第二章 憂鬱な彼女と僕
第一話 愛の言霊
雨の日に女をひとり拾った。
若くもない、取り立てて美人ではないが
心映えの美しい、そんな女だから。
彼女は雨の日になると、時々アパートにやって来て『 僕の女 』になってくれる。
いつも小型のパソコンを持ち歩き、白いUSBメモリには魂が封じ籠められているという、そんな彼女は自称詩人である。
その彼女が来なくなって、たぶんひと月は経つだろうか?
退屈だが平凡な日常を繰り返している――僕。
一週間ほど前になるが、彼女を見かけた。
僕らの住む町にある大型ショッピングモール内のスーパーマーケット、彼女はショッピングカートを押して、たぶん夫とおぼしき人物と買い物をしていた。
ふたりはおしゃべりしながら、次々と食材をカートに放り込んでいく。どこにでもいるような平凡な夫婦の買い物風景だった。
偶然、見かけた僕だったが……彼女の夫婦仲睦ましい姿を見ても、その夫(後ろ姿しか知らない)に対して、嫉妬心とか湧かない。彼女を独占したいとか、そういう気持ちはあまりないからだ。
ただ、僕のアパート以外での彼女の
その日は雨ではないけれど、久しぶりに彼女が僕のアパートを訪れた。
トントントン……と、遠慮がちにノックする音がして、開けてみたら彼女が立っていた。
薄手のジャケットとジーンズの彼女は、ふらりと近所へ買い物に行くような普段着姿だった。
「久しぶり」
「うん、元気だった?」
久しぶりに見た彼女は、恥ずかしそうに薄く笑った。
「あがんなよ」
「うん……」
少し緊張した面持ちで、彼女は部屋に上がってきた。
思えば……あの日の夕暮れ、携帯の呼び出しで急いで帰っていった以来だった。
――もうずいぶんと昔のような気がしてならない。
キッチンテーブルの椅子に彼女が座り、僕はインスタントコーヒーを淹れてやる。
猫舌の彼女のために牛乳で薄めた生温いコーヒーだが、それを美味しそうにひと口飲んで、
「長いこと来られなくて、ごめんね」
と、僕に詫びた。
「いいよ」
僕らはお互いを縛る関係ではないんだから。
「鬱で外出できなかったから……」
えっ、今、彼女が嘘をついた?
先日、スーパーで旦那と仲睦まじく買い物していたじゃないか? 僕は喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。
彼女には彼女の事情があるのだろう。それを無理してまで逢いに来てくれとは言えないし、そんな権利は僕にはない。
ただ、そんな底の浅い嘘をつかれたことに対して、少しばかりプライドが傷ついたことも確かだ。
それ以上の会話の虚しさに……僕は彼女を引きよせキスをした。彼女も舌を絡ませて僕のキスに応えてくれる。
男と女は言葉を使わなくてもコミュニーケーションする術(すべ)があるから――。
【 白夜 】
恋人よ
その唇に
甘き吐息を重ねよう
永遠の時は
数えられないけど
砂時計は刹那を刻む
明けない夜
ふたり魚になって
白い川を泳いでいく
愛染の
罪は深まりつつ
快楽は心を失くす
もう何処にも
逃げ場などない
針一本の隙間さえない
白い夜
ふたり重なり合って
波に揺られ溶けていく
「逢いたかった……」
小さな声で彼女が呟いた。
彼女の中に果てて、繋がったまま覆いかぶさって、ぐったりしている僕の耳元で……。
もしも、それが本心から出た言葉ならば、涙がでるほど嬉しいと思った。彼女が僕をどう思っているのかなんて、今まで真剣に考えたこともなかったが……。
彼女の「逢いたかった……」そのひと言で、実は自分も逢いたかったのだと思い知らされた。
ただセックスの関係だけではなく、肌が触れ合う温かさ、優しさ、愛おしさ――この時を僕だって渇望していたのだ。
「逢いたかった……」それは彼女が放った愛の言霊だった。
【 愛の言霊 】
沈みゆく夕陽の
叫びにも似た紅緋色
世界を燃やし尽くすように染めていく
心の渇望は際限なく
乾いた土が水を欲しがるように
あなたの言葉に耳を傾ける
わたしの葛藤は……
ざわめく言霊たちが交差する
未完成な箱庭の中にあって
小さな隙間には
希望が封じ込められている
あなたの差し出すパレットには
様々な色が塗り込まれていて
わたしの心に触れて
また新しい色に変わる
言霊はわたしの躯を廻り
群青の空へと解き放つ
紅緋色の胸『 愛の言霊 』を抱く巫女
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