第九話 ムーンライトイリュージョン

部屋に帰ったら、別室に食事の用意がしてあると言われた。「こちらへ」と仲居さんに案内されて、風呂上りの紅潮した頬の僕らは別室へと足を運ぶ。やはり泊り客は僕らの他にはいないようで二人分の膳が設えてあった。

料理の説明をしながら、仲居さんが膳の給仕をしてくれようとしていたが……「自分たちでやりますから」と断って、料理を運んでから下がって貰った。

何となく事情を察した仲居さんは「そうですか、ではごゆっくり」と愛想よくいい、最後ににやりと笑ってから襖を閉めた。

「僕らって、訳ありに見えるのかなぁー?」

「うふふ」

「腹減ったなぁー」

「うん、食べよう」

元気よく「いただきまーす」と言う、浴衣姿の彼女はすっかり旅人の顔になって、次々と箸をつけながら料理の感想を述べて、僕は「うんうん」と頷きながら料理を平らげていく――。

鮎の塩焼きに山菜の天ぷら、根菜の炊き合わせ、茶わん蒸し、お澄まし、珍しい紅葉もみじ(鹿肉)のソテー、朴葉味噌、質素だが山の幸をふんだんに使った会席料理だ。

彼女はしゃべるばかりでそれほど食べない、小鳥みたいに少しづつ啄んでいる。


食べ終わって、僕らの部屋に帰ると真ん中に寝具が敷いてあった。

なんだか……妙な気分になる。彼女にはずいぶん『 オアズケ 』されていたものだから……。

彼女は少し隙間を開けて並べて敷いてある、ふた組の布団をぴったりと引っ付けて、

「ひと組しか要らないけど……ね」

艶っぽい目で笑った。

「朝まで寝かせないよ」

気障なジゴロみたいに僕も応えた。

ふたりは布団の上で、お互いの浴衣を脱がせながら、舌を絡ませキスをした。ふたりの素肌が触れ合っていく……。


   触れる 触れる

   あなたに触れる


   頬に触れる 唇に触れる

   唇が触れた 愛が震える


   離したくないもの

   ぎゅっと強く抱きしめる


   あなたの温もり

   この肌に閉じ込める


――月が僕らを見ている。

薄雲で覆われてベールを被ったような月が、鈍い光を放ちながら天上から見下ろしていた。まるで御簾の内の姫君のように、その美しい姿を易々(やすやす)とは見せてはくれない。

夜の雫に濡れた彼女を僕は貪り抱いた、幾度も高みへと昇りつめ切ないため息で果てる。彼女の白い肌を両の腕(かいな)で抱しめて、その細い首を強く吸って僕のしるしをつけようか、『 永遠に僕のモノ 』になるように……。

重なり合ったふたりの吐息が、夜の静寂(しじま)に溶けていく。



  【 ムーンライトイリュージョン 】


今宵の月は 

雲に霞んで見えませぬ

ムーンライトイリュージョン  

月の光に幻惑されて

浮かんでは消える 

愛しい人の面影よ


嗚呼 今宵こそは 

ほうき星の舟に乗って

天の川まで 

あなたを捜しに参ります

星影に隠れて 

姿をみせぬ悪戯な人を……


きっと その冷たい手を 

捕まえてみせましょう

ムーンライトイリュージョン 

月の光は幻想へ誘う

美しき月は魔物 

わたしの心を惑わせる



寝乱れた布団の中で、僕に身体を絡ませて眠る彼女の肢体のあちこちに赤紫の班がある。強く吸って付けた『 愛の印 』だ。これほどの激情で女を抱いたのは初めてだった。

男として彼女の肉体に執着しているのだろうか。だが、冷静になってみるとこれはヤバイ。

彼女は人妻で僕のものではないのだから――。

「ごめん……」

彼女の鎖骨のあたりにキスマークがついてる。

「なぁに?」

僕の腕枕で眠っていた彼女が気だるい声で目覚めた。

「キスマークつけちゃった。旦那に見つかったらヤバイだろ?」

「ううん、大丈夫。旦那の前で裸にならないから……」

「……えっ?」

「わたしたちセックスしてないもん」

「旦那とやらないの?」

「もうずっとやってない」

「……どうして?」

「愛のないセックスはしない」

愛のないセックスって……愛なんか信じてない、この僕とはセックスしてるくせに? と、訊こうとしたら、すぅーと気持ち良さそうな彼女の寝息が聴こえてきた。

この僕で満足してくれてるのなら、それ以上訊く必要もないと、彼女の寝息を子守歌にして僕も眠ってしまった。

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