第八話 傷つけあう心

朝、目が覚めると部屋の中に生活感のある匂いが漂っていた、僕の部屋なのに……。

「おはよう」

明るい声で彼女が挨拶をする。

「……おはよう」

なんだか照れる、この光景がまるでデジャヴみたい。記憶のひだが揺れた。

キッチンのテーブルの上に、ハムエッグとみそ汁と白いご飯が二人分並んでいる。

「朝ご飯作ったよ、食べよう」

「うん……」

朝はあまり食欲がないのだが、せっかく作ってくれたので一緒に食べることに。

彼女はフライパンが古くてテフロン加工がとれてて目玉焼きが張り付いて黄身が壊れたとか、わかめとお揚げのみそ汁がシンプルで好きだとか……そんな取り留めのないことをひとりでしゃべっている。

ごく普通のありふれた朝の情景、ずっと以前に僕が手放してしまった生活がそこにあった。

ひとり暮らしの気ままさに慣れて……なんだか違和感を覚える。

だけど……そこには懐かしさもある。


「美味しい?」

「うん……」

「ご飯お代わりあるよ、いっぱい食べて」

「もう、いいよ」

「じゃあ、残ったご飯はおにぎりにしておこうか?」

「あぁ……」

彼女がずっと昔から一緒に暮らしているみたいで不思議な感覚だ。

ひとり暮らしの方が気楽でいいと思っていた。ずっと、そう自分に言い聞かせて僕は満足していたのに……せっかく忘れかけていたことを蒸し返されて嫌な気分になった。

そんなことで動揺している自分が惨めにみえる。


「前に誰かと暮らしてたの? お揃いのマグカップあったから……」

食後のコーヒーをテーブルに置きながら、こともなげに彼女が訊く。

「…………」

「あらっ、悪いこと訊いちゃった?」

「別に構わないさ……」

あんなものを捨てずに取っておいた自分の迂闊さを恥じた。

「ねぇ、朝ご飯、美味しかった?」

そんなことをわざわざ聞く彼女に、女特有の厭らしさを感じて僕はわけもなく腹が立った。

「君の日常を僕の部屋に持ち込まないでくれよ」

「えっ?」

「飯を作ってやれば、男は誰でも大喜びするとでも思ってるわけ?」

「…………」

「飼う気もない野良猫に餌をやらないでくれ!」

「…………」

「そんなことをされたら……」

彼女はじーっと僕の目を見ていた、ひと言も言い返さずに、

「……余計なことをして、ごめんなさい」

そういうと飲みかけのコーヒーをシンクに流し、洗いものを済ませて、冷蔵庫の食材を全部ゴミ箱へ捨ててしまった。そして、ボストンバッグから文庫本を取り出しベッドに寝転がって読み始めた。

気まずい雰囲気が流れたが、僕は仕事に没頭することで彼女の存在を無視した。

やがて、ベッドから規則正しい寝息が聴こえてきた、どうやら彼女はいつの間にか寝てしまったらしい。

僕は仕事机から立ち上がると、寝ている彼女にそっと布団を掛けてやる。その寝顔に言い過ぎたことを謝った。


そんなことをされたら……君が帰った後、僕が寂しくなるじゃないか。



  【 夢の中へ・・・ 】


不条理な夢で目覚めた朝

もの憂い倦怠感で

頭の芯がズキズキ痛む


夢とか希望とかそんな言葉で

ちっぽけな人生を飾ってみても

掴めるものといえば

ほんのひと握りの砂だけ


現実をみろ!

誰かの声が聴こえた

だから現実って な・に・さ


ここには必要なカードがない

湿った部屋はカビ臭いくて

カーテンの色もくすんで見える

無風状態に慣れて心が荒んでいく


ヘッドフォンを着けて

現実をシャットアウトする

もう誰の声も聴こえない


甘い砂糖菓子をひとつ

浅い眠りに誘われていく

いつか見た あのシャガールの

絵の中に溶けこんでしまいたい

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る