺り籠のように 

優しく眠らせてくれればいい


悲しみに胸が震える 

寂しさに骨が軋む 

そんな自分を抱きしめて 

時の揺り籠で眠ろう

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