第十一話 透光の海

湾岸道路を走るバス。僕らを乗せたバスはいつの間にか海の側を走っていた、●●海岸と書かれたバス停にふたりは降りた。

目の前に広がる大海原から磯の香り、そして潮風が頬を撫でていく。水平線を境に空の青、海の青と、それぞれ鮮やかな二色の青が目に飛び込んでくる。

イラストレーターの僕は『 コトバ 』よりも『 色 』に反応する。

その中でも『 青 』は僕にとって一番好きな色だ。この美しい青を彼女と一緒に見られたことがまるで運命だったように思える。

「わたし、あなたのイラストの青い色が好き」

「青は一番好きな色だから」

「青は自由の色、解放の色、浄化の色、海の青も空の青も大好き。心がスーと透きとおっていくよう」

すっかり彼女は詩人モードに入ってしまった。



  【 人魚 】


ひとりぼっちの人魚は 

孤独な海を泳いでいる

誰の声も聴こえない 

きれいな歌も聴こえない

暗くて冷たい海を 

ひとりで人魚は泳いでいく


優しくされたって 

誰にも捕まらないわ

その腕から 

スルリと抜けて

ふたたび 

人魚は孤独な海に戻っていく


      ― ひとりが孤独じゃないの

        信じられるモノがないことが孤独なんだ ―


南の海を目指して 

人魚はひたすら泳ぎ続ける

ひれが傷ついても 

うろこが剥がれても

決して涙を流さない 

南の海に憧れているから


コバルトブルーの海に 

大きな愛があると信じて

いつか 

深い愛に抱かれる日を夢見ている

信じるモノを求めて 

人魚はひとり泳ぎ続ける



白い砂浜を歩いて、僕らは海に近づいて行った。

秋が深まって、吹きっ晒しの海岸の風は冷たい、薄手のコートしか羽織っていない彼女は少し寒そうだ。

「寒くない?」

「大丈夫、海に触れたいの。この手で海に触ってみたい」

「そうかい」

たぶん詩人の『 心の触角 』が、それを欲しているのだろう。

ヒールの踵が砂に埋まって歩き難そうな彼女の手を取ってやると、「ありがとう」まるで少女のような初々しい声で礼をいう。彼女の持つ多面性の人格がふいに僕を困惑させる。

一緒にいると楽しい、けれど……長くいると疲れる女、それが彼女だ。


波打ち際の砂浜にしゃがみ込んで、寄せ来る波に手を入れて海に触れている。

波しぶきで服や靴が濡れるのも、お構いなしに、まるで彼女は海と語り合うように、じっと波と戯れていた。

「濡れるよ。もう行こう」

寒さに堪え切れず声をかけると、

「わたしは誰からも受け入れられていない」

「えっ?」

「寂しくて……寂しくて……」

気がつけば彼女は泣いていた。

なにを感傷的になっているんだ? せっかく、ふたりで楽しい旅行が出来たというのに……。

「どうしたのさ、急にそんなことを……?」

「いつも愛されたいと願っているのに、ただ触れるだけで、誰も抱きしめてはくれない」

「そんなことは、僕が……」

そこまで言いかけて……、僕は言葉を呑み込んだ。

寂しいって――。


   〔寂しい〕 という感情は 人によく間違いを起こさせる

       〔寂しい〕 ので 人を好きになったり

   〔寂しい〕 とき 人に優しくされたら 好きだと勘違いしたり

       〔寂しい〕 という感情は まことに厄介である

   〔寂しい〕 から 幾つかの恋が生まれ そして消えていく

       〔寂しい〕 とは 自分を見失う 心の迷路かもしれない


「――僕がいるじゃないか」そう言おうとして沈黙した。

たぶん、僕は彼女に触れるだけで抱しめてはいないのだろう。『 寂しい 』という彼女は、夫からも恋人からも心まで抱きしめて貰えない、その寂しさだったのかな……?

いつか、自分は愛が欠乏している人間だといったことがある。幼い頃に親に要らない子と言われたことがトラウマになって、自分の存在価値を見出せないまま大人になった彼女は、充たされない心の隙間を埋めるために、いつも愛を渇望していた。

彼女の思考はシンプルだ。愛してくれる人を愛し、愛してくれない人は愛せない。

詩人は言葉の本質を見抜く、だから見せかけの愛なんかいらない……と、彼女は言いたいのかもしれない。


「ひとりぼっちは寂しい……ふたりでいたって寂しいなら……」

「…………」

「わたしは自由が欲しい」

「自由?」

「もう決めたの!」

「なにをする気なんだよ」

急に彼女が立ち上がって、

「こんなものでわたしを縛れないわ!」

そう叫ぶと、まるで紙飛行機を飛ばすように結婚指輪を海に向かって放り投げた。

一瞬のことに驚いて止めることも出来なかった。そして彼女は「誰にも依存しないで生きていけるように頑張る」そう言い残すと、踵を返し足早に去っていった。


あの時、茫然として……放り投げた結婚指輪の方向を僕は見ていた。

きれいな放物線を描いて波間に消えていった結婚生活のシンボル、何度も波に洗われ、砂に埋もれてもう探し出せない。指輪を捨ててしまった彼女はもう後戻り出来ないだろう、いったいどうするつもりなんだ?

僕には彼女の行動の意味が理解できない。

「ねぇ……」

僕が振り返って、声をかけようとしたら……彼女の姿はそこにはなく、どこにも見えなくなっていた。

突然、泡のように僕の前から消えてしまった――。



  【 無人島 】


無人島 あったらいいな 

無人島 行けたらいいな

小さい頃から 憧れてた無人島 

あなたとふたり探しにいこうか


ある朝 目が覚めたら 

小さな島に流されていた

青い海 白い珊瑚礁 

ここは南の孤島


あなたとふたり 

今日から無人島暮らし

ここはふたりだけの楽園 

誰にも邪魔されないわ


朝日とともに起きて 

甘いトロピカルフルーツで喉を潤すの

白い珊瑚礁の海で 

きれいな魚たちと戯れて


満天の星空の下 

波の音を聴きながら 

愛をたしかめ合おう

ここはふたりの楽園 

アダムとイヴになろうよ


無人島 何処にあるんだろう 

無人島 見えないけれど


大人になった今も 

わたしの無人島 

心のどこかで探してる

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